Q:「救われる」って、どうして救われるのでしょうか。
私の母は「足をすくわれるんだ」と上手いやら辛辣やらなことを言いますが…。
(大学生Gさん)
A:うまい。山田く〜ん、Gさんのお母さんに座布団一枚もってきて〜。
内田先生は本書の中で「救いは霊的次元のこと」と書いておられます。確かに「救われる」とは、宗教体験の領域でしょう。いわば、「向こう側から開ける世界」をリアルに実感する体験です。
良寛さんは、「災難に逢う時節には逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法なり」と言いました。仏教が目指す安定した心身の状態では、「生も死もわずらいなし」とさえ語られます。こういう言葉を聞くと、まさにこの人は救われているなぁ、と思いませんか。
Gさんのお母さんが言うように「足元をすくわれる」のは、自我を満足させようという方向に宗教を利用しようとして、その落とし穴にはまった状況のことです。のどが渇いたときに、我慢しきれずに海水を飲むようなものです。
何かにすべてをまかせきることができたとき、何かに無条件に受容されたとき、人は救いを実感すると思います。