Q:
内田樹様、釈住職様へ
仏教に関係ない、場違いな質問かもしれませんが聞いてください。
私は男性ですが、ほとんど骨だけの体で筋肉がありません。以前のあだ名は「骨」でした。しかし、内田先生の本を読み進む内に、もう少し筋肉が欲しいなぁと思いました。
そして今度、筋肉トレーニングをしようと思うのですが、効率の良い筋肉のつけ方について教えてほしいので、メールしました。
仏教的視点から見て、筋肉をつけるということはどういうことを意味するのでしょうか。
また仏教的な筋肉の正しいつけ方をお聞きしたいのですが。
そして、筋肉がつくと人生にどういう影響が御座いますか。
爪に火をともす感じで、何とか日々を送っています(文庫が最近出版されて嬉しいです)。30近いのに、バイトをやったりやめたりで、恥ずかしくて本名を出せません。御免なさい。
(ペンネーム 骨)
A:
仏教的視点による筋肉増強ですか?
筋肉に特化して語るような理念はありませんが、「身体を整え鍛錬する」ことは仏教でも重視します。なにしろ「身心を整える」ことによって、苦悩の連鎖を安寧の連鎖へと展開するというのが仏教という宗教ですから。
最古の経典のひとつである『ダンマパダ』には、
「健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナは最上の楽しみである」(第204偈)
というブッダの言葉があります。ここでも、「健康」「満足」「信頼」といった経験則に基づく価値観が語られています。この言葉で重要なポイントは、「身心のバランス」です。どんなにすばらしい理想や行為であって、「バランスを崩し、極端になってしまう」のは良くないと仏教では考えます。
骨さんが筋肉を鍛えることに目覚めたのも、骨さんの身体がそれを要求しているのかもしれません。ここはひとつ、身心の流れに沿って、筋肉を鍛えてみてください。
というわけで「仏教的な筋肉の正しいつけ方」は、「“バランスよく”というイメージを大切にすること」、これです。
ちなみに、私自身は「筋肉をつけようと思って、筋肉を鍛える」のは苦痛と感じるタイプです。
こんにちは。内田樹です。
筋肉ですか・・・武道では「よけいな筋肉をつけない」ということが大事なんです。
だから、ウェイトトレーニングはやってはいけません。
あれは、身体を固定して、局所的な筋肉に非日常的な負荷を与えて、筋繊維を断裂させて、再生するときに太くするという、どちらかというと「未来を担保にした借金」みたいなものなんですけれど、筋繊維が断裂するという「苦痛」を感知しないようにする点がよろしくないと思います。
身体的苦痛を、あるいは苦痛の予感を感知する能力は人間が生きてゆく上でもっともたいせつな能力のひとつです。
恐怖心とか不安とか苦痛とかは生きるためのセンサーですから。
ぼくが現代のスポーツ指導で疑問に思っていることは(平尾さんとの対談本にも書きましたけれど)、「苦痛を苦痛として感知しない」鈍感な身体を作ることの危険性をほとんどカウントしていないことです。
たしかに「苦痛を苦痛として感知しない」ペインレスの身体は「無敵の強兵」になる可能性があります(ゾンビみたいなもんですからね)。
それによって恐怖心や怯えによる制約を突破して、思いがけない身体的なブレークスルーが経験されるということは、たしかにあります。
でも、これはすごく危険な方法だとぼくは思っています。
武道を教えていて、なかなか上達しない人には共通性があります。
それは自分の身体が現に感じている「不快感」を感じないということです。
身体がねじれたり、こわばったり、ゆがんでいたりすることは「不快」であるべきなのですが、それが感知できない。
人間の身体は「不快を避け、快を求める」というのが本来的なありようです。
だから、例えば熱い鉄板に指先が触れたときに、ぼくたちはそこから飛び退りますね。
身体をじっと固定させておいて、指先だけ「ひょい」と動かすということはしません。
全身を使って飛び退るのと指先だけ鉄板から離すのでは、要する時間はたぶんコンマ何秒しか違わないでしょう。けれども、「不快を避ける」身体の本性はこのコンマ何秒の差を有意なものとして感知します。
その感覚がとてもたいせつなのです。
その感覚をとぎすませてゆくと、身体は最短時間、最短距離、最少エネルギー消費での身体運用の動線を瞬間的に探り当てられるようになります。
それが武道的な意味で合理的な身体運用、すなわち最速、最強の身体運用です。
この理想の動線を探り当てるためにいちばん必要なのは「いやな感じ」を「いや」だと感じる感受性です。
というわけで逆説的なことに武道的には「どれほど俊敏に厳しく動いても、どこにも負荷がかからないので、結果的に少しも筋肉がつかない」ような身体運用が理想的とされるのです。
筋肉付けたい人に、反対のアドバイスでごめんなさい。
でも、筋肉つけるより、皮膚感覚を敏感にする方がずっと楽しいと思いますよ。
がんばってくださいね。