updated 1st Nov. 2000

「そこで私も考えた」シリーズ

 

銀幕のスター・市川雷蔵論

       小川 順子(おがわ・なおこ、総研大博士課程・内田ゼミ93年卒、日本映画論)

はじめに

ある時、映画を観ようと思う。さて、何を基準にたくさん上映されている作品

からその映画を選択するだろうか。その理由はさまざまであろう。例えば、世

間で話題になっているから。注目している監督の作品だから。予告を見て興味

を持ったから。そして、自分の好きな俳優が出ているから。ある時、友達と映

画についておしゃべりをする。ストーリーが良かった。映像がきれいだった。

仕掛けが大がかりで迫力があった。そして、出演している俳優がかっこよか

った…など、いろいろな要素が上がるであろう。

人々が映画を観たり、話題にしたりするときに関連するさまざまな要素の中で、

俳優の占める割合は大きい。たとえば、とりわけ好きな俳優がでているわけでも

なくたまたま観た映画の中で、ある一人の俳優に惚れ込むこともありうる。そう

すると、次に映画を選択するとき、その俳優がでている作品が選択基準になって

くることもしばしばである。このように、ファンを獲得していく俳優、よく名が

売れた俳優は「スター」を呼ばれるようになる。すなわち、スクリーン上で多く

の観客を魅了する俳優を私たちは「映画スター」と呼んでいる。

どうして私たちは、「スター」に魅了されるのだろうか。その理由は、人々によって

さまざまであるだろうし、対象である人物によってもさまざまであろう。例えば、

かっこいいから、面白いから、演技がうまいから、などなど。それゆえ、なぜ「ス

ター」に魅了されるのかを客観的に分析することは困難であると思われる。「ス

ター」とはひとえにファンの個人的な思い入れの上に確立しているのだから。

「スター」について語ろうとすることは、自分の主観的な思いを語ることに他ならな

いのかもしれない。しかし、それでも何故これほどまでにファンを魅了するのか、と

考えさせるほど、私の関心を強く引く一人の俳優(役者)がいる。市川雷蔵である。

市川雷蔵もまた、「銀幕のスター」としてファンを惹きつけている「映画スター」の

一人である。江崎文夫は「昔の、どんな大スターも、私にとってはスターではあり得

ない。スターとは、自分と同時代に生き、時代の呼吸をともにする存在である」 と

書いている。ファンの個人的な思い入れなのだから、同時代に生きている人物である

からこそ魅了される人もいるだろう。雷蔵の場合は、これにはあてはまらない。彼は

もうこの世の人ではないからだ。それでも没後30年を経てなおファンを魅了し続け

ている。雷蔵に限らない。他にも死してなおファンを魅了し続ける「スター」たちが

いる。何故であろうか。このことは、あまりにも主観的すぎて、おおよそ学術的なレ

ヴェルでは語り得ないことであるだろう。しかし、市川雷蔵に関して、マスコミが

「雷蔵ブーム」として取り上げた現象が起きていることは一つの事実である。そし

て、その現象に巻き込まれ、雷蔵に魅了される人々が多くいることも事実である。そ

う言う私もその現象に巻き込まれた一人である。何故そのような社会現象が起きるの

か―何故私個人がそのような現象に巻き込まれ、他の誰でもなく雷蔵に魅了されてし

まったのか―考察を試みたいと思う。これから展開されるのは、言ってしまえば「市

川雷蔵」私論である。ここで雷蔵について語られることが、他の「スター」たちにも

あてはまり、「スター」に何故魅了されるのかという問題に少しでもつながれば幸い

である。

 

