Q:阿弥陀堂より御影堂(ごえいどう)の方が大きいのはなぜですか?
(長野県真宗僧侶・F原氏)
A:うわぁ、きっつう。この方、わかってて皮肉で質問されているんじゃないでしょうねぇ。なんだかこのコーナー、私をだんだん窮地に追い込んでいってないですか?
確かに浄土真宗の教義に立脚するならば、親鸞聖人をおまつりする御影堂よりも、ご本尊である阿弥陀仏をおまつりする阿弥陀堂のほうを重視すべきはず。なのに、御影堂のほうが圧倒的に大きくて豪華なのであります。これは西本願寺だけではなく、真宗各派の本山もその傾向にあります。
これは「宗派」というセクトが抱える悩ましい矛盾ですね。なぜなら浄土真宗が浄土真宗として成立するには、親鸞聖人というパーソナリティーが不可欠だからです。なにしろ阿弥陀仏信仰だけじゃ、他の浄土仏教教団との差異化ははかれませんから。こういうのを民俗学では「祖師信仰」とか「開山信仰」と言います。あらゆる宗教教団に見られる形態であり、ご存知のように親鸞聖人のことを「御開山(ごかいさん)聖人」と呼び習わすほど真宗教団においても根強いものがあります。やはり私たちは、親鸞聖人をはじめとするさまざまな先達のパーソナリティや言葉を通して、阿弥陀仏の願いをリアルに感じることができるのだと思います。
というわけで、御影堂が大きいのは教団の存在意味を提示しているから、と言っていいんじゃないでしょうか。まさにあの巨大な御影堂は、共同体ネットワーク(末寺や講や同朋)を包括する組織を支え表現しているシンボル。宗教的シンボルを理屈で簡単に否定することはできない、というのが私のスタンスです。