updated 7 Nov. 2000
『イデオロギーとしての日本文化論』(ハルミ・ベフ、1987)
大学院の演習でハルミ・ベフの『イデオロギーとしての日本文化論』を読む。
ハルミ・ベフは日本名別府春海。ロサンゼルス生まれだが、少年期を日本で過ごし、アメリカで高等教育を受けた文化人類学者である。日本語がすらすら読めて、アメリカン・スタイルの分析方法を縦横に駆使する、インターフェイシャルな知性である。こういう人の日本文化論批判はひと味違うだろう、ということでテキストに採用したのであるが、望外の収穫があった。どういう収穫かというと・・・まあ、読んでみよう。
ベフの立場は明快である。
日本文化論と称して巷間流布している言説の過半は学術的なものではなく、単なる大衆消費財であり、その主なイデオロギー的機能は保守党支配の日本のstatus quo の維持と、夜郎自大な自民族中心主義的幻想の培養基である、というのである。
なんという直截さであろう。これでもうほとんど話は終わったも同然である。
ベフは「文化論」という言説そのものがイデオロギー的な虚妄であることを鋭く暴き出す。
「まず、当然ながら、文化論は、ある文化を共有する集団-たとえば日本民族-が自己の集団を他の集団から区別する手段である。その手段として自己の集団のもつ、文化的、社会的特徴を論じたものが文化論である。」(「『日本文化論』とは何か」、36頁)
という論定からこの分析は開始される。
この冒頭の一文がすでに際だって徴候的な語法で書かれていることに注意深い読者は気がつかれたかもしれない。まあ、ふつうは気がつかないだろう。私も最初は気がつかずに、すらすら読んでしまったもの。この「徴候」についてはあとでまた触れることにしよう。
ベフはこう続ける。
「その特徴が自己の集団を他の集団から区別するためには、他の集団とは違ったものでなければならない。」(Ibid.)
この場合の識別指標はできるかぎり対立的なものが望ましい。だから「たとえば、欧米は『契約』の社会であるのに対して、日本は『黙約』の社会」である、とか「欧米国家は『騎馬型』であるのに対して、日本は『農耕型』」「西欧肉食文化に対する日本米食文化」「森林的性格をもつ日本文化と砂漠的性格をもつ欧米文化」といったわかりやすい二項対立図式が好まれる。
この場合、日本文化と差別化される「他の集団」は任意の集団ではなく、日本にとってなんらかの痛切な利害関係をもつ集団である。日本文化論において対比の対照項となるのは、ほとんど「欧米社会」か、隣国であり、「日本文明に過去大きく影響を与えた」中国である。(この本の初版刊行は1987年であるので、その後として韓国との比較論が際立ってきたことには言及されていないが、これも同じロジックで説明できるだろう。日本文化論は日本がなんらかの理由で「それとの差別化を強調したい集団」を関連項として成立している言説である。)
つまり、日本文化論という言説は、何かを「・・・である」として実定的に指示するために、というよりは何かを「・・ではないもの」として示差的に指示するために、語り出されるものだということである。
それゆえ、文化論においては、ある集団の文化の特質が「その文化の担い手全員にひとしくあてはまるかの如くに考えられる」ことにある。
日本文化論を語る人間は平然とつぎのような文章を書く。
「日本人は自然、とくに四季の変化、天象気象、動物植物などに対して、きわめて繊細鋭敏な感受性を持っている」(喜多川忠一、『日本人を考える』
このような記述がその好個の適例である。
およそ日本文化論と称するものはすべて日本人なる集団が全員ある種の精神的傾向を共有しているかのような書き方をする。しかし、これほど事実と隔たっていることはない。
まず日本には地域性の差がある。
「例えば文化論では日本人の人間関係、思考のユニークさを説くとき、必ず標準語が分析の対象になり、方言は分析されない。これは当然といえば当然だろう。東北弁を分析すれば、東北人の人間関係、思考法はわかっても、それが日本人全体にあてはまるかどうかは分からない」(45頁)からである。
そればかりではない。「日本にも、アイヌ、朝鮮人(北朝鮮人、韓国人)や華僑その他の日本民族以外の人々が住んでいることを『同質論』は無視している。」(46頁)
ベフの議論はまだ始まったばかりなのだが、私はなんとなく、もうこの先を読む意欲を失ってしまった。
というのは、この人はここまでですでに致命的な論理の混乱を来しているからだ。
ハルミ・ベフは日本人は同質であるという前提を疑わない日本文化論を反証するにここで「地域性の差」を持ち出している。
日本文化論は標準語を分析しているから、「東北人の人間関係、思考法は分からない」とベフは言う。
そう言ういう以上、ベフは「東北人」なるものが固有の「人間関係と思考法」を有しているとという前提を採用していることになる。
しかし、同じロジックを適用させていただくけれど、数百万人からなる集団である「東北人」などというもの同質性があるはずはない。
当然ながら、ベフのロジックによれば、「福島県民の県民性」とか「青森県人の県民性」といった、さらに下位の「地域差」が無視されてよいはずがない。しかし「福島県民」のあいだでも「福島地方」と「会津若松地方」では県民性に際だった差異があると福島の人々はたしか主張していた。そして、その「会津若松」の人たちだって、一人一人に尋ねれば、おそらく「隣町」との歴然たる地域差を語ってくれるのではあるまいか。
「・・・文化というような同質的なものはない」という議論はたいへんに正しいけれど、残念ながら正し過ぎる。
集団の文化的特性は、つねにそこにふくまれる多様で個別的な差異を無視して語られているというのはほんとうである。だが、それはよろしくない、ということになると、私たちは最終的には集団に固有の文化的特性などというものについては語るべきではなく、個人についてのみ語るべきである、というすっきりしているけれど、なんだか面白くもおかしくもない結論に至ることになる。(それに私の個人的見解を言わせてもらうと、個人の内面にさえ複数の人格特性が混在している。「ウチダって要するに・・・な奴だよな」というような決めつけに私は一度として納得したことがない。だって、私の中には「他の要素」だってあるからだ。)
だから、「日本文化の同質性なるものは幻想だ」と言いたい人は、こう続けるべきなのだ。「なぜなら、日本には人間が二人以上いるからだ。」
ご覧の通り、この命題は、完全に正しく、完全に無意味である。
「文化」は個人では成立しない。
「文化」はある種の集団の(いくぶんか無意識的な)合意の上に成立している。それは「同質である」という事実認知ではなく、「同質になろう」という遂行的願望を表している。
それはベフに指摘されるまでもなく、常識に属することがらである。
「日本文化論者は『日本人はこうである』といいながら、暗に『日本人はこうあるべきだ、レッキとした日本人ならこう行動すべきである』と主張している。どのようにして記述が規範にすりかえられるのだろうか」(49頁)とベフは不満顔である。
しかし、「・・・文化論」というのは、記述ではなく、そもそものはじめから規範なのである。
例えば「慶応ボーイ」とか「早稲田の蛮カラ」というような形容がある集団文化について言われる場合、それは「同質的な学生たちが集団をつくっている」という事実を「記述」しているのではない。そうではなくて、、「その集団に入ると、ある種の示差的な行動様式や価値観が成員に規範的に意識される」ということを述べているのである。
「慶応ボーイとか言いやがって。けっ。俺はそういうこと言ってちゃらちゃらしているやつらが大嫌いなんだよ。おれはあくまでおれよ」というようなことを言う慶応大学生はその発語の瞬間に「慶応ボーイ」という理念型を、まさに「そういうやつら」を非難するという仕方で堅固な現実として造型している。つねに、そういうしかたで、集団の文化というのは構築されるのである。
それと同じように、「日本人は四季の変化に敏感だ」というようなことを和辻哲郎が書くとき、彼は「日本人よ、四季の変化に敏感たれ」、さらには、「四季の変化に敏感でなければ、あなたは日本人とは言われない」というような威嚇的な、鋭くイデオロギッシュな遂行的命令を下しているのである。
でも、そんなのは当たり前である。
和辻哲郎の『風土』を読んで、「おお、これはまさに私自身のことを書いている」と思うのはよほどおめでたい人である。ふつうの日本人は和辻を読んだら、宿題をもらった小学生のような気になるだろう。
「・・・文化」というようなものはつねに、本質的に、徹頭徹尾イデオロギー的なものである。
だから、仮にイデオロギー的な「メイン・カルチャー」に対して「サブ・カルチャー」を対比させる、という反論を試みても、「サブ・カルチャー」もまた、ミニチュアのイデオロギーに他ならない以上、それが「文化」のイデオロギー性についてのラディカルな批判になることはありえない。
そもそも「サブ・カルチャー」が「メイン・カルチャー」を攻略するという構図そのものが「メイン・カルチャー」を「メイン」なものとして造型するためにビルトインされているのである。
「・・・文化」なるものは、批判的な文脈であれ、肯定的な文脈であれ、その名詞が発語された瞬間に存在する。
「コギャル」(古いね)とか「新人類」(もっと古いや)とか「全共闘世代」(やれやれ)とかいう言葉は誰かが最初に発語した。そしてその瞬間に、そのような集団と集団の文化が「現実」のものとなって、圧倒的なリアリティを獲得してしまった。
これらはすべて、「それを否定的な文脈で論じるために語り出され、それによって、同質的なものとして現実化された」集団名称である。
「日本文化の同質性なるものは幻想だ。なぜなら、日本にはアイヌや朝鮮人や華僑もいるからだ」というような発言は、その瞬間に「サブ・カルチャー」としての同質的文化集団である「アイヌ」や「朝鮮人」や「華僑」をイデオロギー的に造型し、それと同時に、それらのサブ・カルチャーを抑圧している「ドミナントな人種集団の同質的文化」にも圧倒的な現実性を賦与してしまうのである。
ベフはそのようなイデオロギーのしたたかさに対していささか「脇があまい」ように私には思われる。
同質的で自己同一的な「日本文化」という概念に無批判によりかかっている凡百の「日本文化論」が学術的検証に耐えないことは、たしかにベフの言うとおりである。
しかし、そうやって「大衆消費財としての日本文化論」を睥睨するベフの「メタ文化論」なるものが本人が信じているほどに「学術的」であるかどうかというと、私は懐疑的である。
「日本文化の特殊性と普遍性」という論文でも、ベフはドミナントな民族集団による文化的な抑圧について批判的な言を繰り返している。
「日本は日本民族によって代表され、日本に在住する日本民族以外の民族はアイヌ民族にしろ朝鮮民族にしろ、日本国家のアイデンティティを論ずるに当たって無視されてきた。ということは、日本国家の大多数を占め、また経済的にも政治的にも日本を支配する日本民族の文化を基礎にしたディスクールが日本国家のアイデンティティを作り上げていることを意味する。」(259頁)
しかし、これは日本に限らず世界中のすべての国民国家で見られる現象である、とベフは続ける。
「これとまったく同じ現象は他の国家でも見られる。たとえば、イスラエル(・・・)多民族国家であることをうたっているアメリカも、この点では日本と同じだ。(・・・)いまだに、西欧伝来の価値観と、それを継承した、白人アメリカの新大陸上陸以来の歴史にアメリカを代表する世界観を求めるものが主流である。」(260−61頁)
イスラエル文化とは要するに「ユダヤ文化」であり、国内のアラブ系市民の文化はサブ・カルチャーにおしこめられている。アメリカ文化とは要するに「ワスプ文化」であり、他のエスニック・グループの文化は決して「アメリカ的なるもの」として表象されることはない。アメリカの民族文化を構成する「一連の価値にはメキシコ系アメリカ人や黒人のような非白人種民族の伝統的価値は反映されていない」(263頁)のである。
これをベフは主流民族による少数民族の「対抗アイデンティティ」の抑圧というふうにとらえる。
「現代の国民国家は多民族国家でありながら、同時にその国家的アイデンティティは主流民族の文化によって象徴され、少数民族はそのアイデンティティに表象されていない。そしてそれはその国家の少数民族に対する偏見、差別待遇をそのままに表している。」(263頁)
たしかベフは前の方で「東北人」は「日本人」に「表象されていない」ということを指摘していた。それを論拠に「日本人」という概念には厳密には実体がない、と主張していたのである。
ベフのロジックにしたがえば、当然ながら「九州人」も「関西人」も「日本人」には「表象されていない」ということになる。
では、この人たちもまた「そのアイデンティティを表象されていない」少数民族ということになるのだろうか?
まさかね。
では、「アイヌ」と「東北人」はどこが違うのか?「ウィスコンシンのトウモロコシ野郎」と「メキシコ系アメリカ人」はどこが違うのであろう?
ベフはそれについては何も書いていない。
「東北人」とか「ウィスコンシン州人」は「自分のことを勘違いして『主流民族』だと思っている」少数民族のことなのだろうか?「アイヌ」と「東北人」の違いは「勘違い」しているかしていないか、だけの違いだということなのだろうか?
私にはよく分からない。たぶん問題をこんなふうに立てること自体が適切ではないのだ。
分かるのは「主流民族の文化」というものは「実体はない」にもかかわらず(あるいは、実体がないがゆえに)現実には、「抑圧的に機能しうる」ということである。
そして、何かが「抑圧的に機能している」ときにそれに現実的に対処しようと思ったら、それに名前を与え、それを実体化する以外に打つ手がない、ということである。
右手で壊したものを左手で作り直すことなしには、話が進まない。(そして、現にさっぱりベフの話は先へ進まない。)それが民族とか文化について「学術的に語ろう」と望むものの陥る罠である。
そしてハルミ・ベフもその例にもれないのである。
彼は日本文化論が「日本人のユニークさ」をもっぱら外国人の日本論を通じて基礎づけようとする傾向を指摘したあとで、それはアメリカ人の決してしないことだと断言している。
「アメリカ人は概していまだに世界一を自負している。とくに自国の事情について自分よりよく外国人が知っている、外国人から自国について学ぶべきことがある、という自覚がほとんどと言っていいほど欠如している。むしろ外国人がアメリカ人について、アメリカ人以上に知っているはずがない、という前提のもとにアメリカ人は思考し、行動する。」(271頁)
この文章で、ベフはずいぶん気楽に「アメリカ人」の一般的特性について語っている。これを読む限り、どうやらすべての「アメリカ人」は同一のしかたで「思考し、行動する」かのようである。
日本人については、すべての日本人が同一のしかたで思考し、行動するかのように語る言説を「大衆消費財」として切り捨てたベフは、どういう「学術的裏付け」があって、アメリカ人については彼らの思考と行動の同質性を語りうるのであろうか。
たしかアメリカには、主流民族の文化に表象されていない無数の少数民族が存在しているはずではないのか?それとも、彼らもまた「世界一を自負している」のだろうか?
主流民族の文化的特性を「国民文化」の特性と錯認するジャーナリズムの誤謬を辛辣に批判した以上、ベフは「アメリカ人は・・・である」という言い方を可能な限り自制すべきだろう。
あるいは自制にも限界があった、ということなのだろうか?