市川雷蔵

 まず、最初に市川雷蔵について、簡単に記しておこう。

市川雷蔵は、梨園の出身である。1931年に生まれ、生後まもなく市川九団次の養

子になった。1946年に歌舞伎役者として初舞台を踏む。芸名は市川えんぞう莚

蔵。1951年に市川寿海の養子となり、市川雷蔵を襲名する。しかし、もとが脇役

の子であったために、舞台ではなかなか良い役がまわってこなかった。1950年代

に入り、若手歌舞伎役者の映画進出が増え、雷蔵のところにも映画会社から声がかか

るようになり、映画界入りを決意する。

市川雷蔵が、映画デビューを果たしたのは1954年(『花の白虎隊』(大映))の

ことである。ちょうど、日本映画が第二期黄金期を迎えようとしているときであり、

週替わり二本立て興行という映画量産の時代であった。そのため、雷蔵は、多い年で

年間10本以上を超える映画に出演し、大映の看板スターとして活躍していく。19

68年初夏、ハードスケジュールによる無理がたたり1ヶ月入院。退院後、復帰して

2本の映画に出演するが、1969年に入って再入院。そのまま帰らぬ人となった。

映画にデビューしてわずか15年の間に158本の映画に出演した。享年37歳。

代表作といわれているものには、『炎上』、『大菩薩峠』、『斬る』、『眠狂四郎』

シリーズ、『忍びの者』シリーズ、『陸軍中野学校』シリーズなどがある。

 

「ああいうタイプの人はもう映画界にいないんじゃないですか。」

「時々思いますよ。雷ちゃんがいたらなあって。皆いってます。他の人ではあまり思

ないんですけどね。」

 

このような、未だに彼の死を惜しむ言葉が寄せられている。

 

「雷蔵ブーム」という現象

市川雷蔵は死後30年経つが、未だに「朗雷会」という全国規模のファンクラブが継

続している。そのほかにも地方で少数のファンが集まり、雷蔵を偲んで会(ファンク

ラブ)を結成している。 そして、市川雷蔵映画祭という企画が細々と続けられてお

り、記念出版物の発行も絶えない。

では、具体的にどのように反応がおこっているのであろうか。

まず、雷蔵に関する記念出版物に寄せられたファンの言葉を引用してみよう。

 

「普通、役者はイメージが固定してしまうと、一定の役柄しかできなくなる、と私は

思いますが、その点、雷蔵さんはイメージを固定させず、いつも、新鮮です。」

「雷蔵さんの魅力の根源は“美しい”ことだと思います。(中略)“匂うような美し

さ”“寂しそう”“自嘲的”“優しそう”そういったものをすべて含んだ“新しさ”

を雷蔵さんに感じます。そんな、意外性というか、内面的なものとでもいうのか、奥

の深い雷蔵美学。この不思議な魔力に魅せられてしまいました。」

 

これは、雷蔵の死後に生まれ、映画祭の企画で初めて雷蔵の映画を観てファンにな

り、「朗雷会」に入会した高校生の言葉である。つまり、ファンクラブには未だに新

会員の入会が続いているのである。記念出版物には、雷蔵の出演映画作品の解説やス

チール写真などのほか、このようなファンの熱い思いが寄せられていたり、あるいは

雷蔵と一緒に仕事をしてきた関係者の言葉(あるいはインタビュー)などが掲載され

ている。

では、映画祭ではどうであろうか。次に市川雷蔵映画祭における様子をあげてみたい

と思う。

雷蔵の死後生まれた私は、彼の没後の現象をずっと追ってきたわけではないので、こ

こ5〜6年ほどのことについてである。ほぼ毎年、京阪神のどこかで行われる雷蔵映

画祭に顔を出してきたが、どこへ行っても必ず同じような顔ぶれがいるのである。も

う、何度も同じ作品を観てきているにもかかわらず、毎回足を運ぶ熱狂的なファンた

ちである。最近ではほとんど見かけなくなったが、そのようなファンの中には、映画

が始まると拍手をし、「出演者・市川雷蔵」というクレジットの字が出ては拍手を

し、スクリーンに雷蔵が登場すると拍手をし、映画が終了すると拍手をする人もい

た。また、映画を観ているうちに椅子に深々と沈み込んでいったある女性は、映画が

終わると姿勢を正し、「こんな格好で観るなんて、雷様に申し訳ない」と独り言を

言っていた。

熱烈なファンたちに話を聞いてみた。ある女性は、雷蔵の映画祭が開催されるなら日

本各地どこでも駆けつけていると言っていた。またある女性は、雷蔵に一生を捧げ独

身を通していると語ってくれた。同じように雷蔵を想い続けて独身を通していると

言っていたある女性は、雷蔵の墓がある東京池上本門寺のそばに住み、毎日雷蔵の墓

を掃除しに行っているそうである。彼女たちにとって、雷蔵は「永遠の恋人」であ

り、映画を観に行くことは、スクリーン上の雷蔵に会いに行っている事なのであろ

う。中には、雷蔵の活躍していたときからのファンもいるだろう。30年、40年と

時が経つにもかかわらず、彼女たちは雷蔵に会いに行くのである。

エドガール・モランは、「スター」を「神」にたとえており、「スター」の崇拝はと

りわけ女性と若者に多いといっている。

 

