本ホームページは、「大家ウチダの経営する長屋」というコンセプトで構築されており、エッセイを寄せている方々を私は「店子」と呼ばせて頂いている。「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」という古諺にあるとおり、本ホームページはそのような家父長制的エートスの領する権力的言説空間なのである。
さて、今般この長屋に、ささやかながら「インターネット持仏堂」を建立することにした。長屋の隅に小さな祠がある風景を想像して頂ければ結構。
その持仏堂に定期的にお坊さまにお越し頂き、法話を伺おうではないかという、ウチダにしては殊勝な心がけなのである。
法話を講じて頂くのは釈徹宗(しゃく・てっしゅう)先生。
釈先生をご紹介しておこう。
1961年生まれ。龍谷大学大学院文学研究科真宗学専攻博士過程単位取得。大阪府立大学大学院人間文化学研究科比較文化専攻博士過程修了。学術博士。専攻・比較宗教学、現在、龍谷大学、相愛大学講師。そして、池田市にある浄土真宗本願寺派如来寺にお勤め(って言うのかな?)。主著に『親鸞の思想構造』(法蔵館、2002年)。
その釈先生とウチダはちょっとしたご縁でつながっていて(その話はいずれ書簡中で言及されるであろう)、先般、本願寺出版社から『いきなりはじめる浄土真宗』という企画が持ち込たときに、ふと釈先生に「メンター」をお願いして、仏教のことを一度勉強してみようかなと思いついたのである。
このところのウチダの思索は「死者」「弔い」「祈り」「呪鎮」「彼岸」といった宗教的な主題にしだいに向かっている。釈先生は宗教学者でありかつご住職でもあり、現場の経験もブッキッシュな知識もともに豊富であるから、このような論件についての「メンター」としては理想的なのである。
というわけで、宗教的なさまざまな問題について往復書簡形式で自由におしゃべりをさせて頂きながら、釈先生から仏教の基本知識をご教示願い、それをホームページ読者諸君と共有し、さらに紙数がまとまったら本にして出してしまおうというのが持仏堂建立の趣旨なのである。前に鈴木晶先生と冬弓舎のホームページでやった『メル友交換日記』とだいたい同じスタイルである。
という企画が昨日、本願寺出版社のフジモトさんの仕切りで決定したので、善は急げ。さっそく本日から「インターネット持仏堂・レヴィナシアン、真宗学僧に会いに行く」が新連載されることになったのである。
この上仕事を増やしてどうするんです、それよりうちの原稿はどうなっちゃうんです、という怒りと嘆きの声が東京方面から聞こえてくるようであるが、なにしろこちらは仏さまが導かれたご縁であるからして、その叱声もあわれ鳥辺野の煙とかき消る他ないのである。諸行無常。南無阿弥陀仏。
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