「日本人は・・・である」というような言い方はしないほうがいいんだけどさ、ついしちゃうんだよね、というのがベフのこの「学術書」の結論であるように私には思われる。もう少し学術的に言いかえれば「集団の同質性はつねに過大評価される」ということになるだろうか。
私はこの結論は正しいが、いささか貧しいと思う。
私たちはこれを「結論」とするのではなく、これを「出発点」として文化について考えなければならないからである。
『記憶/物語』(岡真理、岩波書店、2000年)
ポストモダンの思想家たち固有の「明晰な息苦しさ」というものがある。
クリアカットな言葉で、明晰な理説を、ポリティカリーにコレクトな仕方できちんと叙述しているのだが、その「コレクト」な文体はいつも私を息苦しくさせる。
岡真理のこの本にもそれを感じた。
この「息苦しさ」はどこから由来するのか、それについて考えてみたい。
岡がこの短い論考で扱っているのは、ほとんど古典的な哲学的=文学的主題である。
〈出来事〉は言語化されたときに、その本質的な〈他者性〉を失って、〈既知〉の、無害で、なじみ深く、馴致された〈経験〉に縮減される。しかし、私たちは言語によってしか〈出来事〉を伝えることができない。では、どのようにして〈出来事〉の〈他者性〉を毀損することなしに、それを言説のうちにもたらしきたすことができるのか。
この問いは、哲学的な問いとしては、エマニュエル・レヴィナスによって、文学的な問いとしてはモーリス・ブランショによって、ほとんどいま私が書いたとおりの言葉遣いで1950年代に定式化された。それ以後の哲学と文学についての理論的考究はほとんどこの問いをめぐってきたといって過言ではない。
それから50年。私は岡がブランショとほとんど同じ問いを繰り返しているのを聞いて、短いためいきをついた。
相変わらず、私たちはここにいるのか。はじめに問いが発されたところから一歩も進めずに。
いや、前にすすむどころか、むしろ後退しているのではないのだろうか。
問いかけは同じだけれど、問い方には違いがあるからだ。
どう違うのか。
少し長いけれど引用してみよう。
〈出来事〉の記憶が−〈出来事〉の記憶に媒介されて〈出来事〉それ自身が−他者に分有されねばならないとしたら、それは何をしても、語られねばならない。〈出来事〉の外部に生きる他者たちへ至る道筋、回路を私たちはつくり出さなくてはならない。それは、今ある世界とは別の世界を私たちが創り、生きるためだ。
だが、ここまでわたしが論じてきたのは、〈出来事〉の表象不可能性という問題、すなわち〈出来事〉は言語化できないということであったはずだ。〈出来事〉が言葉で再現されるなら、必ずや、再現された「現実」の外部にこぼれ落ちる〈出来事〉の余剰があること、〈出来事〉とはつねにそのような、ある過剰さをはらみもっており、その過剰さこそが〈出来事〉を〈出来事〉たらしめている、ということではなかっただろうか。そして〈出来事〉の暴力を現在形で生きる者たちは、そうであるがゆえに、それについて語る言葉を持ち得なかったのではなかっただろうか。
しかし、それでもなお−あるいはそうであるからこそ−語り得ない〈出来事〉は、語られねばならない。〈出来事〉の記憶が他者と分有されるために。そして、そのためには、〈出来事〉の記憶は、他者によって語られねばならない。自らは語り得ない、その者たちに代わって。(・・・)他者が−〈出来事〉の外部にあった第三者が−証言しなくてはならないのではないか。だか、それは語り得ない者たちに代わって、その〈出来事〉をいかようにも表象してよい、ということでは断じて、ない。言葉では語り得ないはずのその〈出来事〉について語ろうとする私たちが「語り得る者」として振る舞うとしたら、その瞬間に私たちは〈出来事〉を裏切ることになるだろう。表象不可能な〈出来事〉を表象すること、語り得ない〈出来事〉について、語ること、それは何よりもまず、〈出来事〉のその語り得なさこそを証すものでなくてはならないのではないか。
では、そのような語りとは、いかにしたら可能だろうか。(pp.75-77)
岡がここで何が言いたいのかということはとりあえず措いて、読んだ印象だけを感じ取ってほしい。
ある種の「息苦しさ」を感じなかっただろうか。
私は感じた。
感じて当然だと思う。
ここに引用したのはこの本のいわば問題意識が集約的に語られて部分なのだが、その文章がほとんど全編「当為の文法」に律されているからである。
このわずか半頁、センテンスの数にして14の文章の末尾には「・・・しなければならない」が三回、「・・・だったはずだ」が二回、「・・・のために」が二回用いられている。つまりこの文章の半分は英語で言えば「must」の構文で占められているのである。
ほかに、「・・・ではなかっただろうか」と「・・・なのではないか」という修辞的な否定疑問(これはほんらいは論戦で相手を追いつめるときに頻用される「攻め」の構文である)がそれぞれ二回。
動詞でいちばん繰り返し使われているのは「できる/できない」「し得る/し得ない」という「can」 に当たる言葉で、これが九回。最後の文の「可能だろうか」も含めると十回。
岡は文学の専門家なのだから、イデオロギーが「言語運用の表層」に露出するということについては熟知してるはずだ。
ではその岡に訊ねたいのだが、「must」と「can」だけで編み上げられたディスクール、つまり「当為」と「能力」にのみ焦点化したディスクールはふつうどういう「政治的な文脈」で用いられるのだろうか。
それは「学校教育」の場で教師が生徒を訓育するときに用いる discipline の語法だ。軍隊の語法、政治党派の語法だと言ってもいい。
そして、言うまでもなく「学校」と「軍隊」と「政治党派」とは、「他者」の声がもっとも聴き取りにくい場、〈出来事〉がもっとも暴力的に隠蔽される場、まさに私たちがそこから逃れ出ようとしている当の場なのである。
結論部分で岡はジャン・ジュネを引いて、「他者の呼びかけの声にその無能さと受動性において応答する」ことによって「〈出来事〉の記憶を分有」しえるのではないかという希望を語っている。
私はこの知見には原則的に同意する。
しかし、もし岡がほんとうに最終的に私たちが使える道具は「呼びかけ」と「応答」という言語的なコミュニケーションであり、「言葉の力」に、「物語る力」に最後の賭け金を置いてもいいと信じているのだとしたら、岡自身、自分がどういう言葉遣いによってそのような思想を語っているかについてもう少し敏感にならなくてはならないと私は思う。
エマニュエル・レヴィナスの『全体性と無限』は、そこでもちいられている当の語法が、そこで論じようとしている当の主題を裏切り続けるという非常にストレスフルなテクストとして知られている。
いかなる言語によっても表象しえないはずの「他者」と「出来事」を語ろうとする企ては、それが成功すれば、「他者」はもう「他者」ではなくなり、「出来事」は「出来事」ではなくなるという背理を刻印されている。
「他者性」ってのはさ、これこれこういうものなのさ、とのんきに語る人々も、そのみぶりそのものが他者性を根絶するものだということを「理屈」としてはすぐにわかるだろう。
では、どうやって語るのか。
これは岡の問いと同じ問いだ。
こたえはもうずっと以前に、レヴィナスによって出されている。
それは「あなた」に届くように語る、ということだ。
それは「当為」と「能力」の語法とは想像しうるかぎり、もっとも遠くにあるような語法である。
ポストモダンの「コレクト」な思想家たちに感じる「息苦しさ」は彼らの思考が「当為」と「能力」の文法に律されており、「あなたに届く言葉」とはどういう言葉なのか、という思想的難題を真剣には考えてきていないということに由来すると私は思う。
ポストモダニズムはほとんど「語り口」のことだけを中心的な論件にしてきたはずなのに、なぜ自分たちの「語り口」の問題だけは構造的に見落とし続けるのだろう。
もちろん私が今言った「あなたに届くように語る」というのも一種の修辞、ひとつの物語にすぎない。けれども私はそれがフィクションだということを知っている。
私たちは嘘をつくことによってしか漸近線的に「真実」に近付くことができない。だから、私はこまめに嘘をつき続ける。だって、嘘をつかないと語れないことが、嘘をつかないと届かない言葉がやまのようにあるからだ。
私には自分が「嘘つき野郎」だという「病識」がある。
岡にはその「病識」があるだろうか。あるといいのだが。
『買売春解体新書-近代の性規範からいかに抜け出すか』(つげ書房新社1999)(宮台真司、上野千鶴子ほか)
風俗店で働く女性たちが、経営者の搾取に抗して労働者としての権利を守るために、「ユニオン」を結成したという記事が出に宮台真司がさっそく「たいへんにけっこうなことだ」とコメントしていたということをちょっと前に書いた。
売春「労働者」の権利や威信が守られるようになり、誰でも安全に、楽しく売春にいそしむことができるようになるということが、宮台の言うほどけっこうなことなのかどうか,正直に言って私にはよく分からない。
よく分からないので、宮台や上野千鶴子がこのところさかんに論じている「性の自己決定」という問題について、あらためて考えてみようと『買売春解体新書-近代の性規範からいかに抜け出すか』という本を買ってきて、読んでみた。
読んだら頭がよけい混乱してきた。
言っていることは上野千鶴子がいちばん歯切れがよくて分かりやすい。上野の主張は大ざっぱに言うと三つにまとめられる。
ひとつは論じるフレームについての議論で、性というのは人間同士のコミュニケーションのひとつのあり方なのだから、あまり制度的にああしろこうしろと干渉しないで「人間関係のあらゆるスキルと同じように、試行錯誤で経験から学んで」いけばいい、ということである。私もこれにはべつに異存はない。
もうひとつはフェミニストとしての立場からの発言で、女は男に頼らず、経済的に自立し、自分に快楽を与えてくれる男を自前で調達できるようになるべきだ、ということである。これにもべつだん異存はない。
もうひとつは、買売春の現状についての具体的な発言であり、上野はこれまでの風俗店のようなかたちの管理された買売春から、援助交際やテレクラに代表される「フリーランス」の買売春への移行を「市場の成熟」というふうにとらえている。がちがちの性制度によるイデオロギー的な規制よりは、「規制緩和」による性商品の「淘汰」と性商品取り引きの「合理化」がより好ましい、と上野は考えているらしい。だから、「自己責任の原則で自由営業をやっている」売春女性がふえてゆくことは、上野にとってはむしろ歓迎すべき推移なのである。
しかし、これを60年代的なバケツの底の抜けたような性解放理論と同一視してはいけないと思う。
上野の本音は、性的なことがらについての執拗なくらい露悪的な表現から察知するに、「セックスなんか、どうだっていいじゃん。まじめに論ずるだけバカみたい」というところにあるように私には読めた。
上野千鶴子という人を私は嫌いだけれど、この件に関してだけは、ちょっと気が合ってしまった。上野はこう言っている。
「あえて言いたいけど『セックスなんて、したってしなくたって、私は私』って、どうして言えないのか。セックスって、それがないと自分の人格を否定されるような、そういうものなのか。男にとっても女にとっても、セックスしなくちゃ男は一人前じゃなくて、セックスしてもらえなくちゃ女としては認められないのか、という見方に対して、異議申し立てするということだってできるんですよ。」
宮台真司たちが買売春の現状について細かいフィールドワークをして、売春する女子高校生の味方みたいな発言をするのをこれまで私は「いやな感じだな」と思って見ていた。それはセックスが「主力商品」であり、それだけしか売るモノがないひとたちと、セックスのことしか頭になくて、自分の性欲をみたすことを人生の優先的な目標にしているようなひとたちに宮台がやたらに理解を示し、彼らのあり方を理解できない人間をバカ扱いするのがなんだか不愉快だったからである。しかし、上野千鶴子の戦略はどうやらそういうせこい差別化とは違うところを狙っているように私には思えた。
性が商品的に扱われる実状がどんどん勢いづいていって、やがてあらゆる変態行為や性倒錯を含む性商品の流通が極度に日常化してしまい、すべてがあまりに日常化したあげく、誰もセックスに興味をもたなくなってしまう日が来ることを上野自身は待望しているように私には思えたからである。これは相当にラディカルな態度であり、私は上野のこの性格の悪さに正直言ってかなり好感を抱く。
私が「いやだな」と思っていたのは、要するに「セックス・コンシャス」の高さと知的な開放性みたいなものがリンクしているという図式に対してだったようだ。
「セックス・コンシャス」の高い人間というのは、自分が「性的存在」としてどういうふうに評価されているかということばかり意識しているせいで、それ以外の人間的資質についての反省や向上心がごっそり欠落している人間のことである。そんな人間にろくなやつがいるはずがない。
私はこれまで性制度についてまともに論じたことがないけれど、それは性風俗の先端的なあり方に訳知り顔をしてうなずいてみせて、それを受け容れられない人間の知的後進性をあざ笑うような、(宮台に代表される)この論議の進め方の雰囲気そのものが気に食わなかったからである。
私だって、性が人間にとって非常に重要な問題であることはもちろん認める。しかし、性について、例えば夕食の席で家族みんながオープンに語ることに私は少しも素晴らしいと思わない。自分の家族が買売春をしていれば、強い不快感を感じる。私はそういう自分の「普通の感受性」を断固として支持する。
というのも、私たちが子どもたちにまず教えたいのは「この世で大事なのはセックスばかりじゃなんだぜ」ということだからである。
「性化される」というのは、フェミニストが言うように、単に「男らしく」「女らしく」というような性規範が強要されるというような分かり切った事態を指しているのではない。そうではなくて、日常のあれこれの判断や行為をいちいち「性規範」とのかかわりをつうじて(それに従うにせよ、それに反抗するにせよ、それを嘲笑うにせよ、それから「逸脱する」にせよ)、つねに「いまの性規範」と自分の関係を意識しながら、意味づけるようなあり方のことを指すのである。
前に「アカハラ」について論じたときにも書いたように、自分がなにものであるかを考えるときに、まず「男であるから」とか「女であるから」とか「そのような性規範を批判しなければいけないから」とか、とにかく「性」という問題設定ががまっさきに意識されるような思考の不自由さこそが、「性化されている」人間の、つまり「セックス・コンシャスが過敏な」人間の特徴だと私は考えている。
それは毛の薄い人間が、「すべる」とか「ひかる」とか「薄い」とかいう言葉をすべて自分の毛髪の状態に対する嘲弄的な含意に引き寄せていじける「ハゲ・コンシャス」過敏症の不自由さとまったく同型的な思考である。
そんなのどうだっていいじゃないか、というのが私の意見である。世の中にはもっと大事なことがいくらもある。暇さえあれば「セックス、セックス」と言い募るやつはよほどの暇人である。性制度がヨーロッパに比べて後進的であろうと、性規範が形骸化していようと、「そんなことはどうだっていいじゃないか。」
この木で鼻をくくったような態度こそが性制度や性規範の虜囚にならないですむいちばん効果的な方法であり、私の知る限り、私たちの国の「大人」の伝統である。私はこの叡智を断固支持する。
抑圧されるものは過剰に意識化される。欲望は禁止によって昂進する。だったら、ぜんぶ解放してしまって、そういうものに煩わされるのはもう止めましょう、というのが上野千鶴子の主張であると私は読んだ。結論部分については私は上野に大賛成である。ただ、「ぜんぶ解放して、市場に委ねよう」というという手続き論については反対である。だって「ぜんぶ解放する」ためには、またセックスについてああだこうだと議論しなければいけないからだ。宮台真司はそういう議論を延々とし続けたいらしいけれど、私はしたくない。やなものはやだ。
『自己決定』(飯田祐子) 『現代思想』2000年2月号
飯田祐子先生から最近雑誌に書いたテクストを三点頂いた。
「性の自己決定」についての比較的長いものがひとつと、書評が二点。
「性の自己決定」というのは、最近論壇をにぎわしている論件のひとつらしいけれど、議論の中心にいる宮台真司というひとと私は波長が合わないので、とんと不案内である。飯田先生のご紹介で理解した限りでは、それは「一義的に定義することはできない」けれども、「性道徳を徹底して批判し、性を扱う別の概念として」主張する上では非常に有効なものだ、ということである。
一義的に定義はできないけれど、効果的に利用することはできるようなもののことを「道具概念」とか「操作概念」とか呼ぶ。例えば、「リビドー」とか「気」とかいうのは、そういうもののひとつである。その概念を導入することによって、それまで主題化しなかった問題がくっきり見えてきたり、カオティックに見えていた状況が分節化されて見えてくるような場合、それは操作概念として有効である、というふうに言われる。
飯田先生によれば、「性の自己決定」も、性をめぐる問題群に新しい分節線を入れて、これまで前景化しなかったいくつかの論件をあぶり出すことを可能にする、有効な操作概念のようである。
「そもそも、自己決定の是非や可能・不可能が問われることとなるのは、そこに現実的で、具体的な問題があるからに他ならない。重要なのは、その問題の解決に、具体的に近づくということであって、自己決定という理念そのものを、純粋に突き詰めることではない。」
