« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »

2007年02月 アーカイブ

2007年02月23日

質問51・ギャンブルしても成仏できますでしょうか?

Q:
釈住職・内田老師とも麻雀をたしなまれますが、ユダヤ教や仏教ではギャンブルについてどのように考えているのでしょうか?
世間一般には賭け事は「悪いもの」とされているようですが、江戸時代に寺院が寄付を募るために宝くじを発行したりしていますし、仏教ではギャンブルがわるいことなのかな?と思うのです。
「欲で冷静な判断が出来なくなる」から悪いのかな?とも愚考しますが、よくわかりません。冷静に判断して勝てる賭けならば良いことになりますから。
またユダヤ人のように世界に分散している人たちはイチかバチかの賭けを一番やってきた人たちのように思われます。もし安全確実な方法だけとっていたら生き残れなかったでしょう。
ウチの嫁は競馬で勝ってきても怒るんです。負けて怒るのは当然ですが…。なんとか嫁を説得するため理論武装させてくれませんか?
(名古屋市 競馬万歳)

A:
ご指摘の通り、江戸時代には寺社が宝くじを発行したりしてます。また、賭博場としていた例は多かったようです(だから賭博場に支払うお金をテラ銭って言うらしい)。
ロジェ・カイヨワによれば、賭博には祝祭性があるとのことです。
ユダヤ教や仏教の体系において、賭博の禁止はそれほど優先順位が高くありません。やはり、殺生の禁止や窃盗の禁止などのプライオリティが高くなります。もちろん、賭博を勧めるような宗教はあまりないですから(宗教は、人間のあくなき欲望を抑制する方向に機能します)、大抵の宗教における敬虔な信者は、ギャンブルはやらないほうがよいと考えています。また、当然ですが、ユダヤ教の場合、安息日には禁止されます。
ユダヤ人が世界で活躍しているのは、イチかバチかの賭博的才能よりも、むしろ地道な教育の成果と自分達の生活様式を大切にした結果だと思います。まあ、「出エジプト」なんてのは、ギャンブル的要素があると言えるかもしれませんが。
ちなみに、賭博行為に対して厳しく禁止することで有名なのはイスラムです。敬虔なムスリムはトランプなどもしません。数年前、サウジアラビヤでポケモン・カードが禁止されました。理由はカードゲームに賭博性があるからです(もうひとつ、ポケモンが「進化」するからというのも理由となりました。ピカチュウがライチュウになったりするでしょ。進化論はだめなので)。厳密に言えば、酒も賭博もダメなイスラムですが、まあそのあたりはそこそこ楽しむ人も多いです。「豚を避ける」ことよりは、優先順位が低いように見受けられます。
さて、仏教では、いろんな仏典に賭博はやめたほうがよいという知見が説かれています。当然、出家者は賭博禁止です。どうも、インド文化圏では古来、賭博が盛んだったようです。遺跡からサイコロが見つかっていますし、仏典にも各種のギャンブルが出てきます。
ディーガ・ニカーヤというパーリ語仏典群の中に、「シンガーラへの教え」という仏典があります。これは在家者(出家者ではない仏教徒)の生活規範がよくまとめられていることで知られています。そこには「賭博による六つの危難」というのが語られています。 

1.勝てば怨みを生む。 
2.負ければ財産に嘆く。 
3.現に見える財物を損失する。 
4.法廷に行っても、その言葉は無効である。 
5.友人・知己に軽蔑される。 
6.嫁を迎える者・嫁に出す者たちに望まれない。(だから)賭博をする人間は妻を養う資格がない、と言われる。

仏教の戒は「習慣づける」という意味合いが強いので、こういう危険と災難がありますよ、という警句になっています。そういえば、私の弟は大東市の寺の住職ですが、競馬好きです。注意しても、「競馬はイギリスでは高貴な趣味だ」と言い張ります。ここは日本やっちゅうねん。
あら?「六つの危難」には、勝っても負けても損失があるとしている…。どうも相談者よりも相談者の奥さんに分が良さそうですな。
ということで、「嫁への理論武装」ですが、結論として「仏教は役に立たない」と言わざるを得ません。自分の都合に合わせて仏教をつまみ食いすることはよくないからです。むしろ、「ストレス理論」とか「功利主義」などの理論に頼ったほうがいいんじゃないでしょうか。説得するには、そちらを勉強することをお勧めします。

へへ、釈先生も麻雀を持ち出されると弱いですね。
こんばんはウチダです。
さて、私は俗人でありますけれど、聴いて驚くなかれ、ギャンブルは一切やりません(麻雀はギャンブルではありません。あれは「修行」です)。
競馬というのは昔一度だけやったことがあります。
パリのロンシャン競馬場に友人に連れて行ってもらって、こうやって馬券を買うんだよと教えてもらったので、おつきあいで一枚買ったら、これが当たり。
「なんだ、競馬って簡単なんじゃん」と思って、次のレースも買いました。
窓口で「14番(カトゥールズ)」と言ったのですが、私のフランス語の発音が悪かったせいで渡された馬券が4番(カトゥル)。
まあこれもご縁かと思ってレースを見ていたら、14番が一着。
フランスの競馬関係者たちはオレをなめているのか!と激怒して馬券を引きちぎり、それ以来、どのようなギャンブルにも手を出したことがありません。
何の参考にもならない経験談でしたね。すみません。


2007年02月27日

質問52・仏教マンガおすすめは? 