「事実、スターの神性が開花するのは、感情が無邪気に、熱烈に醗酵するところ、す

なわち若者と女性のうちなのである」

「スターに対する愛と讃嘆は、一部の観客にとってしか宗教として具体化しないもの

である。この宗教は脆くて、風化作用の影響を受けやすい。スターも老いて、死ぬと

きが来るし、ファンもまた老いるときがやってくる。実生活が讃嘆を腐食し、男・女

の現実の恋人がスターに取って代ることになる。スターの神性は束の間で、時間がそ

れを腐食する。スターがときから免れるのは、思い出の彼方においてだけである。」

 

先にあげた熱烈な雷蔵ファンにとっては、モランの言うように、「スター」(ここで

は市川雷蔵)とは「神」であり、「スター教」という宗教なのであろう。ただし、こ

のようなファンにとっては、もはや「束の間」の神性ではなくなっている。

ところで、それ以外の観客はどうなのであろう。当然のことながら、映画を観に映画

館に集まる観客のすべてが上記のような熱烈なファンばかりではないし、女性ばかり

でもない。市川雷蔵の映画を観に来る観客の大半が中年から高齢者である。中には同

伴者に付き添われた車椅子の方や、あるいは杖をつきながら観に来ている人たちがい

る。小さいホールでの上映のときなどは、開場の2時間も前から並んだりするのだ。

映画館でしか映画が観られないときならともかく、今ではビデオが普及している。市

川雷蔵が出演している映画のビデオ化もかなりのスピードで行われている。一説によ

ると、その裏にはファンクラブの努力があるとのことだ。わざわざ出かけていかなく

ても、家で手軽にビデオによる映画鑑賞ができるという選択権があるにもかかわら

ず、映画祭が行われると、毎日のように映画館に通いつめるのだ。

雷蔵の姿が観たいだけならば、ビデオでもかまわないはずである。時間も拘束されな

いし、好きなときに好きな作品を選ぶことも可能である。体が不自由ならなおさらで

ある。スクリーンの方が大きく見えるから、という理由で来る人もいるだろう。(毎

回通うファンの多くはビデオも発売される度に購入している。)映画祭でかかる雷蔵

の作品は、ほとんどが代表作といわれているものであるから、ビデオ化はもちろん、

TVで放映されることも少なくない。それでも、体を押して、身銭を切って映画館に

観に来るのである。しかも、多くの観客は以前にもその映画を観ているであろうと思

われる。ここから推測されるのは、そこに集まる観客は、単に雷蔵の姿や映画作品

(映像やストーリーなど)を見たいだけではなく、映画館で雷蔵の映画を観たいとい

うことである。

そこで、映画館で映画を観ることの意義を見直したい。

 

映画館で観ること

 映画館で映画を観ること。それは、日常生活の空間から切り離されることである。

家でビデオを見ていると、明かりをつけていればモニターには光の反射によって自分

の姿や部屋にあるものが写っている。外の物音が聞こえてきたり、インターフォンや

電話がなって中断される可能性もある。また自分の意志によって映画を中断させた

り、途中で戻したり先へ進めたり出来る。しかし映画館では違う。自分で席を立った

り、まわりの観客がしゃべったりしなければ、基本的には暗闇の中で誰にも邪魔され

ずに映画を観ることができる。ビデオのように巻き戻したり出来ないから、観客も、

例えば台詞を聞き逃すまいといったふうに、より映画に集中するであろう。とりわ

け、時代劇に馴染みのなかった私にとっては、情けないことに時代劇における台詞

(あまり使われることが少なくなった言葉)が聞き取りにくいこともある。ビデオで

少し巻き戻して聞き逃していた台詞をいちいち確認していたのでは、映画の醍醐味が

失われてしまう。映画館の大音響の中で、より注意深く台詞を聞き取ろうとすれば、

それだけ映画への集中度も高まるのである。

 

「映画館の暗闇の中で、われわれ観客は孤立し、自らの身体を少しづつ見失ってい

く。他者の存在が消え、日常の世界が闇に溶けていく。そうすることによって、われ

われの意識は、矩形に光り輝くスクリーンだけに収束していくのだ。そしてそこに

は、あたかも夢のような別の世界があり、われわれは身体を観客席に置き去りにし

て、束の間、その世界を生きることになる。」

 