理念についてのこのような禁欲的な態度を私は評価する。それは「リビドー」が神経症の治療には効果的だが、物理的に計量できるような実体ではないから「理念そのものを純粋に突き詰め」てもあまり意味がないのとと類比的である。理念と現実、ふたつの水準の問題を混乱させるな、重要なのは現場だ、という主張がこのテクストには一貫している。
このテクストの文脈では、「性道徳」とは性的な価値判断やふるまいを包括的に規定する集合的規範を意味しており、これに構造的に対立して、性にかかわる価値判断やふるまいにおける「当事者」の主体的選択を優先しようとする社会的態度が「性の自己決定」と呼ばれている。
こう要約すると、性行動における「集団対個人」「規範対自由」の矛盾というのが、とりあえずこの議論の基本的なフレームであるように思われる。
ただし飯田先生はそのような実存主義的な用語は使わない。
「個人」とか「主体」とか「自由」とか「決断」という言葉が実存主義の時代にあまりにも乱雑にとりあつかわれたことへの苦い反省がそうさせるのかもしれない。
テクストの前半がかなり抽象的な論脈を迂回するのは、おそらく「まず主体があり、それが決定を下す」というふうな実存主義的な物言いが不可能な時代に私たちがいるということを意味しているのだろう。
逆に、「性の自己決定」という問題を立てることを通じて、「自己」とは何か、「決定する」とはどういうことかという根本の問いへ遡及してゆくほかないという順逆の転倒が私たちの時代の仕事を面倒なものにしている。
そのような基礎的な構図を踏まえた上で飯田先生が論じているのは売買春における自己決定という問題である。
正直に言って、これは私にとってたいへん苦手な論件である。
私は売買春制度というものに、(株の売買とか、馬券の売買と同じように)個人的にはまったく興味がない。あるいは私の理解を絶したような種類の快感がそこでは得られるのかも知れないけれど、私にはうまく想像できない。
私がよく分からないのは、自分の性的欲望がカタログ化され、値踏みされ、課金され、誰かがその儲けを帳簿につけて、一部が税金として国庫に収まるというようなことを想像するとすごく気分が悪くならないだろうか、ということである。
もしかすると、自分の性的欲望がそういうふうに公共化され、制度化され、眼に見えるかたちをとってはじめて、自分が「ちゃんと」性的欲望をもっていることを認識して「ほっ」とするという人がたくさんいるのかもしれない。
性以外の欲望についても、ほとんどの人々は「他人の欲望」を模倣して生きている。自分がほんとうは何を求めているのか、ひとに教えてもらわないと分からない人たちが私たちの社会のマジョリティであることは今に始まったことではない。ならば、性的欲望がその例外であるはずもない。
現代日本の売買春制度というのは現代日本人の性的想像力の貧困そのものが制度的に具現化されたものであり、それは、その他の文化的諸制度と貧しさにおいて同質のものである。(あるいは、村上龍などは、豊かな性的想像力とお金があるひとには、それにふさわしいリッチでワイルドな性的商品市場があると反論するかもしれない。でも、村上の性的想像力も別に威張るほどのものじゃないと思う。だって、現に「豊かな性的想像力」の横溢する村上の小説が日本のサラリーマンにじゃんじゃん売れてるんだから。)
だからといって、私は自分ひとりが豊かで独創的な性的欲望をもち、独自な性的行動をとっているというふうに考えているわけではない。(そもそも豊かで独創的な性的嗜好や性的行動などというものがありうる、と私は考えていない。)
私の性的欲望や性的行動の様式は、「貧しいマジョリティ」に対する反発と嫌悪感によってつよく規定されており、その限りにおいて私は現在の性制度のネガティヴな虜囚であるにすぎない。
したがって、(ここからが飯田先生と意見がくい違ってくるところだが)私は「性制度/性道徳」と「性の自己決定」が対立的な関係にあると考えることができないのである。
性の社会的な機能について、飯田先生は次のように書いている。
「端的にまとめれば、性道徳は、性との関わりによって、聖母と娼婦という二つのカテゴリーに女性を二分化してきたのであり、一方で、男性はその二つのカテゴリーを行き来する往来者としての役割を与えられてきたということになる。性の領域は、非日常的な領域として特化され、法的な規制を受けることで一層見えない領域へ深化拡大し、犯罪と近接すると同時に、一方ではほとんど無根拠な価値付けをなされてきた。(文学などの物語再生産領域が大きな役割を果たしてきた。)売春女性への差別は、この構成の中で発生してきた。」
このフレーズには私にはそのまま読み進むことのできないむずかしい文言が含まれている。
(1) 性領域は非日常的な領域として特化された。
(2) 性領域は法の規制を受けることで見えない領域へ深化拡大し、犯罪と近接し
た。
(3) 文学など物語再生産領域は性領域に無根拠な価値付けをしてきた。
この三点について私はいささか意見を異にする。順に思うところを述べる。
(1)私は性というのは「機能だけがあって実体のないもの」であるというフロイト派の考え方をおおすじで支持している。
フロイトは性を「機能する欠如」というふうにとらえたし、ラカンは端的に「性関係なるものは存在しない」と断言している。
性は「抑圧」という機制を経由してはじめて実体化する。性制度とか性道徳とかいものは、この抑圧の効果として出現したものである。だからすべてが擬制である。
しかるに、さきに述べたように、私たちの性的欲望というのは、この擬制としての性制度や性道徳に媒介されて(それへの服従として、それのパロディとして、あるいはそれへの反抗として)はじめて「かたち」をとる以外に表現の仕方を知らない。
だから、性にかかわる制度は、つねに「抑圧されたもの」を「日常的な領域」に制度的に具体化し、統御可能、カタログ化可能、商品化可能なかたちにするという文明的営為として構築されてきた。
性的欲望というものが独立的に自存しており、それを表出させたり、たわめたり、キャナライズしたり、押さえ込んだりするために、性制度がある、というふうに私は考えない。
性的欲望は性制度に媒介されて、事後的にかたちをとるものである。だから本質的に性というのは徹底的に「日常的」なものなのである。
性に関するすべての営みには「文明」が刻印されている。
だからもし性の領域が「非日常的領域」に映るとしたら、それは「非日常的領域」という値札をつけたほうが「日常的領域」で商品として高く売れるからという理由である。もし、それが隠蔽されているように見えたとしたら、それは「隠蔽」というかたちで顕在化したということである。
(2)法が性を規制してきたのは、性を抑圧するためではなく、性を管理するためである。
ジェームズ・エルロイのLA四部作によると、警察の夢はすべての犯罪が定型的な組織犯罪集団によって行われることである。(管理しやすいから)
だから、売買春が半ば非合法の組織によって集中的に運営されているというのが、権力機構からすれば性管理の「王道」なのである。
「適度の非合法性」、「適度の非日常性」、「適度の抑圧」、それが哀しいほど貧困なマジョリティの性的想像力にとっておそらく「適度のスパイス」なのである。
「逸脱の制度化」、それが性管理というあざとい仕事の本質である。
私たちは制度化された性行動以外のものを想像することができない。だから、私たちは性の領域に管理と範例を求めて止まない。管理があってはじめて壊乱が快楽と結びつき、範例があってはじめて逸脱が快楽と結びつく。
(3)文学が性について「無根拠な価値付け」をしてきたというのは、なんだか文学に気の毒である。
性というのは「機能する欠如」なのであるから、そもそもそこには語るに足るようないかなる「根拠」もない。
だから、性をめぐる言説はすべて、それを隠蔽しようと、開示しようと、称揚しようと、告発しようと、とにかくそれについて語る限り必ず構造的に性に「無根拠な価値付け」をしてしまう宿命なのである。(それは私の書いているこのテクストも例外ではない。)
性についてこれまでもっとも厳密に語ろうとしてのはフロイトであるけれど、性は「欠如」に他ならないということ洞察を示したフロイトに対して投げつけられた非難は「フロイトは性に無根拠な価値付けをしている」というものであった。(そして、その非難はほんとうに当たっていたのである。)
性について語るということは、何を語ろうとも性の制度化・表象化に加担するということであり、「終わりなきシニフィアンの戯れ」(げー)に巻き込まれてしまうということである。文学ひとりを責めてはかわいそうである。
ということは、「性の自己決定」は、包括的な性制度のなかにおける「いろいろなオプションの選択可能性」という以上の意味を持つことはない、ということである。
制度内部的な「オプション」である限り、それが制度「そのもの」へのラディカルな批判となることはありえない。
オプションの自由を認めよ、というしかたで性道徳の「強制的異性愛体制」をいささか風通しよいものにすることはできるしするべきだと私も思う。けれども、それは「性道徳を徹底して批判」し、「性を扱う別の概念」を紡ぎ出すということとは違う。
しつこく同じことを繰り返して申し訳ないが、性制度は抑圧の効果としてのみ存在し、実体がない。記号作用が原抑圧の効果であるように、性的行動はすべて性制度の効果である。だから、性制度が廃絶された瞬間に、人間は(本能的な衝動以外には)いかなる性的行動もとらなくなるだろう。
「性道徳から解放された性」というのは、「ドーナツを食べたあとのドーナツの穴」のようなものである。「ドーナツの穴」に「ドーナツ」を「徹底して批判」することはできない。
最初の議論に戻るが、それゆえにこそ、「性の自己決定」は理念的水準ではなく、例えば性制度のなかでの人権問題というような現実的水準においてこそ有意であるだという飯田先生の主張に私は共感するのである。
ドメスティック・バイオレンスやセクシャル・ハラスメントやセカンド・レイプや売買春制度といった具体的な人権問題については、当事者が主体的に決定した性的ふるまいを性制度が妨害するという事態は現にある。この事態を効果的に改善するために「性の自己決定」という操作概念が有用であるという飯田先生の考えを私は正しいと思う。
性については「政治」と「軍事」の言説だけがあって、「科学」の言説はないと私は思っている。
私は以前、「イデオロギー」としてのフェミニズムには賛成してもいいが、「科学」としてのフェミニズムには反対すると書いた。それと同じことである。
私たちは具体的にかたちをもっている性制度や性道徳や性意識については利己的な動機に基づいてこれを変えたり壊したりすることができる。それは政治の水準の仕事である。
「(私にとって)よりましな性制度、よりましな性道徳は何か」という政治的な議論は生産的でありうると思う。しかし「(誰にとっても)理想的な性制度、最良の性道徳とは何か」というような議論はするだけ無駄である。(もちろん飯田先生にもそんな議論をするつもりは全くないだろうけれど。)
ともあれ、性について今後とも私はできるだけ沈黙を守るつもりであるけれど、それは性制度の本質どころか、私にとってどんな性制度が「よりまし」であるかについてさえ、まるで見当がつかないからである。情けない話だけど。
ながながと述べてしまったが「性道徳からの解放」というワーディングにちょっとひっかかってしまったのである。しつこく書いてすまない。
追伸:ここまで書いたところで今日の夕刊を読んだら、風俗産業で働く女性たちが「ユニオン」を作って、店側と最低賃金の保障や、労働条件の改善の交渉を始めた、という記事が出ていた。さっそく宮台真司が「大いに歓迎すべきことだ」とのコメントを寄せていた。
売買春のシステムがこうやって合理化されていって、当然の対価と労働者としての威信を要求できる「労働」として社会的に認知されてゆくことが「性の自己決定」ということのあるべき形態のひとつであり、これが「性道徳からの解放」なのだ、と宮台は思っているのだろうか。
それはただ「そういう性制度(合法的な買売春)」「そういう性道徳(誰でも安心して売買春していいんだぜ)」が新たな規範として集団的に採用された、ということにすぎないだろう。それって、そんなにすばらしいことなのだろうか。
私には分からない。
私自身はそこにいかなる「解放」的要素も見い出せないし、それによって私たちの社会の性制度がもつ本質的な貧しさに何か希望の兆しが生じたようにも思わない。
飯田先生は宮台の「売買春肯定論」に対して、このテクストの中で次のように書いていた。
「〈自由意志による売春〉は、そもそも売春女性が、その差別に抗議し人権の保障を求めるために主張しはじめたものである。自己決定がなされていないから、自己決定について論じられるわけである。くどいようだが、つまり〈自己決定〉の可能性が保障されていないというのが〈売買春〉を論じる際の出発点となることになるだろう。前提は、そのような変革すべき現状があるということである。それゆえ、〈自由意志による売春〉をありうるものとして可視化することは、当然、現在の〈売買春〉の構造を批判することと結びつくべきである。」
「自己決定が保障されている売買春」が制度化すれば何も問題はない、というふうに考えている宮台に対して、売買春においては自己決定が保障されていない局面があるという現状こそが問題なのだ、というふうに飯田先生は違う水準で反論しているのだが、これは永遠に出会うことのない議論だろう。
私はこの「すれ違い」においては、飯田先生のいらだちに共感を覚えるけれど、同時に、このいらだちは「構造の批判」にはおそらく至り着くことがないだろうと思う。
けれどもそれは飯田先生の非力のせいではない。「性制度の現状の変革」を標榜して「性制度の構造的批判」をはたしえた人間はこれまで一人もいないからである。(その逆も同じである。)私が知る限り、もっとも「いいところ」まで行ったのはフロイトとレヴィ=ストロースであるが、それは彼らが「よりましな性制度」を求めるという政治的目標を厳しく自制したからできたことだと私は思う。
『同時代論−市場主義とナショナリズムを超えて』(間宮陽介、岩波書店、1999)
間宮陽介の本を読むのははじめてだが、頭のよい人である。頭のよい人の書く文章を読むのは楽しい。「自分が言いたくてうまく言えなかったこと」をクリアーカットな語法で語ってくれるからである。
「自分が言いたくて喉元まででかかっているのに、うまく言葉にならないこと」を誰かが代わって言ってくれると爽快である。ただし、これは事後的に「そういう印象がする」というだけのことで、たいていの場合、実は他人の話をきいてはじめて知ったことを「もともと自分が知っていたがうまい表現を思いつかなかったこと」と錯覚して、あとから記憶を工作しているのである。
読者に「自分は潜在的には賢かったのだ」と錯覚させること。
ベストセラーの要件はこれである。
19世紀フランスでいちばん売れた本はエドゥアール・ドリュモンの『ユダヤ的フランス』であるが、あまりに売れたので、そのあと「読者からの感謝のお便りとそれに対する著者からのひとこと」だけでもう一冊本が出た。
読者からのお便りは、その大半が「私が前から言いたかったことを、ずばりと言っていただいて、こんなにすっきりしたのは久しぶり・・・」という調子のものであった。
政治も経済も文化もフランスが堕落したのは、全部ユダヤ人のせいであるというこの「元祖・陰謀史観本」は、「複雑に見える世の中が実は簡単な仕組みになっているのだ」という、読者の知的負荷を大幅に軽減してくれる構成になっている。
知的負荷なしに、いろいろなことが分かった気になれること。
これもまたベストセラーの要件である。
私より頭の良い人が書いた『同時代論』は当然にも「私が言いたかったことを私よりうまく言ってくれる」ので、私は爽快であるが、この爽快感は「本来なら身銭を切って担うべき知的負荷を省略した」ことによって得られた快感であるから、あまり手放しで喜ぶわけにはゆかない。
そこで、私も少し自分の頭を使って、「間宮陽介はどういうふうに頭がいいのか」について考えてみることにした。
間宮はすごく切れ味のよい文章を書く。たとえば、こんなふうに。
「市場主義者は市場の領域とそれ以外の非市場の領域が一つの線によってはっきり識別できることを当然の前提としている。市場の領域は生産主体である企業と消費主体である家計の二つの経済主体によって構成され、供給と需要という相反する力が市場領域の力学的な場を形成している。企業と家計にとってレリバントな情報は煮詰めれば価格という情報だけであり、この価格情報は供給と需要の力学的均衡によって形成される。すなわち価格は市場という領域によって産み出されている内生的な変数であり、これに対して企業の生産技術や消費者の嗜好などといったものは市場にとっては外生的な変数である。市場システムはいくつかの外生的変数という窓口を通して市場外の領域と結びつくだけであり、これらの外生的変数を与件とすれば、市場システムは基本的には自律的な閉鎖系としてのシステムを形作っている、と彼らは見ている。」(p.5)
なんと、よい文章ではありませんか。
さて、どこがいいのでしょうか?
間宮陽介の語法には二点、際だった特徴がある。
ひとつは、間宮は基本的には私と似たタイプの「早い話が・・・」の人なので、その「いらち」な性向が措辞上かなりはっきり識別できることである。上の短い引用のうちだけでも、論旨を限定し、その核心だけを明瞭化したいという間宮の強い意思を読みとることができる。すなわち、「はっきり」「だけ」(2回)「すなわち」「基本的には」といった論件を限定し、明瞭化するための語詞の多用である。(私もいまそれを全部使って書いてみたけれど、たしかに、なんとなく「きりっとした」感じになるでしょ?)