Q:
釈先生、内田先生こんにちは。仏教に関係したマンガを読んでみたいと思うのですが、どんなものがありますか。お薦めがあれば教えてください。よろしくお願いします。
(32才女 さいたま市 メンフィス~)

A:
仏教に関係したマンガと言っても、「マンガを使ってわかりやすく仏教を説こうとしたマンガ」と「仏教テイストあふれるマンガ」とは区別して考えたいと思います(私、宗教的マンガを四種類に分類して考えているのですが、その話はかなり長くなってしまいます…)。
で、今回は後者に限って考えますね。
そうですねぇ、お薦めですか。『火の鳥』(鳳凰編)なんかもいいと思いますが…。ここはひとつ、つげ義春『無能の人』あたりはどうでしょう。世間の価値に疑問を投げかける、そんな雰囲気をもつマンガです。主人公の「無能ぶり」と「孤独」、近代成長期の流れから落っこちてしまった「苦悩」。その他の登場人物にもなかなか味わい深いものがあります。仮にこの世に来ている、みたいな人が結構出てきます。近年、竹中直人が映画化しました。
お坊さんをパロったマンガもいくつかあります(お坊さんを笑うのは、日本宗教文化の伝統的手法です)。中でも、岡野玲子『ファンシーダンス』と三宅乱丈『ぶっせん』は見逃せません。岡野玲子はご存知『陰陽師』で大ヒット。「手塚治虫をまったく読んだことがない稀有なマンガ家だったから」という理由で、神様の息子・手塚眞が結婚した人です。『ファンシーダンス』は、周防正行が映画にしてます※。また、『ぶっせん』は仏教専門学園の略称。ぜひご一読を。かなりお薦め。最後は泣けます。
ちょっと方向性が違うかもしれませんが、密教のキャラはしばしばマンガに活用されています。例えば、荻野真の『孔雀王』がそうですね。続編とも言うべき『夜叉鴉』では仏教対神道のモチーフに移行してます。また、『シャーマンキング』でブレイクした武井宏之は、『仏ゾーン』という仏教オタクみたいなマンガを連載していました。
そうそう、女性向きマンガであれば、ちょっとオカルト傾向が強いのですが今市子『百鬼夜行抄』もいいですよ。

あと、「お薦めの仏教マンガ」として、『ちびまる子ちゃん』を挙げたいです。
みなさん、花輪くんはインド哲学が好きなのを知ってました?ちゃんと「インドのおはなし。おしゃかさま」という本を読んだり、瞑想しているシーンが描かれています。奥の深いキャラなのです。
まる子ちゃんは祖父母と暮らす三世代同居。しかも「おじいちゃん子」。ですからお話の中でお釈迦さまや仏さま、明王、阿修羅、遊行僧といったイメージがよく出てきます(ちゃんとマンガを読んだことがある人は意外に少ないかもね)。
そして、なんといっても、『ちびまる子ちゃん』の仏教的雰囲気を生み出しているのは、しばしば登場人物にツッコミを入れる影の声です。あれはまぎれもない「仏の智慧の声」です(ほんとか)。

※周防正行の『ファンシーダンス』は、NHKが特集した「永平寺」番組をパロディにしています。これを見比べると、おもしろさは倍増! というより、この番組を見ないとおもしろさがわかりません。私、この番組を録画したやつをもってるんですよね~、へっへっへっ、うらやましいでしょ(自慢)。

はい、こんにちは。ウチダです。
仏教マンガというのは釈先生の「ツボ」にはまりましたね。
このネタで語らせると、長いですよ、老師は。
もうこれ以上にリストに付け加えるものはありませんけれど、最近読んだものをひとつだけ。
ホイチョイ・プロダクションズ『気まぐれコンセプトクロニクル』(小学館)
974頁という大冊ですけれど、一読してあなたの口から「諸行無常」という悟りの言葉がため息とともに洩れることだけは保証できます。

About 2007年02月

2007年02月にブログ「インターネット持仏堂の逆襲・教えて!釈住職」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年01月です。

次のアーカイブは2007年03月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35