Q:
はじめまして。ご相談です。会社の先輩(女性;既婚子持ち39歳)が八つ当たりをします。細かいチェックをいちいちして字の間違いチェックもします。自分も間違えたりしても笑ってごまかしています。家庭が上手く行ってない、体調が悪い等もあるようですが私自身、笑ってかわすのに疲れてきました。忙しい時だとしょうがないと思いますが、私の方も忙しくてもできるだけ笑顔で対応をするようにしている分、なんだか納得できません。
元々、私は八つ当たりをされやすいところがあるらしく、そういう自分にも疲れました。ちょっと前に八つ当たりされた時にはかなりこちらもキレて応戦し、且つ、次の日には笑顔で対応しましたがもう、疲れました。
どうやったら八つ当たりされないでしょうか。された時に大声で「はあ!?」とか言ってみればいいでしょうか?向こうが勘違いしていたり、こちらが言いたい事があっても余りに馬鹿らしくなって言うのを止めてしまいます。
派遣社員なので仕事は嫌になったら変われますがそんなことでいいのかな? と思ってみたり。(年齢もありますし、一人暮らしなので経済的に不安定です)
でも今までそういう八つ当たりに耐えてきて結局、八つ当たりした方がぬくぬく生きてきたので、いっそしっちゃかめっちゃかやって辞めてみるのもいいかも知れないと思います。仕事は他にやりたいことがあるのでスキルを積みつつ、少しずつお金を貰えるようになってきました。(占い師です)
鈍くならねば現代社会、生きていきづらいのではありますが、なんとも疲れてしまいます。こんな私にご鞭撻の程、よろしくお願いします。
ハンドルネーム「とうか」・女性
A:
釈先生のご回答
まさに「怨憎会苦(おんぞうえく)※」ですね。
このような八つ当たりに対して、笑ってかわしても、キレて応戦しても「はあ!?」などと挑発しても、疲れるのには変わりありません。なぜなら、相手が発する悪意がとうかさんの認識や感情に作用してしまっているからです。
仏教では、「避けることのできない苦しみ」に対して ①「認識・感情の器官が働くのを止める」 ②「起こる現象をひたすら観察し、気づく」 という手法をとります。でも、この話はかなり長くなりますので、わかりやすいヒントをひとつだけ。それは「自分のペースを崩さない」です。相手から受ける刺激に振り回されるのをやめて、超マイペースで行動し、そしてクールに相手と自分を観察すること。これは、即効性はありませんが、長期戦になればなるほど、必ず勝ちます。その先輩が変化するより先に、まずとうかさん(とその先輩)を取り巻く「他の人々」の態度が変わってくるはずです。
ところで、他にやりたい仕事として「占い師」のスキルを磨いておられるとのこと。それでしたら、ちょっと違うお話をしたいと思います。なぜなら、「占い師」とは自己犠牲的愛がなければやってられない仕事だと思うからです。その既婚子持ち39歳の先輩を観音菩薩の化身として拝む覚悟、このことをお勧めします。観音菩薩はあらゆるものに変化して私を導いてくださります。その既婚子持ち39歳の先輩は、あなたに占い師としての試練を与えるために現れた観音の化身です。
※「怨憎会苦」とは、「いやな奴とつきあわねばならない苦しみ」でして、仏教で説かれる、生きる上で避けることができない苦悩のベスト8のひとつに挙げられます。ちなみにこの反対が「哀別離苦(あいべつりく)」と言いまして、「愛する人と別れねばならない苦しみ」となります。
ウチダの(よけいな)コメント
いやなやつを「観音菩薩の化身として拝む覚悟」とは、さすが仏陀の教えは慈愛にあふれておりますね。
私は釈先生ほど慈愛にあふれていないので、冷たいことを言います。
あなたは人間は何のために努力をしていると思いますか?
お金がほしいとか、権力がほしいとか、地位がほしいとか、威信がほしいとか、文化資本がほしいとか・・・「立身出世」についてはいろいろな表現はありますけれど、これを簡単にひとことで言ってしまうと、「いやなやつにこづきまわされないですむ立場になる」ということですね。
あらゆる努力は「いやなやつにこづきまわされないですむ」ような生き方ができることを目標に注がれねばなりません。
お金がないことがつらいのは、お金のために「いやなやつにこづきまわされる」ことに耐えなければならない機会が増えるからです。
社会的承認を受けられないことがつらいのは・・・(以下同文)
私が「イデオロギー」というものに対して警戒的なのは、どんな「正しい」イデオロギーであっても、それがひとたび支配的になると「そのイデオロギーの旗を振って、むやみにえばりちらす奴」が出てきて、これが始末に負えないからです。
こういう「いやなやつ」に将来こづきまわされずに済むために、日頃から「『正しいイデオロギー』は芽のうちに摘んでおく」という草むしりみたいな肉体労働が不可欠なんです。
質問者の「とうか」さんは、これまでの人生で「いやなやつにこづきまわされずに済む」ためにどういう予防的手だてを講じてこられましたか?
余人をもっては代え難い種類の社会的能力の獲得とか、人間的ネットワークの形成とか、そういうものに先行投資してきました?
「いやなやつにこづきまわされる」という不幸の大半はそういう予防的な自己投資を怠ってきたことの結果です。
書かれているような、明らかに社会的能力が低く頭も悪そうな人間が「先輩」として、ある種の権力をもっていられるような(人的資源に貧しい)職場に今身を置いているという事実自体が、あなたの予防的自己投資の不足の「結果」だと考えた方が建設的だと思います。
まずは「観音菩薩の化身」を拝むことから始められたらいかがでしょうか。
「いやなやつ」より多くの倫理的負荷を背負い込むための努力は、間違いなくあなた自身の社会的評価の向上に資するはずですから。