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質問37・子どもが高校を中退・・・

Q:
内田先生 釈先生、こんにちは。
子供がどうも高校というシステムと合わないようで、中退してしまいました。でも何だか慌てていて、同じ学年の人たちからあまり遅れないで大学に行きたいと言うのです。ドイツの大学に行った甥っ子はドイツでは行きたいときに行きたい様に学校に行くと言ってました。どうして日本では、それが出来ないのでしょう?「そろそろ小学校にいってもいいかな」とか「よくわかんなかったから、もう一回5年生をやる」っていうのでいいと思うのですが。社会に余裕がないわけではないし、大人になって、ニートとかパラサイトとかいうよりゆっくり進んだほうがいいと思うのですが、農耕民族だからでしょうか。とりあえず息子にゆっくり大人になっていいんだということをどうすれば解らせることが出来るのでしょうか。(T子)

A:
学校を「行きたいときに行けるシステム」にする案はかなり以前から先進国では取り組まれていて、日本でも一部の高校や大学などはそれに近くなってきています。でも、学校だけをそんなシステムにしても、結局、就業時に格差が出てしまうことをみんな知っていますからねぇ。これからは、経済の仕組みや法整備も多様性を認める方向に進める必要がありますね。
 「師友塾」という私塾があります。ご存知ですか? 大越俊夫という方が塾長で、運営されています。この人は、不登校になったら親は赤飯を炊いて祝え」って言うんですよ(実際にタイトルが「子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!」という著作もあります)。なぜなら、「もし本当に心が優しく思いやりがある子なら、今の学校に行けるはずがない」、ゆえに「自分の子が不登校になったなら、まともな証拠だ」、だからお祝いしろってことです。確かにその塾は、社会で苦労している子供や青年が生きる力を取り戻す場として機能しているように思えます。
出家という形態も、ある意味では、社会システムからはずれた人の居場所としての機能をもちます。そもそも宗教というのは、社会よりも領域が大きいですから。特に仏教には、現代のような状況を生きる智慧があふれています。でもその智慧は即効薬のようなものではなく、薄紙が一枚一枚重ねられるようにしか形成されません。まさに、T子さんが言うような「ゆっくり大人になっていく」感じです。
とはいえ、農耕民族じゃなくても、社会の一般的な枠組みからはずれることや、何にも所属しないことへの不安は大きいです。息子さんが「同じ学年の人たちからあまり遅れないで大学に行きたい」と感じているのは、かなりきつい状況です。ダブルバインド(別々の方向に引っ張られて、立ちすくんでいる状態)ですね。が、その思いがある限り社会適応力が機能している、とも言えます。「ゆっくり大人になっていいんだということ」をわかってもらうためにも、まずは何か居場所や気持ちを共有できる人を探されてはいかがでしょうか。
私塾や教育施設やお寺、その他にもいろんな居場所が結構あります。ご心配にはおよびません。何か将来のための今を生きる、ではなくて「今・私が・ここ」を生きるスベがきっとあります。(釈)

こんにちは。
高校中退の内田です。
私が高校をやめた理由はいろいろありますが(高校が私をやめさせた理由は一つだけですけど)、ひとつは「学校なんてくだらねーぜ、けっ」と思っていたからです。
そのあと、すぐに大検を受けて、結局同級生より半年はやく高校を卒業することになってしまったのですが、それは「学校ほど楽なところはない」ということがよくわかったからです。
中卒者に世間の風は冷たいです。
時給100円のバイトで骨と皮に瘠せてしまい、「これなら数学勉強しているほうが100倍らくちんだなあ」ということが骨身にしみました。
あれ?
お子さん、もしかして働いてないんですか?
まさか、そんなはずないですよね。
家でママのつくるご飯を食べながら、日本の教育制度の不備について批判的に省察してるわけじゃないですよね。
まさか・・・

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2006年03月16日 21:38に投稿されたエントリーのページです。

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