これはあくまで措辞レヴェルの特徴だけれど、論理の進め方そのものにも際だった特徴がある。
二項対立である。
いま引用した中に、間宮がいくつ二項対立を使ったか。
「市場/非市場」「生産主体/消費主体」「企業/家計」「供給/需要」「内生的変数/外生的変数」「閉鎖系/(複雑系)」・・・本文わずか九行に間宮は六種類(!)の二項対立を使っている。
二項対立を組み合わせて複雑な情報を表現する、というのはコンピュータ・ユーザーにはおなじみの二進法的思考である。
二進法では「0/1」から成る二項対立のワンペア(コンピュータでは「ビット」と呼ぶ)で「二つの異なった状態」を表現する。ツーペアあれば、「00/01/10/11」四種類の異なった状態が表現できる。つまり今の間宮の文章は、9行に6ビットの(つまり64種類の異なる状態を表すことのできる)情報を含んでいたということになる。
これは高度に効率的な論述形式である。
私が「頭がいい人だ」と言ったのはこの点である。
『同時代論』の論述は300頁、そして驚くなかれ、その全体が「二項対立」の論理形式によってパーフェクトに、コンプリートに、アブソリュートに覆われている。
「計画経済/自由主義」「コミュニタリアニズム/リバータリアニズム」「原則主義/便宜主義」「小さい政府/大きい政府」「非政治化/過政治化」「英米型資本主義/日独型資本主義」「インダストリー/ビジネス」「ストック/フロー」「ツリー/セミラチス」「国家の公的領域/私人の私的領域」・・・
間宮の論法はすべての論件について律儀なまでに同一的である。
「完全な計画経済」は失敗する。「完全な自由放任」も失敗する。「過度のコミュニタリアニズム」は個人の自由を圧殺する。「過度のリバータリアニズム」は社会を解体する。「行き過ぎた規制」は市場の健全を損なう。「行き過ぎた規制緩和」は市場を破壊する。・・・
間宮は「極端な二つの理説」を紹介し、仮にその一方が全体化し、支配的なイデオロギーになった場合は、社会にネガティヴな影響を与えると論じる。
それに対して間宮はまったく別の「第三の道」を提案するわけではない。間宮の主張は、あらゆる問題は「いずれも採用しがたい極端なふたつの理説」の中間のどこかに現実的な「落としどころがある」というものである。
たとえば政策決定プロセスにおける原則主義と便宜主義について間宮はこう書く。
「原則主義と便宜主義のいずれが優るかということはいちがいにはいえない。原則に固執しすぎれば状況の変化に対応することができず、取り返しのつかない結果を招くこともある。(・・・)一方、便宜主義も原則を忘れてしまうと、オポチュニズム(日和見主義、機会主義)に転化してしまう。(・・・)一般論をいえば、原則に固執しながらも状況の変化に対して臨機応変の対応を怠らないというのが政策の理想の型であろう。」(p.19)
私は間宮のこの頑迷なまでの「中庸」主義を好ましく思う。「大人」はすべからくかくあるべしと思う。
「熊さんのいうことももっともだし、八つぁんにも言い分はあらあな。そこでだ、お前さんたち、今回ばかりはこの隠居の顔を立てて、三方一両損ということで、どうかね?」
世の中、これでなくっちゃ。
人間はどういうふうに思考するのか、という根源的な問題について、私が知る限りもっともきっぱりとした回答を与えたのはレヴィ=ストロースである。
レヴィ=ストロースによれば、人間は二項対立を重ねて複雑な情報を表現する。(彼はその事実をローマン・ヤコブソンの音韻論から学んだ。)
レヴィ=ストロースはそれを親族システムに適用して、世界中のすべての親族システム、婚姻規則が、表面的な多様性にもかかわらず、二項対立(親しい親族/疎遠な親族をワンセットにしたペア)の組み合わせでできていることを論証した。
さらにオイディプス神話の構造分析を通じて、レヴィ=ストロースはすべての神話が二項対立(二つの極項)の組み合わせからできていると主張した。
この『神話の構造分析』という有名な論文の中で、レヴィ=ストロースは、オイディプス神話を構成するさまざまなエピソードを四種類の説話群に分類し、それらが二組の二項対立ペアであるとした。その二組とは「過大評価された親族関係/過小評価された親族関係」のペアと、「人間の土からの誕生/その否定」のペアである。
簡単に言い換えると「近親相姦する家族/親子兄弟夫婦が殺し合う家族」のペアと、「人間が同じものとして永遠に再生する/人間が生まれてこない」のペアである。
それぞれのペアの二項は単純な「0/1」の符号ではない。これら二つの項は「いずれも採用しがたい極端な状態」を意味しているからである。
親族が親しすぎると親族は自閉して、近親相姦を行うようになる。親族が疎遠すぎると親族は解体して、近親相殺を行うようになる。つまり第一の二項対立の結論は「親族は、あまり親しすぎず、あまり疎遠すぎないのが、いい」というものになる。
人間が同じもののままで永遠に再生する(クローン生殖みたいに)のは人間の再生産とは言えない。かといって、人間がまったく生まれてこなくても人間の再生産とは言えない。ということは、第二の二項対立の結論は「人間の再生産では、完全に同一的ではないが、少し似ているものが連続的に生まれてくるのが、いい」というものになる。
なんだ、当たり前のことじゃないか、と怒らないでほしい。
大昔から語り伝えられている神話なんだから「当たり前のこと」を語っているに決まっている。その神話自体が私たち自身のものの考え方感じ方を基礎づけているのだから、それが「当たり前」に見えるのは当たり前である。
つまり、神話とは、二つの極項(その「彼方はオフ・リミット」)を標識として打ち立て、その中間のどこかであれば、まあどこでもいいです、といふうに可能性の「幅」だけ指示して、あとはそれぞれに任せるというかなりフレキシブルなオプションを提示するための装置なのである。それが神話の本質的な機能である、とレヴィ=ストロースは論じていた(と私は思う。「そんなことはレヴィ=ストロースの本のどこにも書いてないぞ」とクリフォード・ギアーツは言うかもしれないが、行間を読むとちゃんとそう書いてあるのである。)
話を戻すと、間宮は神話的な二項対立を活用して、その論理を組み立てている。「採用しがたい二つの立場」を取り上げ、それぞれの利点と欠点を列挙し、「両方の欠点を避けて、まあ、中ほどあたりに落とせば、いいんではないかね」というのがその結論である。オイディプス神話と同じ構成である。
間宮がレヴィ=ストロースを読んで「お、これで行こう」と思ってやっているのか、それと知らないでやっているのか、私には分からない。頭の良い人だから自力で思いついたのかもしれない。ただ、300頁全部同じ論法なので、私はちょっと飽きた。
『人間という症候−フロイト/ラカンの論理と倫理』(藤田博史、青土社、1999)
正直に言うけど、私はラカン派の学者の書くものがよく理解できない。(もちろんラカンの書くものもよく理解できない。)
岸田秀はパルミエの『ラカン』を訳しているけれど、そのあとがきに「ラカンは何を言いたいのか分からない」と書いていた。(それで『ラカン』という本を訳すところが偉い。)そしてそれが分からない所以を縷々書いているうちにだんだん腹が立ってきたらしく、最後は「ラカン理論は『意味するものとしての男根』とか『想像的なもの、象徴的なもの、現実的なもの』とか、大文字の『他者』とか小文字の『他者』とか、依然としてよくわからない点も多い。男根がどうかしたのかと言いたくなる」とだんだん口調が乱れている。
岸田を除くと、日本の心理学者で「私はラカンが何を言っているのか、よく分からない。私の頭が悪いせいだろうか(いや、そんなはずはない・・・)」と困惑を正直に口にしている人はほとんどいない。マルク・レザンジェの『ラカン現象』の訳者たちはけっこう辛辣に日本人のラカン派の悪口を書いていたが、これは私が知る限りかなり例外的な事例である。
おそらく日本のどこかには「反ラカン学会」みたいなものがあって、そこではラカンが嫌いな心理学者や分析医が集まって、わいわいとラカンの悪口やラカンが分からない泣き言を言い合っているのではないかと想像されるのだが、残念ながらそういうところの学会誌があることを寡聞にして知らない。(あれば絶対買うのだが)
誰か高名な心理学者が『私はラカンが分からない』という本を書いてくれないだろうか。(河合隼雄さんあたり書いてくれないだろうか。あ、頼藤先生、どうですか?だめですか?「ラカンなんかへのかっぱ」ですか。)
『人間という病』はラカン理論の解説書(プラス、非ラカン派の分析医の悪口)であるが、これも類書の例にもれず、私がよく理解できないことについては、やはり何も説明してくれなかった。分かったのはラカン派ではない分析医はみんなバカだと言うことだけである。
「非ラカン派はバカである。なぜならば彼らはラカン派の理論を理解していないからである」と藤田は主張する。
そうかもしれない。
しかし、もし「ラカン派の理論を理解していないもの」を「非ラカン派」の定義とするならばこれは同語反復だ。
藤田は「ラカンの理論を理解しているけれど、ラカン派ではない人」というのが存在する可能性については想像が及ばないようである。
「たしかにラカンはんが言いたいことはよお分かるんやけど、何も『ファロス』だの『テュケー』だの『ボロメオの結び目』とかややこしいこといわんでもええやん」というようなひとだってどこかにいるのではないだろか。
日本ではあまり用いられないけれど、マルクスの理論に対してどういうスタンスをとるかで、フランス語では「マルクシスト」と「マルクシアン」というふたつの使い分けをする。
「マルクシスト」は「マルクスの理論をみずからの思想的立場とし、その概念、術語を分析の基本的な道具とする人」のことであり、「マルクシアン」は「マルクスの知見を理解し、その志に敬意を抱くが、その術語や概念を分析のための主要な道具としては用いない人」のことである。
レヴィナス老師はむかし「私はマルクシアンだ」と言ったことがある。意味が分からなかったので、「それどういう意味ですか?」と尋ねたら、そう教えてくれた。
日本の社会科学の用語法には「マルクシアン」という言い方はないようである。あると便利なのに。
ラカン理論についても(「そんなややこしいこといわんでも」的)「ラカニアン」がいるとありがたいと私は思う。「ラカニアン」とは「ラカンの洞見」を自分の思想の言葉で言い換えることのできる人のことである。
逆に、「ラカニスト」はラカンの術語を用いてしかラカン理論の説明をしてくれない人のことである。日本のラカン派はだいたい「ラカニスト」である。
ラカンの解説書を「ラカニスト」が書くと悪夢のような「循環参照」になる。
たとえば「ファルス」って何だろうと思うと、こう説明してある。「母の欲望を構造化する欠如」。
では「母の欲望」ってなんだろうと思うと「ファルスの欠如」と書いてある。
なるほど。「ファルスの欠如を構造化する欠如」のことをファルスというのか。実に論理的である。でも、何のことか分からない。
あるいは次のような文章はどうだろう。
「ナルシスの三角形において、主体は『想像的父』と『原初的母』に挟まれてナルシシックな自己同一化を行う。すなわち主体は母の欲望(−φ)に導かれて、想像的父(φ)と同一化しようとする。つまり子の欲望は想像的ファルスであろうとするのである。しかしこの状態が続けば主体は常に−φ に吸引されるような力(あるいは−φへと押しやられる力)を受け続けるであろう。ここで主体は−φ を強く忌避(アブジェクテ abjecter)して、それをスプリング・ボードとして象徴界に参入するのである。シニフィアンは堪え難き−φ に抑圧の蓋をしてくれるのである。こうして『象徴的な父』としての第一番目のシニフィアン(=父−の−名 Nom-du-pere)の介入、すなわち原抑圧(Urverdrangung)が生じる。ここでアブジェクトされた母の欲望(−φ)は、ファルスのシニフィアン(Φ)によって抑圧される。この想像界から象徴界への異質な接合によって『母にとってのファルス(φ)でありたい desir d'etre le phallus 』という『存在の欲望』は、『父のようにファルス(Φ)を持ちたい desir d'avoir le phallus 』という『所有の欲望』に変換される。」(p.25)
たしかにラカンの解説書を読むと、これとほとんど同じような文章にたびたび出会う。しかし同じ文章をあちこちで10回読まされたからといって、それで何かが分かるようになるというものではない。
これはエディプスについて述べたラカン理論の基本的な命題の部分である。別に素粒子がどうしたとかブラックホールがどうしたというような、専門的な世界の話ではなく、エディプスという私たち自身の「人間的成熟」にとって死活的に重要な経験について語った部分なのである。
私にとっても切実な経験である以上、それについてラカンやあるいは藤田が何を「知っている」のかぜひ教えてほしいのだが、こういう語り方をされたのではとりつく島がない。
ある種のジャルゴン(ある職業、集団の内部でのみ通用する特殊語法)を用いれば語れるが、用いなければ語れないような情報。私の知っている言葉、私が使い慣れた概念には絶対に言い換えることができないような知。そういうものがあるのだろうか。あるのかも知れない。
しかし、なぜ藤田には「ラカンを読む以前の藤田の知っている言葉や使い慣れた概念には絶対に翻訳できない知」への「命がけの跳躍」ができて、私にはできないのだろう。
この本のなかの私にも理解できる個所を読む限り、藤田は私とまったく異質な知的訓練を受けたわけでもないようだし、私の想像も及ばないような冒険を経てきたわけでもなさそうだ。にもかかわらず、藤田は「ラカンを理解する以前の藤田」から「ラカンを理解したあとの藤田」への跳躍を果たし得て、私にはそれができない。
なぜだろう。
ラカンのこういう文章を眼光紙背に徹するまで読んでいるうちに、ある日「ファルス」とか「アブジェクト」とかいうことが突然、「あ、あのことか」とピンときたのであろうか。
おそらくそうなのだろう。
では藤田にお願い。その「あ、あのことか」の「あのこと」を教えてほしい。「あのこと」とは「どのこと」なんでしょう。
藤田自身の何らかの個人的な経験(あるいは臨床医としての臨床経験でも構わない)と照応してはじめてこれらのジャルゴンは藤田にとって輝く叡智の言葉となったはずである。ラカン理論の解説をするというのなら、それを語ってくれなくては困る。
会社つとめをしたことのある方はご存知だろうが、そこで使われる業務用語のほとんどは「それが本当は何を意味しているのか」というラディカルな問いぬきで用いられている。営利企業で働いているサラリーマンの過半は「資本」の意味も「市場」の意味も「価値」の意味も「貨幣」の意味さえ、ほんとうは分かってない。(「おれは知っているぞ」と言う人はそれらの語を定義してみてください。)
でもそういう言葉をみんな使っているし、なんとなく「使い方」は分かるから平気で使っているのである。そういう言葉をみんなが使うように使っていると「仲間」にしてもらえるし、コミュニケーションもスムーズにゆくから使うのである。
「ほんとうはそれどういう意味なの?」という問いをむやみに発しないこと、「自分が熟知している単語や概念では語りきれない現象については(自分がほんとうはその意味を知らない)単語や概念を使って語るのが適切であるらしい」と納得すること、それが「大人になること」である。
それなら私も知っている。
それが「エディプス」という過程の重要な鍵であることも知っている。
「大人になること」とは意味のシステムが一種の同語反復であることに気づきながら、気づかないふりをすることであることも知っている。
それが「ジャルゴンを使って語る」ということの社会的機能である。
ある職業、集団の中においてだけ通用する語法を語るものは、「そのような語法を用いてでなければ語れない現象」を説明するためにやむなくその語法を用いているのではない。「そのような語法を操作しうるもの/操作しえぬもの」の間には決定的な社会的機能の位階差があるということをアピールするためにそうしているのである。
ジャルゴンを使用することの主たる目的は、「ジャルゴンが使用できること」を他人にショウ・オフすることである。(それは「核兵器」や「ブランド品」の所有と似た社会的行為である。)
同職集団内部でしか通用しない語法は、必ず無限循環に陥る。
それは「シャネル」のバッグの意味が「プラダ」や「ヴィトン」のバッグとの差異を通じてしか語り得ず、「なかにキャベツがすっぽり入る」というような、それ以外のレヴェルにおける使用価値をもってしては決して語れないのと同じである。
この点については藤田と私は珍しく意見が一致する。藤田はこう書いている。
「たとえばある言葉の意味を辞典のなかで探し求める時、わたしたちはそこでおこなわれているのが言葉の置き換え deplacement であることに気づくであろう。しかも、この置き換えに終着点はなく、ある言葉の『意味』は、常にある別の言葉によっていい還られてゆくから、このいい換えの連鎖は、辞典に収録された語彙の内部で永遠に循環し続けるのである。もし『終着点としての言葉 terme comme terminus 』があるとすれば、つまりすべての言葉の意味を総括するような言葉があるとすれば、それは辞典の中に姿を現さないような形で辞典そのものの成立を保証しているような逆説的な『言葉』であろう。」(p.236)
藤田のこの文章の中の「辞典」を「ラカンの著作」に置き換えると、それこそまさしく私の主張したいことである。
私の関心は「ラカンの著作に姿を現さないような形でラカンの著作そのものの成立を保証している逆説的な言葉」とは何だろう、ということにあるからである。
藤田はさらにこう続けている。
「この無限の循環を停止させて、どこかで安心するためには、人は『自ら信じるために自らの判断を正しいと信じる』という手続きによって一つの信仰の中に入ることができる。(・・・)この信仰は、すでに述べたように、自我を肯定する欲望によって産み出されている。」(p.237)
これはそのまま藤田自身とラカン理論とのかかわりを語っているように私には読める。というのは藤田はこの本の中でラカン理論の科学としての法外なまでの卓越性を繰り返し主張しているからである。
たとえば非ラカン派についてはこう書いている。
「肝要なのは、『語られた内容』ではなく、『語る主体が何を欲望しているか』を『知る』ことである。しかしながら、このようなディスクールの基本構造に気づかず、欲望に動かされて『意味づけ』をおこない、『分析 analyse』の代わりに『解釈exegese』を実行する分析家がいまだに存在する。心的な元型をもちこむ『解釈学』や特定の発達段階へ結びつける『還元主義』と錯覚されて継承された精神分析はすでにその資格を失っている。精神分析は本質的にそのような『意味づけ』や『還元』とは無縁なものである。精神分析とは欲望の実現形式をシニフィアンの連鎖のなかに捉え、『主体のシニフィアンへの関係』を動的構造として把握する『精神の科学』である。」(pp.46-47)
「精神の科学」であるラカン理論は非ラカン派の諸理説に優越するばかり、ついにはすべての科学に君臨する至上の学知の栄誉まで授けられる。
「従来の科学が『構造内における知の組み替え』であるとすれば、精神分析は『構造を可能にする諸条件の解明』を目指す『メタ科学 la metascinece』といえる。」(p.54)
自分が信奉する学知の卓越性を信じたいのは人間の情の自然であるから、藤田がラカン理論を称揚するのは怪しむに足りないし、精神分析は「メタ科学」であるという主張もあるいはその通りなのかもしれない。
ただ、ラカン理論というのが(藤田の言を信じるならば)「人はどのようにしておのれが信奉する学知の卓越性を信じるようになるのか」、「人はどのようにしておのれの分析方法の客観性を過大評価するようになるのか」、「人はどのようにして『自らを信じるために自らの判断を正しいと信じる』ようになるのか」についての分析的な知である以上、ふつうそのような学知の信奉者はおのれの信奉する学知の卓越性を進んで語るような危険は犯さないものである。
分かりやすく言い換えてあげよう。
「『私は賢い』と思い込んでいる奴はバカだ」という命題があるとする。この命題は経験的にはかなり多くの場合に妥当する。その結果、「『私は賢い』と思い込んでいる奴はバカだ」主義というものが成立したとする。そして、その「バカだ」主義者(めんどくさいから省略するね)が「バカだ主義は卓越した学知だ」と言い出した場合、周りの人はそれをどういうふうに眺めるだろう、ということである。
私はラカン派の人たちがバカだと言っているわけではない。(ときどき言いそうになることもあるが、自制している。大人だから。)ただ、いまのような論述スタイルを続けているかぎり、日本のラカン派の人たちが回りから尊敬と親愛のまなざしで仰ぎ見られるようになる日が到来するまでにはまだ多くの歳月が必要ではないかという気はする。(そういう日がまったく来ないという気もする。)
『私の「戦争論」』(吉本隆明、ぶんか社、1999)
吉本隆明の本を読まなくなってからずいぶんになる。たぶん15年くらい。そのころ吉本と埴谷雄高の「コム・デ・ギャルソン論争」を本屋で立ち読みしたのが最後である。
そのとき吉本は後期資本主義の消費文化の中で泡立つ「大衆」の物質的欲望に対してずいぶんと気前良い発言をしていた。その当時、私はレヴィナス先生のものを読み始めていて、吉本的な大衆主義とは正反対の「選ばれてあるものの有責性」をコアとする思想に強い衝撃を受けていたので、吉本がなんだかずいぶん俗っぽく感じられて、それきり無縁の日々になってしまった。
ひさしぶりに手に取った吉本のインタビュー本の中で、吉本はそのころよりさらに俗っぽく、凡庸になってしまったようで、少し悲しかった。
吉本が駄目だと思うのは、彼が「市民主義」や「既成左翼」や「ロシア・マルクス主義」をいまだに思想的な仮想敵としてむきになって攻撃しているところだ。
吉本だってほんとうはよく分かっているはずだけれど、60年代以降の彼の読者のほとんどすべては「市民主義」や「既成左翼」や「ロシア・マルクス主義」の周辺にいて、そこからこぼれ落ちてきた連中である。「進歩的文化人」と「戦後民主主義者」たちが手塩にかけて育て上げてきたそれらの青少年たちが年長者たちに対して少し懐疑的になって、「なんかおかしいんじゃないかな、これは」と思い始めたところに「受け皿」として埴谷雄高や谷川雁や三島由紀夫や江藤淳や吉本はいたわけで、いわばこの陣営は吉本の「草刈り場」だったはずである。
子供のときからの自民党支持者とか、生まれてはじめて読んだ本が浅田彰だったというようなポストモダン・キッズや、(吉本の大好きな)「大衆」たちは吉本の本を手に取ることなく一生を終える宿命にあり、吉本の「本音」や懐疑に共感できるのは、逆説的なことだけれど、「戦後民主主義・市民主義者」の裾野にいる子供たちだけだったのである。
今その「戦後民主主義」と「市民主義」の命脈が尽きかけている。吉本はそれを「ざまあみろ」という。だけれど、私は「それだと吉本も飯の食い上げだぜ」と思うのである。左翼のメイン・カルチャーが強力で、そこに知的・人的なリソースが集中するときには、それを厳しく批判する吉本的なサブ・カルチャーには主流からの脱落者がどんどん供給される。けれどメイン・カルチャーが涸れてしまったのでは、吉本の店にももう人は集まらない。
そのような相互依存的・相補的な「敵対」関係のダイナミズムのうちに吉本の思想の生存条件があり、そこ以外にはない、ということを吉本は気づいていないようだ。あるいはうすうす気づいてはいるけれど、正面切って意識化したくないのかもしれない。
このインタビューも腰巻きには「小林よしのり『戦争論』を批判する!」とうたっている。
けれども、吉本には小林よしのりを批判するてがかりがない。だって小林よしのから戦後民主主義批判を取り除いたら、主張らしい主張はないからだ。
吉本にできるのはせいぜい抽象的な国家論を吹きかけるか、「ほんとうの戦争はそんなもんじゃない」という経験主義的なおじさんの切り口上しか言うことくらいしかない。
だけれど、小林よしのりは「国家の廃絶」などという抽象論にはとりあわないだろうし、戦争を知らない以上、吉本の経験主義的な恫喝にも答えようがないだろうから、この批判には「対話」の回路がない。つまり吉本の小林批判には生産的な議論を呼び起こす可能性がない。
この本の看板であるはずの「新しい歴史教科書を作る会」批判にしても、「作る会」の歴史教科書批判の原理的な主張のかなりの部分を肯定し、会長の西尾幹二についてもその歴史観に高い評価を与えている。
だから、吉本が左翼思想史でどういう影響力を行使した人物であるかを知らない人がこのインタビューを読んだら、とにかく戦後民主主義と共産党が大嫌いで、江藤淳とか石原慎太郎に近いポジションの人で、たぶん主要な投稿誌は『諸君!』と『新潮45』あたり(「そのわりにはマルクスをずいぶんほめていたけど・・・」)という印象を持つだけで、さしたる思想的刺激を受けることなく終わるだろう。
小林よしのりや「作る会」の支持者も、吉本のこの本を批判的なものとしては受け止めないだろうと思う。
「要するに、おおすじでは私たちの言っていることは正しいと認めているんでしょ、この人は」。
吉本が「私とお前たちは違う」といくら力んでも、その差異のうちに深い思想的な深淵がひそんでいると彼らは決して思わないだろう。
歴史的状況の推移は「あの吉本隆明」をそのような位置に押し流してしまったのである。
吉本が分かろうとしないのは、吉本の批判や洞見を痛切に受け止め、そのメッセージを解読しうる語法を知っているのは実は戦後民主主義者たちと市民主義者たちだけだ、という逆説である。その陣営が壊滅したとき、吉本思想の歴史的意義を理解できる読者もまた消滅するのである。
繰り返し主張しているように、戦後民主主義者で市民主義者でリベラルでインテリな「日本のおじさん」は日本の宝である。この「空虚な中心」に知的・人的リソースが集中することに、すべてのカウンター・カルチャーの生き残りはかかっている。
私は吉本と違って、自分がこの「日本の宝」に物質的にも思想的にも「寄生」していることを熟知している。たしかな「正系」あっての「異端」である。本体が衰弱してしまってはそれを攻撃することで食い扶持を得ているものは共倒れするしかない。
吉本のいまの思想的挑発は、死にかけている病人の患部をさらにメスでえぐっているようなものである。その「メス」はその「病人」の皮膚しか切り裂けない特殊な用具であり、「病人」の死とともに医療器具としての有用性をすべて失うということを知らずに。
もうひとこと、どうしても納得ができなことがあるので書いておく。
吉本は阪神大震災についてこう書いている。ちょっと長いけれどそのまま引用する。
「戦後民主主義は『平和が大切だ』『平和を守れ』と、いつも声を大にしていってきました。ところが、阪神大震災では、平和なはずの日本の神戸、大阪という大都市で、あわせて五千人以上もの人が一挙に死んでしまった。戦争中だって、そんなことはやたらにあることじゃありません。これは、広島、長崎の原爆犠牲者や、東京大空襲による犠牲者に次ぐ規模の死者の数です。『平和が大切だ』『平和を守れ』という戦後民主主義者のお題目や理念は、自然が起こす災害の前ではなんの役にも立たなかったということが、そこでハッキリしちゃったんです。実際に役に立ったのは誰かというと、自衛隊や、ダイエーをはじめとする企業、わずかの労組、それにやくざの山口組などです。(・・・)戦後民主主義者は一体何をしたのか?『何もしてねえじゃないか』『何の役にも立たなかったじゃないか』ということが、誰の目にもハッキリしちゃったわけです。本当を言えば、ソ連が崩壊してロシア共産党が政権の座からすべり落ちた時点で、戦後民主主義はもう終わりなんです。」(p.81)
吉本よ、これはひどい。これはロジック以前だ。
阪神大震災の救援活動はどう考えても政治思想の水準の問題ではない。「戦後民主主義」が給水車を運転してきたり、パンを配ったり、トイレ掃除をできるわけがないではないか。そんなことはいかなる政治思想にも不可能である。いかなる政治思想にもできないことを「できなかった」からといって死刑宣告してよいものだろうか。
かりにいまの吉本の文章の中の「平和」の代わりに「自立」を、「戦後民主主義」の代わりに「吉本隆明の政治思想」を代入して見ればどうだろう。その文章はそのまま「生きてしまう」。最後のフレーズの「ソ連が崩壊してロシア共産党が政権の座からすべり落ちた時点で、吉本隆明の政治思想はもう終わりなんです」というところまで含めて。
吉本はそのような推論は論理的でないと怒り出すだろう。だったら、他の政治思想に対してもそういうことをしてはいけない。
これはきわめて低劣なプロパガンダである。戦後民主主義を批判したいという気持はよく分かる。けれども、これはいけない。少なくとも60年代の吉本はこのような危うい詭弁を弄する人ではなかった。
さらに一言言わせてもらう。
私が震災の中でしみじみ感じたのは、市民たちの自己責任と自己統御の能力であった。市民たちは、だれに指示されるまでもなく、行政や自衛隊ややくざや労組の救援に頼るよりさきに、まず自分たちの小さな地域共同体を自主的に管理しようとした。
私は芦屋市立山手小学校の体育館に三週間被災していたが、いちばん印象に残っているのは、暗がりのなかでひとり黙々と仮設トイレの掃除をしている校長先生の姿だった。
この小さな共同体で、力あるものはその力を、技術をもつものはその技術を、それぞれに集団に差し出して、弱いものをかばい、傷ついたものをいたわろうとしていた。そのことに私は感動した。
さらに私事にわたるが、震災直後、私に必要なものがあるかどうかをたずね、私が「ガスボンベがあればたすかる」と言ったとき、京都の自宅からリュックにせおって大量のボンベを差し入れてくれたのは共産主義者の同僚であった。
だから私の震災体験はどのような意味でも「戦後民主主義の終わり」などはではない。むしろ私は震災の経験を通じて、戦後民主主義の良質な部分は「まだ生きている」と感謝をこめて実感したのである。
『フェミニズムの害毒』(林道義、草思社、1999)
林道義というひとはユング派の心理学者だとばかり思っていたが、『諸君!』などのメディアでフェミニズム批判を展開して悪戦していたようである。知らなかった。
その論争文をまとめた本がこれである。
題名がすごい。『フェミニズムの害毒』。全面戦争である。
20世紀末の現在、大学の男性教師で「フェミニズムに反対」と公言しているひとはきわめてレアである。東京女子大の先生で学名高いユンギアンがまるで専門違いのところに踏み込んで「フェミニズムはいかん」と雷を落として、そこらじゅうのフェミニストと論争している。なかなか壮観である。
林の立論そのものは100%「常識論」である。
林が書いていることはだいたい次のようなことである。
夫婦は平等のほうがいい。子供は小さいときは母親が親しく育てる方がいい。父親も子育てに参加すべきでである。個人と国家の中間には家族、地域社会など中間的な公共的集団が介在したほうがいい。近代家族制度のプラス要素はきちんと評価したほうがいい。保育園にゼロ歳からあずけることにはデメリットのほうが多い。社会全体で家族崩壊・母性喪失が進行しているが、フェミニストたちには危機感が希薄であり、むしろそれを歓迎しているふうが見えるのはけしからんことである。フェミニズムに理解を示すのが男性インテリの条件みたいになっているのはよくない。『朝日新聞』の家庭欄からは近年アンチ・フェミニスト的な言説は組織的に排除されている。『わいふ』の田中喜美子はひどいやつだ・・・などなど。
私はこれらの主張に基本的には(田中の件を除いて)賛成である。これは「日本のインテリ・リベラルおじさん」の常識である。田中についても、実はその昔、田中が主宰している主婦の投稿誌『わいふ』のミリタントな活動家であった友人とフェミニズムをめぐってけっこう長期にわたって論争したことがあり、縁がないわけではない。そのとき『わいふ』も何冊か読んだ。でも田中の書いたものは何も読んでないので、論争についてはどっちに理があるか分からない。(林の引用箇所を徴する限りは、田中のほうが悪そうだけれど。)でも、こういう論争はどちらにとっても得るところはないような気がする。どんどん話しのスケールが小さくなっていって、最後は『信濃毎日新聞』に二人が寄稿したときの行数がどうだとかこうだとか、あまり大の大人が口にするようなレヴェルのことではないことが論じられていた。
ともあれ、林はただ「日本のインテリ・リベラルおじさんの常識」を語っているだけである。それほど突拍子もない意見を言っているわけではないし、調べがつく範囲のことはきちんと調べている。しかしこの程度の常識論を語るのにこれほど気負わなくてはいけないというのがいささか問題だ。文章を読むと、怒りにわなわな震えているという感じがひしひしと伝わってくる。学術性ということを熟知しているはずのひとがこれだけ冷静さを忘れてしばしば感情的になるのをみると、よほどフェミニズムに対してルサンチマンがたまっているのであろう。気の毒である。
私は林とおおすじでは意見を同じくするが、戦略はだいぶ違う。
私はくやしい思いをするがいやだし、感情的になるのもいやだし、自分が「よくない」と思う人の本を批判のためにがりがり読み込むというのも気が進まない。
私は論争しない。フェミニストが論争をしかけに寄って来たら裸足で逃げ出す。フェミニストに言い込められたらくやしいし、私がフェミニストを説得して彼女たちの理論的過ちをみとめさせる可能性はゼロだからだ。無断なことはしない。
そんなのはぜんぜんフェミニズムについての内在的批判になっていないではないか、とおしかりになる方がいるかも知れない。
そうです。おっしゃるとおりです。
私はフェミニズムの内在的批判ができない。なぜなら私はフェミニストには「それなりの正しさ」があると思っているからである。もし私が女に生まれていたら上野千鶴子になっていた可能性を払拭しきれないからである。(悪夢のような想像だが)
フェミニズムはその論理的不整合性をいくら衝いても揺るがない。なぜなら、それは人間の深奥から立ち上ってくる根源的な力に賦活された思想だからである。
フェミニズムは「欲望を解発したい」という衝動と、「集団より個人を優先させたい」という衝動を動力源にしている。これらはいずれもこれまでは公然と口にすることがはばかられる言葉である。
近代社会は「欲望をコントロールして、規範に従うこと」と「家族をつくり、その中でのロールプレイングに徹すること」ことを基本ルールにしてきた。自分の欲望を公然と口にし、それを優先的に追求する生き方は、「恥知らず」なことであり、その場で期待されている役割演技を正しく演じきれないものは「礼儀知らず」として強い非難を受けた。
フェミニズムはその近代ルールを正面から否定した。自己実現と自己の欲望の充足を集団および他者のそれよりも優先させる生き方を「より人間的である」として肯定したからである。
「母親(あるいは妻、あるいは娘)である前にひとりの女でありたい」「集団の歯車であるより前にひとりの人間でありたい」というのはフレーズはフェミニズムの基幹的な主張である。これは要するに社会を解体し、文明を捨てて野蛮に還るということである。
ロックやホッブスの古典的な説明によれば、文明というのは定義上「個人が欲望達成と自己実現をとりあえず断念して、それを社会契約に基づく集団の一員として、迂回的に実現する方を選んだ」ときに、つまり「ひとりの人間であるより前に、集団の一員であること」を優先したときに発生したのである。それが文明社会というものである。
勘違いしてもらっては困るが私はべつに「社会を解体し、文明を捨てて野蛮に還る」ことが悪いと言っているのではない。私自身、そういう看板を掲げて走り回ったことがあるくらい、これは魅力的なテーゼである。文明社会というのはけっこういやなものである。それは私の中にある「集団や規範なんかどうだっていい、自分のやりたいことをいまここでやりたい」「他の人たちなんかどうでもいい、自分さえよければそれでいい」というリアルでエゴサントリックでストレートな欲望を抑圧する。