こうして、観客はスクリーン上に展開される物語に没入し、そこに出てくる登場人物

に自己を投影させて映画を体験するのだ。映画を観ることによって、人は「しみった

れた欲求や陰鬱で無名な生活」を「映画の生活の次元にまで拡」げようとする。すな

わち、「スクリーンの想像上の生活は、この現実的欲求の産物であり、スターはこの

欲求の投射なのである。/人間は常にイマージュ映像上に、自分の欲望と畏敬とを投

射している。人間はつねに自分自身のイメージ、つまり自分の分身のなかに、生と死

とにおいて自分自身を越えたいという欲求を投射している」 のである。

繰り返すが、映画館で映画を観ることは、この「投射」、「スター」への「同一化」

をより強化する効果がある。だから、ビデオという選択権がありながらも、映画館に

通う観客が絶えないのである。

私たちが、「スター」に魅了されるのは、美しいから、演技がうまいからだけではな

い。それは私たちに夢を見させてくれるからでもある。「身体を観客席に置き去り」

にすることによって、性別も年齢も超えて「スター」に「同一化」し、そこで別の人

生を生きるのである。人は、どこかで今とは違う人生を歩んでみたいと思うのではな

いだろうか。もし私が男/女だったら、中世に生まれていたなら、今18歳だった

ら、あのときあの道を選んでいたなら…このように想像すれば、今とは違う人生をい

くらでも思いつくことが出来るだろう。それを体験させてくれるのが映画なのであ

り、私たちは「スター」になり代わってスクリーン上の別人生を歩むのである。

だが、さまざまな生き方を体験するのなら、たくさんの映画を観ればいい。にもかか

わらず、数多くの映画(出演しているスター)の中からある特定の「スター」に惹か

れるのは何故であろうか。雷蔵の映画祭に集まる観客は、何故同じ映画を何度も観る

ことになっても、通ってくるのであろうか。そこには、映画を観ているという限られ

た時空間以外の要素も関係しているのではないだろうか。

 

神話化/商品化

市川雷蔵は、大映の看板スターであると前述した。看板スターとは、すなわち看板商

品である。映画会社は、商品(スター)を売り出すために、マスコミなどとタイアッ

プしてさまざまな活動を行う。映画作品自体の宣伝はもちろんのことである。製作発

表における俳優たちのコメントや関係者の舞台挨拶、製作段階の舞台裏の取材などが

行われる。また、映画作品とは離れて、俳優とりわけ看板スターたちの素顔と称し

て、プライベートを売り物にする。江崎によると、そのような企画が定着するのは、

雑誌「平凡」による功績が大きい。

 

「スターは、ファンにとって仰ぎ見る存在であった。スターはファンの生活の“彼

岸”にいた。スターはスクリーンの中に住む架空のイメージであった。「平凡」はそ

のスターを、ファンにとって身近な存在にした。ファンがスターに接する機会を、誌

上で、また家庭訪問や撮影所見学によって、作っていった。スター対談や家庭訪問

は、スターの素顔や実生活を、ファンの前に見せるものであった。こうしてスター

は、架空の世界にのみ生きる“別人種”ではなくなっていった。」

 

市川雷蔵もまた、このような雑誌の企画などに取り上げられた一人である。彼の売り

出したイメージは、まず「貴公子」ではなかったであろうか。関西歌舞伎界の重鎮・

市川寿海の御曹司として、デビュー時より主役として売り出された。いわゆる二枚目

役である。また、映画会社とは別に、ファンクラブによる会報に毎回掲載されるエッ

セイや、ファンクラブ主催による集いでの発言や行動によって、「市川雷蔵」のイ

メージが形成されていった。それは、例えば、裏表のない率直なものの言い方(毒舌

とも言われるが)、役(芸)を非常に大切にした役者魂、自らやりたい作品を表明し

ていく積極性や熱心さなど、映画を非常に愛する俳優のイメージである。

また、素顔の雷蔵がどこにでもあるような平凡な顔として公開される。それに関係者

たちの「雷蔵は素顔で歩いていても絶対誰もわからない」という言葉、あるいは

「メーキャップをすると全く変わってしまう」という言葉が付随する。そのことをど

こかで知った私たちは、いろいろな役をこなす雷蔵の映画を観たとき、どの顔も役毎

にちがって見えて、「イメージ」が固定されずに「新鮮」であるという印象が強めら

れる。

しかし、市川雷蔵を神話化する最も大きな要素は、「悲劇性」ではないだろうか。雷

蔵自身の体格、すなわち線の細さが、どことなくはかないイメージを想起させる。そ

れに、彼の生い立ちの複雑さが加わる。九団次、寿海と二度の養子縁組を行っている

雷蔵は、つまり、三人の父母がいることになる。(いや、結婚した相手の両親を入れ

るとすれば四人になるだろう。)そういった複雑な経緯、及び梨園という特殊な世界

での生い立ちが、特殊なイメージを与える。雷蔵が悲劇の主人公を演じたとき、そこ

に影のようにつきまとう暗さを、いつの間にか私たちは、彼の線の細さや生い立ちの

複雑さからにじみでてくる暗さと解釈するようになってしまう。たとえ、意識しなく

ても、映画評の一つにそのような言説が含まれれば、無意識にインプットされてしま

うのだ。

そのような雷蔵の「悲劇性」を決定づけたのは、37歳という若さでの突然の「死」

であろう。若くして死ぬこと、これほど神話化されやすい要素はない。ジェームス・

ディーン、ジェラール・フィリップ、赤木圭一郎など、若くして亡くなり、「ス

ター」として惜しまれる人はいくらでも思いつくであろう。「ちょうど役者として脂

がのってくるところだったのに」、「活躍していくのにこれから、という時期だった

のに」など実現し得ぬ未来への想像力は、否応なく高まる。もうそこには何もないの

だから、ファンとすればいくらでも自分に都合良く想像し語ることができる、自分の

欲望を映し込むことが可能なのである。

雷蔵についても、死後彼を惜しむ関係者の声が寄せられ続ける限り、悲劇性という

ヴェールはまとわり続けるであろう。雷蔵の場合は、事故死のような突然という衝撃

的な死ではなかった。入院して半年後に亡くなっているからである。ただ、彼の病状

は映画会社でのトップシークレットであった。ファンやマスコミに病状を隠している

だけでなく、同じ映画会社に所属している俳優及びスタッフにも隠されていたとのこ

とだ。誰もが退院することを信じさせられてきた。そこへ飛び込んだ訃報である。関

係者の衝撃もまた大きかった。この衝撃が、後に出版される雷蔵へ寄せる言葉にあふ

れてくる。時が経てば経つほど、故人への思い出は美化され、彼を失った悲しみ、惜

しい気持ちが純化され、言説化される。どこかでそれを耳にし、あるいは目にした観

客には、そういう悲劇的なイメージが刷り込まれていくのではないだろうか。

 また、突然の死だけでなく、雷蔵を神話化する要素に、彼の亡くなった時期も大き

く関係する。市川雷蔵の亡くなった1969年は、映画が急速に斜陽しているときで

あった。1970年代にはいると、時代劇映画の製作本数は60年代とは比べものに

ならないほど激減してしまう。また、2年後の1971年に、雷蔵の所属していた大

映映画会社が倒産した。雷蔵の死後語られる言説において、この二つの事柄が結びつ

けられることが少なくない。大映の関係者には、雷蔵が亡くなってから何もかもが駄

目になったと言ったコメントを漏らしている人もいる。雷蔵が生きていれば日本の時

代劇も変わっていたかもしれない、といったことも言われる。こうして、市川雷蔵と

いう役者に、かけがえのない「スター」としてのイメージが付加されていくであろ

う。

 

悲劇の主人公

 ルネ・ジラールは、悲劇の主人公は「供儀のいけにえ」と同様であると述べてい

る。

 

「供儀のいけにえがさまざまな情念を偏在させそれを排泄することができるために

は、それが共同体のあらゆる成員に似ていなければならないし、同時に、似たもので

あってはならず、近いものであると同時に遠いもの、同じものであると同時に別なも

の、分身であると同時に聖なる『差異』でなければならない、ということを思い出

す。同様に、悲劇の主人公も、もっぱら《善》であっても、もっぱら《悪》であって

もならないのである。ある種の善良さは、観客の部分的な同一視を確保するためにそ

こになければならない。同じように、結局はその《善良さ》を無効にしてしまい、観

客に主人公を恐怖と死に引き渡すことを許す何からの弱さ、《悲劇的な断層〔裂け

目、欠点〕》が必要である」

 

