Q:
私は長年、スポーツクラブに通い、エアロビクスを愛好しております。しかし、日頃のケア不足や仕事のストレス等で、気がついたら、肩甲骨や骨盤が回旋できず、猫背ぎみで骨盤が歪がみ左足がスムーズにあがらず、歩行も引き摺りぎみに。これは、かなりヤバイぞ、この年で…。人間、年を重ねても、美しく、背筋の通った人間でありたい。と、アンチエイジングを目指していたのでは…。そして、ピラティス、ヨガ、ダンスミックス(エアロビに体幹部を中心とした動き、ダンスの要素を多く取り入れたもの。)等、体幹部の強度と柔軟性を高めるエクササイズに真剣に取り組み。下腹部の腹筋、丹田を意識すること。胸骨を開き呼吸することで、身体を弛緩させパフォーマンスすること。徐々にではありますが、骨で呼吸する開放感。そして、その呼吸から生まれる意識的な深度、耐性がわかりはじめてきたような気がいたします。まだ、入口ですが…。
今まで、人間としての機能、「呼吸をすること。」を見つめてこられなかったのが悔しく。身体感受性を磨くことで、いろいろな想念が生まれてゆく。すごく気持ちがシンプルになれ、年を重ねることが彩りを深めるとこなのではとも、感じてもおります。
そこで、内田先生に質問ですが、呼吸の質とは、どうお考えでしょうか?また、合気道やダンス、禅やヨガの呼吸の違いは、どうなんでしょうか?御回答の程、お願いいたします。
(ペンネーム/sabrina 45才 女性)
P.S. 「私の身体は、頭がいい」から入りましたので、仏文の先生とは、思いませんでした…
A:
こんにちは。
ウチダです。
呼吸についてのご質問、知っている範囲でお答えします。
合気道では呼吸はたいへんたいせつな稽古法で、稽古全体の土台というか骨格をなすものです。
合気道の呼吸では「酸素は肺に、気は神経に」と言われます。
いわゆる「吸酸除炭」の呼吸と同時に、それとは別の境位で、宇宙の気を神経を通して全身に受け容れるのが武道的な呼吸の要諦とされています。
現在の私自身の理解の程度で申し上げると、呼吸で一番大切なのは「リズム」です。
呼吸は「リズム発生」の原器のようなものだと考えています。
私たちの世界経験は圧倒的に視覚情報中心に形成されていますが、視覚は空間的表象形式によって世界を一望俯瞰することをめざします。
「すべてが見える」というのが視覚的な世界経験の絶頂なわけですが、ここには重大なものが欠落しています。
時間です。
視覚情報は本質的に無時間モデルなんです。
呼吸は「リズム発生原器」であると上に書きましたが、それは「時間発生原器」とも言い換えられます。
過度に脳化された身体経験からは時間が捨象されます。
そこに時間を取り戻すのが呼吸のはたらきではないかと私は思っています。
「過度に脳化された身体経験」というのは中枢的な身体経験と言うこともできます。
脳が身体を中枢的に統御し、完全な指揮下に置く状態を理想とするのが、中枢的身体運用です。
それに対して、身体の各部がある程度自律的なシステムを作り、それがゆるやかに結合したり離れたりするのが非中枢的身体運用です。
システムというのは、自律的な複数のシステムが非中枢的にネットワークを形成している方が安全です。
中枢的システムは何も変化しない無時間的な静止状態を理想とします。非中枢的システムは絶えず無数の予測不能の変化が起きる状態を理想とします。
呼吸というのは、中枢的に統御されている身体システムを非中枢的なモードに切り替えるための「きっかけ」を与えるもの。
私はそんなふうに考えています。
へんてこな話ですみません。お答えになっていたでしょうか?
釈先生からの「追記」
禅の呼吸法についてだけ、少しお話させていただきます。禅には数息観(すそくかん)という「呼吸の数を数える瞑想法」があります。比較的初歩的な技法です。坐禅は、身体を整える「調身」、呼吸を整える「調息」、心や精神状態を整える「調心」という手順に沿って行われます。調息の際、腹式で呼吸しながら吐く息を数えます。「い~ち」「に~」…だいたい一回で20秒くらいの目安でしょうか。息を長~く、ゆっくりと吐く。完全に吐ききる。吐ききった反動で、息を吸う。呼気中心ですね。十まで数えたら、また一に戻ります。
自律神経というオートマチックなシステムの支配を受けていながら、同時に随意的コントロール可能な呼吸。古来、瞑想や心身の調整に重視されてきました。その機能と特性を生かすという点は、武道や修法、(おそらく)ダンスや歌唱などにも共通しているのではないでしょうか。