ときどき「感性の無限の解放を」とか「欲望に市民権を」とか「エゴイスティックでなぜ悪いの?」とかいう対抗的な思念が抑圧を吹き飛ばして出現するのは当然なのだ。
私はこのような対抗イデオロギーに必然性があることを認める。(シュールレアリスムに必然性があったように、60年代のカウンター・カルチャーに必然性があったように、中国の文化大革命に必然性があったように。)「システム」のうちにちぢこまって、人間としての潜在的な可能性を冒険的なしかたで試してみようとしないいじけた近代人に対する強烈な「ノー」の言葉として私はそれを受け止めている。
だから、フェミニズムが近代的システムの硬直性や停滞性を批判する対抗イデオロギーであるかぎり、近代文明に対する一種の「野性」の側からの反攻であるかぎり、それは社会の活性化にとって有用であると私は思っている。だが、有用ではありうるが、それは決して支配的なイデオロギーになってはならない質のものである。(ヒッピー・ムーヴメントや毛沢東思想やポルポト主義が支配的なイデオロギーになってはならないのと同じ意味で。)それは「異議申し立て」としてのみ有益であり、公認の、権力的なイデオロギーになったときにきわめて有害なものに転化する、そのようなイデオロギーである。
私はフェミニズムが社会を活性化する対抗イデオロギーにとどまる限りその有用性を認め、それがある程度以上の社会的影響力を行使することに対しては反対する。これはおそらくフェミニストからすると「いちばん頭にくる」タイプのアンチ・フェミニズムであるだろう。
だから、私にもフェミニストのお友達がいるけれど、その人とはフェミニズムについては決して議論しないようにしている。(必ず怒らせてしまうから。)同様にマルクス主義者の友だちとはマルクスの話はしないし、キリスト教徒のともだちとはキリスト教の話はしない。(必ず怒らせてしまうから。)
それでも私がフェミニストとお友達でありうるのは、彼女の知性や判断力や責任感や役割演技能力を高く評価しているからである。私にとって重要なのは、その人の奉じる社会理論ではなく、その人の人間的資質である。
大事なのは、「その人が奉じるイデオロギーとその人の人間的クオリティはとりあえずあまり関係ない」という事実を論争の中で見失わないことである。
林はそこで踏み誤っている。
カール・ポッパーが『開かれた社会とその敵』で書いているように、ある種のイデオロギーは「それを批判することがただちに批判者の知的・道徳的に劣等性の証明となる」という反論不能の構造を持っている。そのようなイデオロギーには異論との「対話」の回路がない。あるのは「批判」と「教化」の回路だけである。フェミニズムはマルクス主義からその構造を受け継いだ。だからフェミニズムと正面から論争するものは(林の場合がそうであるように)つねに相手の論理構成を反転させた「批判」と「教化」の言説を語ってしまう危険にさらされている。現に林は「フェミニズムに反対するものは知的・道徳的に劣等である」という不当前提を批判しているうちに、「フェミニズムに賛成するものは知的・道徳的に劣等である」という不当前提をいつのまにか採用している。これでは「ミイラ取りがミイラ」である。
私はそんな林にかなり同情的である。いじらしい、と思う。それは「日本のインテリ・リベラルおじさん」は「日本の宝」だと思っているからである。
皮肉ではなく私はそう思っている。誰が何と言おうと、この人たちが戦後日本を支えてきたのである。私のような人間が好き勝手なことをして生きてこられたのは、(うちの父ちゃんや兄ちゃんに代表される)この「インテリ・リベラルおじさん」たちの忍耐と勤労の成果を私が収奪してきたからである。
そういう人たちにあまり力まれては困る。
おじさんたちがあまりイデオロギー的に尖鋭化することを私は好まない。「フェミニズムですか・・・うーむ、あれもあんまり過激なのは困るね」くらいのところで止めておいてほしい。全面戦争なんかしてほしくない。
フェミニズムを批判なんかしている暇に、妻と親しんだり、子供たちと遊んだり、学生の相談にのってあげたり、困った人を助けてあげたり、私のような人が「システム」から落ちこぼれないように暖かく見守ったりしてしている方がよいと思う。田中喜美子の本を怒りながら読むよりは『虞美人草』でも読んでいる方がみんなのためだと思う。そういう等身大の穏やかな営みをつうじて家族と地域社会と職域の集団を支えてゆくのがおじさんの「王道」だろうと思う。
「おじさんの王道」。
よい言葉だ。
「正しい日本のおじさん」の生き方をいかに綱領化するか、それが現在の思想的急務であると私は思う。
というのも「フェミニズムの害毒」へのもっとも適切な対応は、青筋を立ててとアンチ・フェミニズムの論陣を張ることではなく、太っ腹なファーザーシップによって「劇薬」を希釈して「良薬」に転化する以外にないからである。
『ヒバクシャ・シネマ』(ミック・ブロデリック編、1999年)
柳下毅一郎の日記に感想が書いてあって面白そうだったので早速買って読んでみる。こ、これは面白い。とくに面白かったのはドナルド・リチーの『「もののあわれ」−映画のなかのヒロシマ』とチョン・A・ノリエガの『ゴジラと日本の悪夢−転移が投射に変わる時』の二編。
リチーの論文は1961年のものだが、そこで示されている洞察は40年近くたった現在でもまったくその鋭さを失っていない。というより、柳下が言うように、この40年間、日本の批評がこの問題に関してまったく考察を深めることができなかった、ということのほうが問題かもしれない。
リチーは被爆という経験を日本人がどのように「解釈」して、それを受け容れようとしていったか、についてクリアーな分析を行っている。その所論を箇条書きにまとめてしまおう。
(1) 日本以外のほとんどの国は、アメリカの原爆投下をソ連を牽制するという政治的計算の上になされた「残虐行為」としてとらえた。
(2) しかし、終戦直後の日本人は原爆をアメリカが戦略的意図から断行した軍事行為としてではなく、「戦争のように、死そのもののように、誰にもコントロールできないもの」「不可抗力(act of God)」として受け容れようとした。
(3) したがって「戦争直後の占領期には、当の日本人よりも、占領している側のアメリカ人やイギリス人の方がヒロシマ・ナガサキのことをはるかに辛く感じているかに見えた。おそらく、実際にそうだったのだ。」
(4) 占領下の日本人は(明治維新以来つねにそうしてきたように)西洋からの占領者にすり寄り、その願望を先取りするという仕方で敗戦の経験をクリアーしようとした。だから、日本人がまず最初に受け容れたのは、占領当事者であり、原爆投下者である当のアメリカ人自身の原爆に対する嫌悪感と罪悪感であった。「日本人が同化したのは占領当局者の姿勢だったのであり、これがヒロシマという象徴の最初の解釈の構成要素となったわけである。」
(5) しかし日本人が西洋の文物(原爆についての罪悪感もここに含む)を取り入れる場合は、かならずある種のモード変換が行われる。それはすべての人間的営為を「はかないもの」「うつろいゆくもの」「諸行無常」という包括的な悲しみの感情のうちに流し込む、というモードである。「これは死や災害に対する(すでに一定の期間が過ぎてしまった後の)真に日本的な姿勢である。」この姿勢はこの時期の原爆映画にはっきりと現れている。『原爆の長崎』(1952)、『長崎の鐘』(1950)、『長崎の歌は忘れじ』(1952)など
(6) しかし、占領期間が終わると、それまで抑圧されていたアメリカに対する「恨み」が前景化する。このルサンチマンを政治的に最大限利用しようとしたのは共産党である。だから、この時期(1952−1960)に製作された原爆映画はそのほとんどが共産党員の監督による作品である。『ひろしま』(関川秀雄)『生きていてよかった』『世界は恐怖する』『ヒロシマの声』(亀井文夫)、『原爆の図』(今井正)
これらの「原爆映画には圧倒的に政治志向のものが多い。その結果、映画製作者の大多数はこのテーマを避けるようになった。このテーマを扱うものは、少なくとも観客の眼には、政治的に左派にコミットしているように映るからである。共産党はあまりに頻繁に原爆を政治的武器として利用しすぎた。」
(7) 大手の映画会社は被爆というトラウマに「怪獣映画」をもって映像的(かつ興行的に)に対処した。『ゴジラ』(1954)にはじまるシリーズにおいて「これらの映画の寓意はすべて同じだ。日本は怪獣に荒らされる。その怪獣たちは(・・・)科学技術的ノウハウで倒される。(・・・)世界は自滅を懸念している。」
ゴジラの最後はつねに「もののあはれ」をたたえている。そこには世界の自滅をまえにした不安という以外には、いかなる道徳的コメントもない。
リチーの仮説を図式化すると、「被爆経験」というトラウマの映像的な受容には三通りのパターンしかない。
(1) 悲しみ(黙示録的映像)=アメリカとの同一化
(2) 怒り・恨み(左翼的・社会派的告発映画)=ソ連との同一化
(3) 恐怖(怪獣映画)=日本固有のトラウマ処理法
ヒバクシャ・シネマは時代的には(1)→(2)→(3)というふうに移行してきたことになる。(50−60年代に影響力をもっていた(2)のパターンが消滅したのは、ソ連と中国が相次いで原水爆実験を開始したため、包括的な原水爆反対運動そのものが左翼にとって政治的には使い勝手の悪いものになってしまったからである。)
結局、リチーの分析から40年、私たちの手元に残されたヒバクシャ・シネマは「怪獣映画」だけになってしまった。つまり日本固有のトラウマ処理機制はいちおうの完成を見たわけである
原爆が誰の責任で投下されたのか、なぜ投下されなければならなかったのか、どうやって同じ災禍の繰り返しを阻止するか、といった問題はすべて棚上げされる。
怪獣映画の基本構造は、「ある日突然、怪獣がやってきて、日常生活を破壊する。あれこれ対処するが、どれも決定的ではない。偶然、思いついたその場しのぎの便法が奏功したのかどうか、とにかく、怪獣は立ち去る(でもきっとまた来る)」というものである。
これは要するに、「怪獣は何ものか」、「なぜ怪獣は来るのか」、「どうやれば怪獣を効果的に、恒久的に排除できるか」という基本的な問いをごっそりネグレクトしたプロットなのである。
しかし、ノリエガの『ゴジラと日本の悪夢』によれば、怪獣映画のシリーズ化によって、「ゴジラ対策本部」のメインの仕事は怪獣を倒すという軍事的なものから、「ゴジラは何を望んでいるのか?」という心理学的な問いへとシフトしているそうである。(そう言われてみると、近年のゴジラ映画では「ゴジラ対策本部」のインテリアや職員たちの制服は「軍事基地」というよりは、「ハイテク医療施設」という印象を与える。)
怪獣は暴力的に抑圧すべきものであることを止めて、臨床的な「治療」の対象、対話の相手へと変貌しつつある。
そういうふうにして、日本人は原爆という「抑圧された不安」を、ゴジラ映画を通じて「過去の再解釈、あるいは再テクスト化」しようとしているのだそうである。
「とほほ」という以外に言葉がみつからない。(6 Sept)
『文化の読み方/書き方』(クリフォード・ギアーツ、森泉弘次訳、岩波書店、1996)
遊びに来た日文研の人類学専攻の院生さんとレヴィ=ストロースの話をしていたら、「レヴィ=ストロースはもう乗り越えられている」と聞かされて、びっくりした。どうも人類学の専門家のあいだではクリフォード・ギアーツというひとが完膚無きまでに批判し切ったということが「常識」として受け容れられているらしい。
おっとっと。
そういう大事なことが私の知らないあいだに決まっているとは困ったものだ。これほど不勉強では人文科学の教師としては致命的だな。
しかし、言わせてもらうが(そのときもそうやっていいわけしたのだが)、私のように家事や宴会や武道の稽古やお謡の練習やホームページのアップデイトに忙殺されていると、たしかに学術情報収集のための時間は激減する。だが、その代わりに、情報「感度」が代償的に向上するのである。つまり、必要な情報と不要な情報の選別が「不要な情報が全然耳に入ってこない」というかたちで無意識的に行われるのである。
読まなければならない本はある種の「オーラ」を発して、あちらの方から、私に近づいてくる。だから本屋でぼおっと30分も歩き回って、本の呼びかけに耳を傾け、新聞の全面の新刊広告を見るともなしに見ていると、ちゃんと買いたい本が眼に飛び込んでくるのである。
私はそうやって誰にも教えられずにエマニェル・レヴィナスや矢作俊彦や小田嶋隆や黒田鉄山と出会った。(小田嶋にいたっては本さえ出ていなかったけれど出会ってしまった。)
だからクリフォード・ギアーツのレヴィ=ストロース批判が私の知るところでなかったのは、私の解釈によれば、その情報が私にとって、それだけ力強い「オーラ」を発していなかったということである。
それに、実を言うとギアーツのその本は私の本棚、私のパソコンの右、約25cmのところに半年前から鎮座していたのである。
「けっこうおもしろいですよ」と言って日文研の別の院生さんが(たまたま読書会でベネディクトの『菊と刀』を読んだときに)貸してくれたのだが、なんとなく気が進まなくてそのままにしておいたのである。この本は、半年間毎日私の座右にありながら、私が感応するほどのオーラを出していなかったわけである。
これはちょっと問題である。
私のオーラ感度が落ちたのか、それともギアーツがそれほどたいしたことはないのか。いずれであろうか。
という非常に重要な岐路に立ちつつ、私はギアーツのレヴィ=ストロース批判をひもとくことになった。
結論から言えば、私の「オーラ感度」は落ちていなかった。
ギアーツの文章はテリー・イーグルトンに少し似ている。
「一回ひねり」の批判をもう「一回ひねって」批判しなければいけないひとは「・・・ではないわけではない」という二重否定文を多用することになる。(場合によると「・・・ではないわけではないわけではない」という三重否定にまでゆくことがある)
それが文ではなく論理のレヴェルで延々と展開する。
この論理レヴェルでの多重否定文では、読者はなかなか「着地」することができない。読者は判断保留したまま、うねうねと続く否定辞の羅列に耐えて「ずっと息を止めていられる」能力を要求される。(私はこれをひそかに「論理の肺活量」と呼んでいる)
ポストモダンの思想家には「肺活量」に自信のあるひとが多いらしく、私のような息が浅くて、「早い話、何が言いてえんだよ。ひとことでいってくれい」タイプの人向きではない。
ギアーツの肺活量もかなりなものであるので、彼が言いたいことを私なりにまとめさせていただくと、次のようなことになると思う。
(1) 人類学者は「そこ」へ行って(行かないひともたまにいるが)「われわれではないひとびと」の生活を観察する。
(2) 人類学者はその観察を「われわれの」世界で有意であるような言説編成に基づいて言語化する。
(3) 人類学者は「そこ」から帰ってから、「定年まで教室で講義したり、同僚と論戦をたたかわせたりしてすごす」。
(4) 民族誌的言説が「われわれの」世界で繰り返し再生産されているのは、それが「西欧とその他者−非西欧的世界−とのある種の関係を維持せんとする持続的な努力」として有意であるか、あるいは西欧内部のアカデミックな位階制内部での知的プロモーションを益するか、いずれかの理由による。(なんだかギアーツ文体が感染してしまった。要するにグローバル・レヴェルでの「植民地主義」とドメスティック・レヴェルでの「出世主義」が民族誌的言説の生産をドライブしてきたということである。あまり分かりやすくなってないな。)
(5) 民族誌とは、「そこ」におけるなんらかの客観的事実の記述ではなく、「ここ」の語法で語られた「そこ」についての「実話物語」である。
(6) ということが分かっていない人類学者が多くて困る。(「うぬぼれ」屋のレヴィ=ストロースとか)
(7) とはいえ、原理的にはどのような知も「実話物語」であるほかないと言いっぱなしでは無責任だ。(それではとんまなポストモダニストと同じではないか)
(8) 「そこ」のひとびとと「ここ」のひとびとのあいだの生活様式や経験の記述様式の差異を超えて、なお「そこ」と「ここ」を結びつける可能性がある学知ということになると、やはり人類学にはがんばってもらわないといけない。
(9) それぞれの世界に閉じ込められているひとびとが「互いに意志を通じ合える言説を発見しうる可能性をひろげること」が人類学の責務である。
というようなことではなかったでしょうか。
このようにまとめさせて頂いたかぎりでは、私はこの主張に全面的に賛成である。
賛成である、というより「人類学」と「テクスト研究」という違いはあるが、これは私自身が学問的方法の方向性として、久しく主張していることである。
しかし、私程度の三流学者がずっと前から、(悪いけどずっと平易な)文章で主張していることである以上、あえて呼吸困難に耐えつつ読む必要があるようには思われない。
もちろん私が見落とした深遠な知見が行間の随所にはあり、それこそがギアーツの主張の神髄であるという可能性は排除できない。しかし、悲しいかな、私は見落としてしまった。おそらく深遠すぎたのであろう。
しかし、深遠なことは、なにしろ深遠である以上、できるだけ平易に、繰り返し、噛んで含めるように、強調しないとなかなか伝わらない。
「互いに意志を通じ合える言説を発見しうる可能性を広げ」たいとギアーツさんが本当に願っているなら、その努力を惜しんではいけないと私は思う。(私はかなり「惜しんでいた」と思う。)
ギアーツのレヴィ=ストロース批判について一言だけ付け加えておきたい。
ギアーツはレヴィ=ストロースの仕事についてきわめて辛辣であり、意味のある仕事は初期のいつくかに限られているとまで酷評している。
「彼の全生涯は、その骨子において、1950年代に書かれた『神話の構造主義的分析』の中のわずか30頁程度にすでに展開されている。それを除くと、あとは途方もなく長い脚注である。」(p.42)
大胆なご発言である。当否はともかくこの大胆さには脱帽。
話は変わるが、私はこのたび『現代思想のパフォーマンス』という本でレヴィ=ストロースの項目を執筆した。それはレヴィ=ストロースの思想についての解説とレヴィ=ストロースの方法の「使い方のマニュアル」と「絶対に読んでおくべき数頁の抜粋」から構成されている。
レヴィ=ストロースの神髄を伝えるテクストをどこから抜粋すべきか、私はあれこれと著作をひもといた。そして結局、『親族の基本構造』でも『野生の思考』でも『神話学』でもなく、「1950年代に書かれた『神話の構造主義的分析』のなかのわずか」数頁を選んだのであった。
なんだか、ギアーツさんにほめられたようで、うれしい。
『ラカン派社会学入門』(樫村愛子)
フロイトの精神分析理論を社会現象に縦横に適用してみせて岸田秀がおおいに洛陽の紙価を高めたのはもう20年も前になる。岸田の仕事が面白すぎたのか、岸田以後、(河合隼雄のものを除くと)精神分析を使った社会理論で私が読んで面白いと思ったものは一つもない。
この20年というのは、ラカン派理論が覇権を唱えた時代である。猫も杓子も「鏡像段階」だの「シニフィアンの連鎖」だのということばを使いだしたにもかかわらず、そういう概念を使って、文学であれ社会現象であれ、「快刀乱麻を断つ」というような分析を行った研究を寡聞にして知らない。誰かがラカン理論を使って岸田秀のような仕事をしてくれないかしらと楽しみに待っているのだけれど・・・
仏文学会でも毎回のようにラカン「について」の研究発表があるが、ほとんどが「ラカンのこの概念はどういう意味か」という訓詁学の域を出ない。(分科会の聴衆はせいぜい20人くらいで、それも半分くらい眠っている。)おそらく、ラカンさまのご卓説をどれくらい敬虔に読み込んでいるか、という勉強量についての査定が「足切り」として機能しているのがいけないのだろう。質疑応答もほとんどが『セミネール』の何巻の何頁にはこれこれという箇所があるが、あなたはそれを読んだかというような「ラカン・トリヴィア・クイズ」に終始している。まったくカルトな世界である。
そういうことがやりたいなら、全領域横断的なラカン学会でも結成して、そこでやればよいと思うのだが、そういう場では、仏文学者なんか、臨床の現場から来た分析医からはまるで相手にされないことが確実なので、しかたがなくて「素人ばかり」の仏文学会でカルト・クイズをしているのであろう。
しかし、とにもかくにも人間の心理に関する一般理論なのである以上、ラカンをつかった文学研究があってもよいではないかと思うのだが、そういうものは管見の及ぶ限り一つも出てない。一つもないのである。よほど「検閲」がきついのであろう。(検閲の構造を暴露しているはずの理論が検閲として機能しているというのが笑えないアイロニーである。しかし、それはイデオロギーの構造を解明しているはずのマルクス理論が一貫してイデオロギー的に機能してきたのと同型的ある。)
そういう否定的状況のなかで『ラカン派社会学入門』という題名の本をみつけて「やられた」と思った。当然これは『ラカン派文芸批評入門』とか『ラカン派映画批評』というような本が先に出てなければいけないのである。
ほらみたことか、英米系の方法論でごりごりやっている社会学者がラカンをツールとして気楽に使っているのに、足下の仏文は訓詁学から一歩も出ないんだから・・・と愚痴をこぼしつつ、「ラカンをツールとして気楽に使っている」社会学者の本だと思って読んでみたら、なんだか様子が違う。
結論を先に言うけれど、この本もまたある種の訓詁学であった。ラカンの概念の(あまり分かりやすいとはいえない)解説と、社会学の方の最新流行ジャルゴンがちりばめられていて、眼がくらくらしてしまった。
例えばラカンの解説というと、こんな具合だ。
「しかし主体の存在にとっての欲動の特権性とは、それが主体の運動と認識の出発点にあるというだけでなく、他者を経由した主体の高度な存在と認識においても、その発展物が現実的に駆動している点にある。これまで見たように、欲動=対象は実際には『移行対象』と『幻想』の運動で、いわば単純な振動性から一定の揺らぎをはらんですでに展開され高度化されたものである。それは振動と言うよりリズムに近く、つまり線形でなく非線形の構成をもち、さまざまな夾雑物(規則性からはずれる要素)を含んでいる。」(p.162)
これはフロイトの『快感原則の彼岸』の有名な「糸巻き遊び」の解説なのだが、私には何が言いたいのか全然分からなかった。
よく理解できないのは、こういう文章をすらすら読める読者として「誰を」想定して書いているのか、ということである。
ラカン理論に通暁し、その術語の語義をただしく理解している読者に対してであれば、そもそもラカン理論の解説は不要であろう。
逆に、ラカン理論を知らず、この本でそれを勉強しようと思った初心の読者たちは、このような解説を100頁読ませてもらっても、ラカンの概念の断片さえも理解できないであろう。こんなものを読むくらいならショートカットを断念して、ラカンそのものを読むほうがまだしも得るところがある。
ラカン理論を熟知している読者には不要で、ラカン理論を知らない読者には理解不能なこのような「解説」が全編の50%くらいを占めている。
では残りの50%はというと・・・
これまた業界的ジャルゴンの嵐でなんだかよく分からない。ちなみに社会学の門外漢である私が知らなかった言葉をランダムに挙げて行くと・・・
「愛のコンティンジェンシー」「交流分析のエンプティチェアー」「トリガー」「レリヴァンス理論」「コードモデル水準」「オートポイエーシス・システム」「儀礼―人格(マナ)概念」「対象関係学派」「認知アルゴリズム」・・・
こういったテクニカルタームがほとんど何の説明もなしに、批判されたり援用されたりする。同じ抗議をするが、こういう言葉の意味が分かっている読者(社会学の専門家)のために書かれた本であるとすれば「入門」という題名はあまりに不正確である。
ともあれ、社会学的ジャルゴンを駆使した、(その名を聞いたこともない)先行研究への研究史的言及が残りの30%を占めている。この部分は一般読者にはほとんど意味がない。
残りの20%が、ようやく私が興味を持っている主題、「ラカン理論をツールとして応用して社会学的方法には何ができるか」に割かれている。「自己啓発セミナー」と「源氏物語」とユーゴを素材にした三本の映画についての批評がそれである。
個々の分析についての詳細な論評にはわたらないが、そこには少なくとも私にとって刺激的な知見はひとつもなかった。あるいは行間を読むだけの忍耐力が私には足りなかったのかもしれない。(それは認めよう。ラカンの解説と研究史を突破するのに忍耐力の大半を使い果たしてしまい、途中で私はまじめに読む気力を失ってしまった。)
しかし、誰のために、何を伝えようとして書いた「入門書」なのか、結局最後まで私には分からなかった。
「あとがき」を読んだら、いろいろな人(50人くらい)に謝辞が記してあった。もしかしたら、これまでいろいろと研究上のことでお世話になった知り合いたちにまとめて感謝の意を表しつつ「みなさんのサポートを得て、私はこんなに勉強したんです」と手を振ってみせたものなのかもしれない。(義父母や叔父さんや娘にまで謝辞を捧げていたからな)
そうだとしたら、私の批判はお門違いであった。そういうプライヴェートな文集に汎通性を期待した私が間違っていた。申し訳ないことをした。ごめんね。
でもこれからは、そういう本に紛らわしい題名をつけないでね。¥2900もしたんだよ。
『小津安二郎の家−持続と浸透』 前田英樹(書肆山田)
おそらく日本の映画監督で小津安二郎ほど多くの書物を捧げられたひとはいないだろう。驚くべきことは、そのどれもがよい本だということである。
こと小津論については、「けっ、なに言ってやがる」というような否定的反応を私の内部に引き起こす文章に出会うことがない。(蓮實重彦の書いたものでさえ。)どれを読んでも私は「ああ、そうか。そういう見方があったのか」というオープンハーテッドな気分になれる。それはひとつには論者たちが、それぞれのしかたで熱烈に小津を愛しているからであり、ひとつには小津の映画そのものが独特のしかたで観客を愛しているからである。
小津は「スペクテイター・フレンドリー」な映画作家である。
当たり前すぎて誰も改めては指摘しないことだが、小津映画は松竹の「看板」であった。毎年一、二本コンスタントに製作され、小屋にかければかならず客が入るという、一昔前の『男はつらいよ』的なプログラム・ピクチャーであった。正月映画として有楽座にゴダールやタルコフスキーをかけるとかいうことが採算上あり得ないという「事実」と比べると、小津映画がその語のふつうの意味で「娯楽映画」であったということがよく分かるはずだ。
小津安二郎の作品は、私にとっても終わりなき快楽の源泉である。とりわけ外国でいくばくかの時間を過ごして、その緊張で心身がいささかアグレッシブになっている状態で帰宅したあと、風呂上がりに冷たいビールをのみながら、『秋刀魚の味』のヴィデオを見ていると、「帰るべき場所に帰ってきた」という心の落ち着きが戻ってくる。
『秋刀魚の味』の世界は、40年以上前、私が小学生のころの世界である。それは大洋ホエールズで桑田が四番を打っていた時代であり、銀座四丁目に「森永キャラメル」の球形の電飾があった時代のことである。マグレガーのゴルフセットが輝くステイタス・シンボルで、若い夫婦が夕食に「ハム玉」を食べる時代のことである。
それは失われた時間あり、物語の中でしか追体験することのできない時間である。そして、もう失われて決定的に存在しないという事実は、私の記憶を微妙に変化させる。
強調しておかなくてはならないのは、私が40年前を身を焦がすほどに懐かしまなければならない理由が何もないということである。
「四番サード桑田」というコールにいまさらどきどきするほど私は野球に熱心なこどもではなかった。三原率いるセリーグ最弱球団に対しても、ほとんど何の関心も抱いていなかった。にもかかわらず、不思議なことに、私はその野球放送にいたたまれないほどの「懐かしさ」を感じてしまうのである。
ここはある種の自己欺瞞がある。
私が厳密に言えば経験していない過去の時間がひとつの物語の時間として立ち上がってくるのだ。そして、それがあまりに濃密なので、私は自分もまたその時間に帰属しており、その時間を共有していたのだ、という「偽りの記憶」の誘惑にやすやすと屈服してしまう。これは甘美な経験だ。
大瀧詠一は「1965年当時、日本中のこどもたちはビートルズに熱狂していた」というアバウトな歴史記述を偽りだと断じている。大瀧が指摘するとおり、そのころ、私のクラスメートたちが聞いていたのは橋幸夫や舟木一夫や三田明らの青春歌謡曲であり、坂本九や弘田三枝子やジャニーズのアイドル・ポップスであった。ビートルズを聴いている中学生は、東京都内にある私の中学でさえ全学年450人のうち5人ほどしかいなかった。
しかし、ひとたび「リバプール・サウンドが世界を席巻した60年代」というような言い回しで「過去」が確定すると、リアルタイムでは一度もビートルズを聴いたことがなかった人々も、その時代に自分がストーンズやキンクスやデイブ・クラーク・ファイブに熱狂していたという「偽りの記憶」を持つようになり、懐かしさをこめてそれらの固有名を語り始めるのである。
実際には経験しなかったことをあたかも経験していたかのように回想できるというのは、あるいは人間の特殊な能力なのかもしれない。あるいは、そのような不思議な心理機制ゆえに、私たちはかろうじて「共同体」というようなものを保ち得るのかもしれない。
小津安二郎の映画に私がある種の「懐かしさ」を覚えるというのは、どう考えても錯覚である。小学生だった私は北鎌倉に能を見に行ったことなどないし、銀座の「わかまつ」でクラス会の相談をしたこともないし、丸ビルのオフィスで働いたこともないし、築地の料亭で精進落としをしたこともないし、学士会館の結婚式でスピーチをしたこともない。そのような場所があることさえ知らなかった。私が知っていたのは自分の家と、小学校と、近所の友だちの家と、原っぱだけだった。目蒲線に乗って改まって買い物にゆく先は蒲田だった。(蒲田はときどき小津の映画に出てくるけれど)
小津の映画は「経験しなかった時間を懐かしく思い出す」という甘美な錯覚を私たちに経験させてくれる。
それは私たちが映画の中にそれぞれ自分の思いを自分勝手に読み込み、映画を自分の尺度にあわせて切り刻んでいるということではない。
映画の方が私たちの記憶と経験と知覚を作り変えてしまっているのだ。映画の世界が、それを見ている私の(ほんとうに経験した)世界を褪色させ、変形させてしまうのだ。映画のなかので経験された情景や声やものの手触りの方が、現実に経験したものよりもずっと濃密で、ずっと確実なものとして私たちの記憶のなかに沈澱してしまうのである。
他人の身体の中に入り込んで、他人の夢を見る。
私は以前「映画的身体論」という論考のなかで、映画を見る体験の本質をそのようなことばで言い表そうとしたことがある。それが映画のもたらす危険な快感なのだと私は思う。
前田英樹の小津論について書こうと思っているうちに、ちょっと違う方向に行ってしまったけれど、たぶん前田が小津の映画について言いたかったことも、これに近いような気がする。
前田によれば、小津映画の有名なローアングルは、ふつうの人間は絶対にしないような姿勢の視点から見られた世界の風景だという。
畳から30cmくらいの視点というのは、畳に座っているときの目の高さよりは低く、畳に横になっているときの目の高さよりは高い。強いて試みれば、畳に腹這いになって、頭を持ち上げて静止しているときの目の高さである。
このような視点から描かれた風景画は存在しない。(画家はそんなかっこうをして長時間描き続けられないからだ。むろん小津がしたように、床に穴を掘って、そこにイーゼルを据えて描くというならべつだけれど)
小津以外の映画では、カメラはできるかぎり、人間の知覚とカメラアイを近づけようとする。カメラはふつうの人間の視点で世界を眺め、人間の移動する体感に似せてカメラは移動する。だから画面はできるだけ人間の通常の知覚に寄り添うように作られている。
小津の映画はそれとまったく違う。
小津の映画が描く世界は、誰の知覚にも従属しない。小津のキャメラが見る世界は、誰も経験したことのない世界、ただそこに自律的に存在する非人称的な世界の「拡がり」である。
前田の本の核心的なところをそのまま引用しよう。
「水平のロー・ポジションと多元化されたフレームで捉えられた小津の日本家屋は、人間を含む諸事物を知覚において非中枢的に区分し、浸透させあう最も重要な場所ないしは拡がりとなっていた。『晩春』が確立した方法は、ひと言で言えば、そのような拡がりにそれ自身における過去を持たせること、そのことによって、拡がりそれじたいに非中枢的な進展の運動を与えることだろう。曾宮家の室内は、固定されたごく少数の位置と距離から繰り返し現れ、その多元的なフレームに幾人かの人物が入り込み、話し、沈黙し、出ていってしまう。人物が入る前から部屋はあり、出ていってもなおそれはある。部屋は誰からも、どの視点からも見られてはおらず、ただそれ自身の潜在的な無数の反復によって存在し、持続し、過去を生み出していく。」(p.86)
「非中枢的」というのは前田の映画論のキーワードなので、いささかの説明を要する。前田によれば人間の知覚は「中枢的」である。つまり、自分の眼前に展開する世界の眺望を自分の尺度と自分の設定した緊急性の度合いに合わせて切り刻み、省略し、縮減するのである。
例えば、熟練した猟師は、獲物の鹿が目の前を走っているとき、その運動がもたらす視覚情報のうちのほとんどを切り捨てて、彼の次の行動(射撃)にとって有意なものだけを選択し、知覚情報をただちに行動に転化している。
「したがって、猟師に見える鹿のイマージュは、対象に心的ななにものかを付け加えることでできあがるのではなく、逆に、そこから行動に不必要な莫大な部分を差し引くことによって現れる。(・・・)知覚とは身体による物質の制限、イマージュによるイマージュの制限なのだ。」(p.15)
前田は経験豊かな武道家であるから、ここで「猟師」と「鹿」として語られているのは、そのまま「私」と「敵」のメタファーと読み替えることができる。
鹿は一方的に狩られる対象だけれど、多くの生き物はただ狩られるだけではない。
知覚の中枢性の極限的なかたちは知覚するものと知覚されるもののあいだに展開する「命がけの闘争」である。イマージュの本質は、物質の制限であるけれど、物質もまた「私」を制限するためにやってくることを忘れてはいけない。
前田は「イマージュ」という語について、それが知覚主体が「生み出すもの」であるという現象学的な物言いを厳しく退けている。
「知覚のイマージュは、身体という行動の中心から放射され、配列されるさまざまな制止や空虚に依存する。けれども、そのようなイマージュがイマージュとして存在することのすべての根拠は、知覚されるものそれ自身のうちにあるのでなくてはならない。(・・・)眼に見える物質は、そのままその物質であって、精神が構成する図像でもなければ、脳の分子活動から派生する化学現象でもない。事物が、視えることは、その事物がそれ自身のがわにおいて一定の縮減を受けることである。」(pp.16-17)
「対象」の究極型は、ただ逃れ去る「鹿」ではなく、「白刃をきらめかせて迫ってくる敵」である。 だから「対象」のイマージュは「行動」の主体である私の設定した有意性の基準にしたがって、おおはばに縮減されているが、私がいかに縮減してみようと、たしかにそこに実在し、具体的な物質性をもって「私」に向かって作用するはずのものなのだ。私が「イマージュの制限」に失敗するとき、それは私が死ぬときである。
人間の知覚の中枢的構造とは、極言すれば、このゼロサム的な「殺す−殺される」という関係に収斂する。
映画の「非中枢性」はこの対蹠点にある概念である。
映画の知覚は誰の知覚でもない。だから、そこには知覚と行動をリンクする中心が存在しない。映画の視線がとらえる世界は、ただそこに世界がある、ということを告知するだけだ。
「映画がもたらすイマージュの全体は、観客とは無関係に、ただそれじたいにおいて存在する。」(p.21)
「映画とは、私たちの知覚のまえに置かれる非中枢的なもうひとつの知覚であり、そこに現れ、縮減されているイマージュは、イマージュの総体としての、持続する全体としての世界それじたいのほうに属している。」(p.23)
いささか断片的な引用なので、分かりにくかいかも知れないけれど、前田のイマージュ論は、映画が人間に固有の中枢的知覚とは異質の「非中枢的知覚」の装置であり、映画のイマージュは中枢的なものの作用を受けることなく、そこに独特の縮減のしかたをして自律的に立ち上がっているということを丁寧に指摘している。
私はこれと似たことを「映画的身体」あるいは「映画には作者がいない」という命題に即して書いたことがある。前田の論は「小津の映画」という表現で、「小津の映画」が小津安二郎という「作者」をもっているという前提に立っているので、小津という中枢的存在が、なぜ非中枢的なイマージュを立ち上げることができたか、という点については「天才だから」という以外にはうまく説明できなくなってしまう。私はこの難問に対して、映画には映画固有の「身体」があるという仮説や、映画は複数の起源をもつ「錯綜体」であるとする仮説などで格闘しているところだが、それを書き出すと長くなるので、それについては、それぞれの論考を徴して頂きたい。
ともあれ、小津の映画はそれを見る私たちの過去とは別の過去を持ち、別の世界をいまもなお分泌しつつ、私たちぬきで、独特のしかたで「そこ」に存在する、という点について私は前田と意見を同じくする。
けれど、私は映画のイマージュの自立性よりも、むしろその自立しているイマージュが紡ぎ出す世界に「懐かしさ」を感じてしまう観客の感覚に興味がある。自分のものではない過去を自分の過去だと錯認し、自分がいたことのない場所に切ないほどの懐かしさを感じてしまう、このシステマティックな経歴詐称こそが映画のもたらす最大の快楽のひとつではないのだろうか。
もし前田の書くように、小津の映画が「観客と無関係にただそれだけで存在する」のだとしたら、小津の映画に「フレンドリー」なものを感じる観客の心理機制は説明できない。映画のイマージュが「観客と無関係にただそれだけで存在する映画」であり、かつ死ぬほど退屈な映画はいくらもあるからだ。
小津の映画のイマージュは「ただそれだけで存在する」だけでなく、その世界に私たちもまた帰属していたかったという条件法過去的な願望と、私たちはまさにかつてその世界の住人だったのだという偽りの記憶をもたらす。その不思議なプロセスと、それがもたらす快楽についてさらに語り進めるためには、映画のイマージュの非中枢性だけでなく、そこで語られた「物語」について、そこで描かれた「人間」についての言葉がやはり必要ではないのだろうか。
『韓のくに紀行』(司馬遼太郎)
関川夏央の『豪雨の前兆』を読んでいたらこの本のことが紹介してあった。「怒れるツングース」との出会いのところが面白そうだったので、早速近くの本屋で買ってみた。
期待通り、とても面白かった。
前からどうして同じ大日本帝国の植民地でありながら、台湾はその後も親日的な気分が残り、朝鮮はするどく反日的なのであろうかよく分からなかった。伊藤博文と児玉源太郎という初代総督の人格のせいであろうかとかいろいろ考えたけれど、どうもそういうようなことではないらしい。司馬はこんなふうに書いている。
「私はつねづね、朝鮮人は世界でもっとも政治論理のするどい民族だと思っている。政治論理というのは奇妙なもので、鋭ければ鋭いほど物事を生まなくなり、要するに不毛になってゆく性質のものだ(・・・)朝鮮人ほど老いた歴史をもった民族はそうざらにはなく、政治というのはどういうものであるかを民族の智恵としてそなわりすぎるほど備えているはずであるのに、その聡明さを、政治的論理という、この鋭利で、そして鋭利なほど一種の快感をよび、また快感をよべばよぶほど物事が不毛になるという危険な抽象能力が、覆ってしまっているのかもしれない。」
私は朝鮮半島のことは全然知らないが、一般論としては司馬の意見に賛成である。
政治の論理は鋭いほど不毛になる。鋭利であるほど、論敵をもおのれ自身をもぬきさしならない極限へと追いつめて行く。私は(例によって)上の文章の「朝鮮人」を「フェミニスト」や「マルクス主義者」に置き換えて深くうなずいたのであります。
司馬遼太郎の異文化コンタクトの基本姿勢は「へんなものを見ると、幸福な気分になる」というところにあるらしい。
物国寺で近所のおばさんたちの野遊びの舞いに紛れて愉しんでいた同行の日本人が、怒れる朝鮮人によって激しく罵倒された経験を司馬はこう記述している。
「三十五、六ばかりの黒いセビロ姿の、工業高校出といった感じの紳士で、しかもその紳士が井上君をつかまえて烈しく罵っているのである。井上君には悪いが。私はツングースの一員として、この旅行中、このときほど幸福を感じたことはない。怒れるツングース、という言葉がそっくりあてはまるような血相を、その紳士は呈してくれていたのである。」
そのほか、旅先で出会う人々やガイドやホテルマンが司馬の意表をつくような「無礼」な態度をとるたびに、あるいは「日帝36年」の悪行を言い立てるたびに、司馬は「幸福」になる。もちろんこの幸福感はかなり屈折した、知的なものである。
違和感がある民族文化の「原型」の露出との対面であると感じるごとに、つまり民族の文化というものが「体制の原体質」として、感情や論理の組成そのものにまで、個人の意識的努力や反省というようなことではどうにもならない仕方でしみこんでいるという司馬の文化観が「証明」されるたびに、司馬は幸福を感じるのである。
あまり文化の決定性を強調しすぎて、個人の主体的選択のはばを狭くとることにはついて私にはいささか異論があるけれど、異文化との接触のときの違和をどのような種類のものであれ、「幸福感」をもって受け止めようとする構えはとても健全だと私は思った。
不思議なのは、藤岡信勝みたいなひとたちが司馬遼太郎をまるで日本中心主義の守護神のように持ち上げることである。私にはよく分からない。どうやったら、そういうふうに読めるのだろうか。
『優柔不断術』(赤瀬川原平)
「ぼくは自分でいうのも何だが、優柔不断の能力には恵まれている方だと思う。世間では優柔不断というのは馬鹿
にされる。決断こそがすばらしいと賞賛されている。何かものごとをはじめようとするとき、ああしようか、こうしようかと一つ一つを丁寧に考えていると『ぐずだ』といわれる。あれこれ考えたりせずに、いきなりどれか一つを『こうだ!』と決めてかかると、『あの人は男らしい』と言われたりする。」
しかし、ほんとうにそうなのだろうか?決断することはそんなにすばらしいことなのだろうか?どんなものごとに対しても明確な立場を持ち、クリアーカットなコメントを吐き、決然と行動できるというのは、そんなによいことなのだろうか?
私自身がひさしく抱懐してきたまさにこの問いに、赤瀬川原平先生がきっぱりと答えてくれた。「優柔不断は文化です。」
おお、やはりそうであったか。そうではないかと思っていたのです。
「世の中の、とくに日本の世の中は先送りの天国である。とりあえず先送りにすれば、いずれ時が解決してくれる。だからいまムリして決断することはない。決断は疲れるし、それにヘタをすると角が立つ。それよりは、とりあえず問題を先送りして・・・」
「先送りする」というのはその論件を却下するという意味ではない。ちょっと寝かせておいて、熟成させて、食べ頃になるのを待つまでのあいだ、しばらく「腹に納めておく」ということである。
「先送り案件」というようなものは「頭」の中にはストックできない。
頭はデジタルな構築物だから、「とりあえずカテゴライズできないもの」というようなもののためスペースはない。そういうものはぜんぶ「ごみ箱」に入れられる。(コンピュータのデスクトップ画面での処理の仕方と同じである。そして、たまってきたら、ハードディスクのお荷物だから「削除」されるのだ。)
その点「腹」は便利である。
「良しにつけ、悪しきにつけ、含む力があるのが腹である。その腹の能力抜群の人を、『腹がすわっている』という。何が来ても、腹に飲み込むことができる。昔はそういう腹が基本にあったので、昔から腹に関わる日本語は多い。 最近はそういう腹が減ってきている。腹に関する言葉はあまり使われない。腹に代わって頭が出てきている。論理優先の世の中になっているのだ。頭優先というか、脳みそ優先、コンピュータ優先、計算優先。経済優先。
いい例が人の怒りの変遷である。昔は怒ると腹が立ったといった。それがムカつくになり、いまはキレる。つまり人体最深部の腹までいって、そこで含みきれずに腹が立っていたのに、ムカつくになると胸であり、キレるのは頭。つまり人間の感情に含み幅がなくなってきている。かつては含んだ上で怒っていたのが、胸のところですぐ怒り、ついには頭が直接ショートする。」
腹はいろいろなものを溜めることのできるうつろな容器である。これが大きいとなんでもストックできる。「腹に納めて」呵々大笑。だから「ふとっ腹」同士なら、「肝胆相照らして」「腹蔵無く」「腹打ち割って」のコミュニケーションが成立するのである。
腹は単なる機能の記号ではなく、実際に身体部位としても感知され運用されたようである。
合気道開祖植芝盛平翁の腹はほとんど球体に近い形状をしており、その中心(丹田)は烈火のごとく熱かったと伝えられる。天風会の中村天風先生の丹田もまた破顔一笑したあとは「おへそでお茶を沸かす」ことができるくらいに熱かったそうである。(これは私の武道の師である多田先生からの伝え聞き。)肥田式強健術の肥田春充師は丹田を「聖中心」ととなえ、「腰と腹でつくった」正中心を感知できれば、人間の潜在能力は爆発的に開花すると説いた。(実際、道場の床板をばりばり踏み破ってみせた。)
達人たちは「腹」を軸にその超常的な身体を作り上げていたのである。
この巨大で多機能的な「腹」とリンクしてはじめて優柔不断はひとつの文化となる。
「考えるのはもちろん頭の脳みそであるが、その脳みそを支える座布団としての腹を用意する。頭のクッションといか、サスペンションというか、ショックアブソーバーというか、そのあるなしで頭のキレというのが現実の局面で違ってくる。」
「ものごとに対して不断の優柔をもって挑む。これはかなりの意志の強さを必要とする、というより腹の強さを必要とするものだと思う。そういう腹さえあれば、多少の論理の綻びなんて、いかほどのものであろうか。」
いや、おっしゃるとおりです。
腹にはあらゆるデータが無作為に納めてあって、ぐちゃぐちゃのマグマ状態。一方、頭はハイテク無機的安藤忠雄的空間となっており、そこでクールに計算が行われる。この分業は非常に効率的であると言わねばならない。
腹にストックするのを止めて、全部のデータ処理を頭に任せるというのは、クサヤの干物とタクアン漬けの臭気の漂う電算室で、キーボートの上に生乾きのおむつから水が滴り落ちる下で人工衛星の軌道計算をさせるようなものである。
効率がよろしくない。
結果的には、クサヤ、おむつ系のデータはすべてはじめから排除され、FDやCDのかたちをした無機的データのみが入室を許されるということになる。
行き場を失ったアモルファスでカオティックな衝動や私念は、「腹」という収納場所がなくなってしまったので、やむなく身体の表層に露出することになる。腸のストックスペースが使えなくなったので、「うんち」がいつも尻の穴から垂れ下がっているような具合である。(うげ、きたないメタファ―だな)
しかし、いまの「すぐに頭がキレる」若い衆たちというのは、そういう「本来は体内にぐっとおさめておいて、しかるべき機会を待って先送りすべきもの」(いろいろあるよね)が耳の穴とか鼻の穴とかから、抑制がきかずに、ぐちゃぐちゃ流れ出している、という表現にふさわしいように思われる。頭の中でしかるべき仕事をなすべき細胞が、唾とか鼻汁とかげろとかになって流出しているかのようである。(実際、私が昨日みた中学生ふたりは電車のなかで、甲高い声で何かをののしりながら、ずっと床に唾を吐き続けていた。)
審美的にもあまり好ましくない。
優柔不断文化の再興のために、も車内美化の観点からも、不肖内田もここに赤瀬川師への賛意を表したいと思う。
言語のもつ経験規定力は非常に大きいので、「あ、キレた」というような言葉を頻用していると、その人は頭の内部で回線がショートして、ビリッと衝撃が走るような「身体感覚」を実際に経験することになる。「ムカつく」ひとはすぐにげろを吐くようになる。
だから、とりあえず、放送倫理コードで「キレる」とか「ムカつく」とか、それに類する表現を放送禁止にすることを提案したい。
「ゲロマズ」とか「マジギレ」とか「くっせー」とか「さぶー」とかそういう表層的身体感覚に関する用語は全部放送禁止にするのである。これらはすべて「たいへんにまずい」「真に立腹している」「過度に様式的である」「場違いなまでに不適切である」と言い換えねばならない。
どうであろうか。
『忍び寄る牙』(ロバート・B・パーカー)
うほほいBRの記念すべき第一回はパーカーのジェッシー・ストーン署長シリーズ第二弾。
パーカーの「スペンサー・シリーズ」は登場人物の高齢化というきわめて今日的なトラブルに逢着して着地点に窮している。
スペンサーは朝鮮戦争従軍経験者である。どう計算してもすでに六十路も半ば。とりあえず現場にいって、そこらじゅうの人間とトラブルを起こし、その混乱に紛れて事件を解決するという、効率の悪い手作業的捜査方法はあまりシルヴァー世代向きではない。この仕事を続けたいなら、そろそろホームズやポワロ型の安楽椅子推理にシフトすべきだろうが、スペンサーにはちょっと無理だ。(頭悪いし)
相方のスーザンもホークもみんなもう六十を越しているはずである。その年齢の男女が集まって蘊蓄を傾けつつ美食に興じ、話題がセックスと暴力と精神分析だけ、というのもあんまり知的ではないと私は思う。(もっと「シック」な話題はないのだろうか。)
残された道は、このまま「若作り爺さん婆さんがトラウマとフェミニズムについてひたすらおしゃべりする」小説という奇怪な路線を歩み続けるか、スペンサー最後の大事件が探偵の高齢化による「足腰の弱り」と「ボケ」によって壮絶な失敗に終わり、全員討ち死にするか、いずれかしかないと私は思う。
筋肉とセックスアピールとフェミニズムに対する親和的ポーズで70年代に洛陽の紙価を高めた私立探偵が迎えたあまりに荒涼としたこの晩年に涙するのは私一人であろうか。
ともあれ、スペンサーが爺さんになってしまったので、ロバート・B・パーカーは年齢を30歳下げて、同工異曲の別シリーズで夢よもう一度ということになった。(懲りない親父である)それが『暗夜を渉る』に始まるストーン署長シリーズ。今度の主人公はアルコール依存症気味、バツイチ、もとプロ野球選手のハードボイルド野郎である。屈折の仕方はスペンサーとだいたい同じ。若いくせに言うことが妙に爺さん臭いのはやはりスペンサーの影武者という出自のゆえか。
ジェッシーと元妻のジェンの会話はスペンサーとスーザンの会話のまま。たとえばこんな具合だ。
「問題は、私たちがどういう立場にあるか、ということね。私たちが別れたあと、ずいぶんセラピイを受けたの」
「おれたちが別れたんじゃないよ」ジェッシイが言った。「君がおれを捨てて、あのプロデューサーのエリオットのところに行ったんだ」
ジェンが慎重に頷いた。
「私がエリオット・クルーガーと同棲して、あなたが私を離婚したとき、かなり頻繁にセラピイを受けたの」彼女が言った。
「すまない」ジェッシイが言った。「おれは言葉遣いにこだわっていたようだ」
「あなたは怒っているのよ。それも当然だわ」
「きみは、やらずにいられないことをやったんだ」
「そうね」ジェンが言った。「あれだけセラピイを受けても、私の問題を解決することにはならなかったわ」
「というと?」
「あなたと一緒にいたいのに、いたくないの」
「それでその精神病医は、そのことについてなんと言ってるんだ?」
「私は両面感情の持ち主だ、って」
「そう言うだけで、彼女は一時間に百ドルとるのか?」
「二百。それに彼女はその価値があるわ。彼女の助けで、自分が実際に同時にふたつの感情を抱くこと、相反する感情を抱くのは、きわめて人間的なことであることが分かったの」
書き写すのがいやになってきた。これには「ただ頭の悪い男」と、「頭が悪くて性格も悪い女」の会話という以外にどういう意味があるのだろう?
女優としてもっと売れたいからという理由で夫を捨ててやり手のプロデューサーのもとに走った女が、言うに事欠いて、あれは「人間的な感情な発露だった」と言い訳する。君ね、それだったら殺人も偽証も姦淫もみんな「人間的感情の発露」ということで許されるのか?
男の方も男の方である。よりを戻したい下心があるものだから、「寝言こくな」とつっぱねきれず、それは「やらずにはいられないことだったんだ」とやせ我慢。そのくせ言葉尻をとらえてうじうじと嫌みを言う。
煮え切らない人たちだ。
別れなさい、君たち。見苦しいから。
おじさんは、君たちよりだいぶ長く生きしてるから忠告するよ。別れなさい。たしかに二人とも知能程度は似合いのバカだけど、バカ同士だからうまくゆくというものでもないのだよ。(あ、もう離婚してるんだった。何だ「別
れること」さえできないのだ。)
もっとすごいのもある。これはジェッシーが不動産屋のやり手のおばさんマーシイに口説かれるところ。
「楽しみに何をしているのだ?」
「食べる、飲む、トレイニング、買い物、旅行、読書、興味深い人と話をする、セックスをする」
「いいぞ」ジェッシイが言った。
「私たち、なにか共通の関心事を見いだした?」
「誰か特別な人は?」
「セックスの相手?」
「そう」
マーシイが笑った。
「みんな特別だわ」
「夫はいない?」
「もういない」
「ボーイフレンドは?」
「今はいない。あなたはどうなの?」
「離婚したのだ」
「それは知ってるわ。ガールフレンドは?」
「いない」
「ここにはもう充分おつきあいしたと思わない?」マーシイが言った。
「そうだな」
「それなら、どこかへ行って、本物の飲み物を飲まない」
ははは。「興味深い人と話をする」だと。ははは。きわめつけのバカだな、こいつ。
ロバート・B・パーカーの世界が平均的アメリカ市民の生活感覚をどの程度映し出しているのか私には分からない。分からないけれど、彼の世界では、すべての人々は、他者を自分の「慰め」や「欲望充足」や「自己実現」や「自己証明」のために「手段」としてとらえている。それも自信たっぷりに。
いやな世界だ。