内田ゼミへようこそ!
このゼミはどういうところなのか、簡単にご紹介します。ちょっと、長いよ。
現代思想・現代文化論というのがゼミの看板です。
一言で言えば、現代の人々はどのような〈物語〉を創造し、流通させ、消費し、享受しているのか?その行為はどういう〈欲望〉に動機づけられているのか?という〈問い〉を立てて、それについて考え、自分なりの〈解釈〉を〈発信〉し、それについての他の人たちからのさまざまな異論や私見と〈対話〉すること、です。
上のパラグラフで〈 〉でくくった言葉がこのゼミのキーワードです。
今、内田自身が興味を持っている〈物語〉は、「性」「民族」「共同体」「神」「呪鎮」「邪悪なもの」「身体の自律」「トラウマ」「抑圧」「憑依」「家族」「恋愛」などなどですが別にみなさんは私の趣味につきあう必要はありません。
私がどういう領域の研究をしているのかはここ二年ほどの著作リストを見てもらう方が早いですね。
『ためらいの倫理学』(「政治的正しさ」についての論考)
冬弓舎、2001年
『レヴィナスと愛の現象学』(エマニュエル・レヴィナスのエロス論、師弟論)
せりか書房、2001年
『「おじさん」的思考』(共同体論、師弟論、イニシエーション論)
晶文社、2002年
『大人は愉しい』(国家論、天皇論、フェミニズム論、物語論)
鈴木晶さんとの共著、冬弓舎、2002年
『寝ながら学べる構造主義』(フランス現代思想入門)
文藝春秋、2002年
『期間限定の思想』(哲学的人生相談本)
晶文社、2002年
『映画の構造分析』(精神分析理論を使ったハリウッド映画分析)
晶文社、2003年
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(癒し系説教本)
角川書店、2003年
『私の身体は頭がいい−非中枢的身体論』(武道論、身体論)
新曜社、2003年
ゼミでは毎回一名の学生さんが自分で選んだテーマで20−30分程度の口頭発表を行い、それについてディスカッションします。
学生諸君の作文能力の低下はかなり深刻です。でも考えてみたら、まともなエッセイを書くトレーニングをこれまで一度も受けたことがないから、それも当然ですね。
だから、ちゃんとしたものが今書けなくても、それは君たちのせいではありません。
しかし、二年かけて「ちゃんとしたエッセイ」が書けるようになる、というのは内田ゼミの大きな教育目標の一つです。
3回生のゼミの教育目標は「卒論研究のための基礎的学術能力の育成」です。
ここでいう「基礎的学術能力」とはだいたいつぎのようなことです。
a) 自分で問題を発見することができる。
b) その問題について、先行研究、参考文献の検索、フィールドワーク、インタビュー、アンケートの実施などの調査を行うことができる。
c) 調査結果を文章にまとめて、その問題について自分の言葉で語ることができる。
d) 問題提起・研究経過・分析解釈を短時間で要約し、口頭発表し、質疑応答に答えて対話することができる。
このa)からd)はぜんぶ「ある一つの能力」に関係しています。それは何でしょう?
コミュニケーション能力です。
コミュニケーションというと、ほとんどの人は「オーラル・コミュニケーション」のことを思い浮かべます。目の前にいる人と気分よく意志疎通できるのがコミュニケーション能力だと思っています。
でも、それだけではありません。
コミュニケーション能力というのは、もっと幅広いものです。
「書かれたもの」とのコミュニケーション(本を読むこと)、非言語的コミュニケーション(無生物や自然からのメッセージを聴き取ること)、異論や敵対するものとのコミュニケーション(対話すること)、そして自分自身とのコミュニケーションなどを含んでいます。
a)の「問題発見」というのは、「何か変?」という「感じ」に反応することです。これは自分の中のある種の「センサー」が起動したことを意味しています。
「変なモノ」に対するセンサーの感度がよいこと。これがコミュニケーション能力のうちで一番大切なものです。
「あれ?これ何でだろう?どうして?」という「驚き」が知的探究を動機づけます。
「問題発見の能力」というのは、言い換えれば「驚く」能力ということです。
「驚かない人」は自分の前にある現実を現実としてそのまま受け入れます。だから、どのような歴史的条件の下で、どのような要素の介入によって、その現実が現実となったのかを探ろうという気になりません。「驚かない人」というのは世界は昔からずっとこのようであったし、これからもずっとそうだろうと思い込んでいる人です。
b)の先行研究や参考文献を「読みとる力」、これもまた広義でのコミュニケーション能力と言えます。だって「読む」というのは、書いた人の声を「聴く」ということですからね。これもa)と同じように、ある種の「センサー」が機能していることが必要です。
もちろん、いくら読んでもさっぱり書いた人の「声が聞こえてこない」ということもあります。
それは書く方が「ちゃんと声を出してない」か、読む方が「ちゃんと聴いてない」かどちらかが原因です。
これを判定するのはかなり高等技術です。それは「書き方」に直接つながってきます。
c)自分の言葉で書くこと。これが三番目のコミュニケーション能力です。
「本を読み、論文を書く」というと「面倒だな」と思う人がいるかも知れませんが、「言葉を聴き、言葉を語る」ということだったら、毎日やっているでしょう?
読むのも書くのも、実はそれとまったく同じことなのです。
みんなそれを忘れています。
話をするときに一番大切なことは何でしょう?
正しい言葉づかいで話すこと、通りのよい声を出すこと、アイコンタクトを忘れないこと、相手が知っている単語や表現を選んで話すこと、相手の表情を見ながら(うまく通じていないようなら)語彙やテンポや口調を変えてみること・・・そうですね。
それの全部に共通するのは何?
それは、ことばを相手に届かせるということです。
相手に通じるように話すということです。
ところが!いざ論文を書くということになると、「読み手がいる」ということをまったく忘れしまう人がいるのです。
「いったい私は誰に向かって書いているのか?」
これがテクストを書くときに、最初から最後まで決して忘れてならないことです。
学術論文はことばで紡がれた「贈り物」です。
あなたが選んだ研究テーマについて、これから後研究しにやってくる人のための「贈り物」です。
そう考えれば、どう書けばいいかは分かりますね。
一番喜ばれる贈り物とは、あなた自身がそのテーマで研究しているときに「こういう論文があったら、すごく助かったのになあ」と思った、そういう論文を書くことです。
明晰な文章で書くこと、論理の筋道を通すこと、必要なデータを示すこと、情報を取ってきた出典をきちんと示しておくこと。それはすべて「贈り物」の作法です。
このゼミの教育目標はあらゆる意味におけるコミュニケーション能力を高めることです。
ゼミ発表は一人20分程度をめどにします。
必ずハンドアウトを用意すること。ハンドアウトはA41、2枚程度。内容をコンパクトに要約したもので、必要があれば、図像、グラフ、統計、引用など、口頭での説明がむずかしいものを添付します。研究室でコピーカードお貸ししますので、人数分コピーして下さい。
ゼミ発表のあと、その日のゼミでの議論に触発されて、いろいろと考えることがあると思います。それを600字−800字程度のエッセイにまとめてもらい、翌週のