そ の 一
そ の と き ぼ く は 1 2 歳
1963年初春、丹沢二の塔にて、父撮す。
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1963年元旦、兄徹くん(14歳)と、大田区下丸子の自宅居間にて
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そ の 二
1961年ころ、荻窪の祖父母の家の前にて。ころころ太っていた。
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そ の 三 ・ 入 学 式
1963年4月、大田区立矢口中学校に入学。中学校ではこの感じのまま3年間「よい子」で通したために、すっかり疲れ果て、高校入学と同時に「怒濤のボンクラ化」に突入することになるのであるが、まだその気配は感じられない。
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そ の 四 ・ 卒 業 式
1963年3月、大田区立東調布第三小学校を卒業。手島晃先生と。私と平川君の恩師である手島先生は書家でもあって、卒業に際して私に「茨」と一字したためた色紙を下さった。私はそのとき「これからぼくの人生はイバラの道なのかしら」と思って緊張したのであるが、40年経ってみたら、実は「私が他の人々にとってのイバラである」ということが分かった。さすが恩師は炯眼。
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そ の 五 ・ お 正 月 (1964年)
私のうしろが平川克美くん。となりが高井くん、そのうしろがゴリマンこと渡辺くん。
小学校のクラスメートたちと。平川克美君はのちのビジネスパートナーであり、そいういえばこのホームページの芸術監督であるフジイ君の「もと上司」でもある。(フジイ君、なつかしい?)
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