Q:
釈先生、内田先生。はじめまして。
東京の巣鴨にある、とげぬき地蔵尊様は、人からごしごし擦られると、その人の身体の痛みを取ってくれると聞いています。
素朴に疑問なのですが、お地蔵様は、痛くないのでしょうか?
仏さまの我慢には、限界はないのでしょうか・・・。
(ペンネーム 手袋・33歳・男性)
A:
釈先生からのご回答
お地蔵さまは、「仏さま」ではありません。「菩薩さま」です。「菩薩」は、「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略で、「ボディ・サットヴァ」の音訳です。意味は、「悟りを求める者」。つまり「仏」の前段階です。
お地蔵さまや観音さまは、「悟りを開けないから未だに菩薩」なのではありません。わざわざ「悟りを開いて涅槃の世界に行くこと」をやめて、この世界で苦しむ生きとし生けるものを救おうという意思をもって、菩薩にとどまっているのです。
ということは、もう、存在そのものが、「抜苦与楽(ばっくよらく:苦を引き受け、楽を与える)」※なのです。身体的痛みを引き受けるくらいはなんでもありません。
でも、「人の痛みを引き受けるなんて、お地蔵さんは痛くないのかなぁ」と感じられたあなた。いいです。金子みすずの「大漁」という詩を思い出しちゃいました。
あなたがそのような思いを持たれただけで、お地蔵さんは存在したかいがあったというものです。いやいや、実はそのためにこそお地蔵さんはおられるんですよ。痛みを引き受けるのは方便。あなたにそのような思いを生起せしめたお地蔵さん、すごいですよねぇ。
※ちなみに、仏像が片手を挙げて、片手を下げているのは、この抜苦与楽を表現しております。