この供儀のいけにえの定義は「スター」に置き換えることができるのではないか。

「スター」とは、「共同体のあらゆる成員に似て」いる。それは同じ人間なのだか

ら。「同時に似たものであってはならず、近いものであると同時に遠いもの」であ

る。「スター」とは隣のお兄さんやお姉さんではなく、どこか手の届かない存在であ

る。「スター」とは「同じものであると同時に別なもの」、同じ人間でありながら、

スクリーンという別な世界を生きているものである。「スター」とは「分身」であ

り、神格化された「聖なる差異」をもつものである。そして、「悲劇の主人公」もま

た同様に「善良さ」と「弱さ」と「悪」を持ち合わせている。

私たちは、しばしば映画上の役と、演じている俳優とを混同してしまうことがある。

いつも三枚目ばかりを演じている俳優が、その人自身も常にそういう人物であると

思ったり、無口でクールな役が多い人は、ふだんの生活からそういう人物だと思った

りする。市川雷蔵についても同様の錯覚が生じると思われる。

雷蔵の映画には同時代の時代劇スターの映画に比べると、悲劇的なもの、言い換える

なら、彼は死んだり行方がしれなくなったりする役が多かった。時代劇(チャンバラ

映画)での刀による殺傷の中で無惨に殺されていく役を演じた市川雷蔵は、まるで

「供儀のいけにえ」のように見えてくる。そのように、市川雷蔵については、作品上

の役柄をこえて「悲劇の主人公」いうイメージがオーバーラップしてしまうのではな

いだろうか。映画を観ているとき、主人公の悲惨さは、雷蔵の悲惨さであると。

雷蔵の出演映画が、会社によって企画され割り振りされたものであることを、私たち

は知っている。雷蔵のプライベート写真として公開されたものも、作られたイメージ

(商品)であることも私たちは知っている。(誰も本気で自然な姿だとは思っていな

いだろう。)雷蔵が講演等で語った言葉、あるいはエッセイとして書かれた文章が、

ゴーストライターによって書かれている可能性があることも、やはり私たちは知って

いる。にもかかわらず、映画上の役や彼の残した言葉などすべてが、あたかも「市川

雷蔵」そのものであるように錯覚するときがある。そして、いつのまにか映画におけ

る役の「悲劇性」「暗さ」は彼の持つ生い立ちからにじみ出ると解釈し、死ぬ役が多

かったことがまるで不吉な兆候であるかのように読みとり、彼の死が大映の倒産へと

つながり…、つぎつぎと根拠のない因果関係を作りだしていくのである。そうして、

いつの間にかすり替えられた因果関係が、「市川雷蔵」に神秘のヴェールをまとわ

せ、映画を観る私たちに、映画作品をこえた感情、何か特別な感慨深い気持ちを与え

てしまうのではないだろうか。悲劇的な作品の場合だけではない。たとえば、三枚目

を演じる雷蔵が好きな人は、「悲劇的」なイメージがある雷蔵だけれども実はこれが

彼の本当の姿である、といった解釈をしながら観ることもあるだろう。そういったさ

まざまな思い入れが、また同じ雷蔵の映画を観るという行為につながるのではないだ

ろうか。

 

結び

「他人の身体の中に入り込んだ『私』が他人の夢を見る。映画的身体の経験はこの言

葉に尽くされる。その目も眩むような浮遊感を求めて、私たちは飽くことなく映画館

の暗闇の中に身を沈めるのである。」

 

市川雷蔵の映画を観に私は映画館に通う。それは雷蔵が「夢」を見させてくれるから

である。ある時はスーパーマンのように無敵であり、ある時はきれいなお姫様と恋を

するお殿様であり、ある時はコミカルな狸であり、ある時は無情に殺されていく悲劇

の主人公である。市川雷蔵は、いろいろな役を演じてくれている。どの作品も全身全

霊をこめて演じている真摯さを感じる。どんな気恥ずかしい台詞も、きれいな口跡で

さらりと言ってのける。

雷蔵についてさまざまな人が語ってきたことや、売り出しのために企画され作られた

イメージにすっかり絡み取られ、いつしか自分自身が発見した雷蔵の魅力であるかの

ように、私の記憶はすり替えられている。そうして、いろいろな役を演じる雷蔵を観

ている私は、映画に入り込んだ恍惚感の中で、刷り込まれた記憶を伴いながら映画を

超えて新たな「市川雷蔵物語」を作りだしていっているのである。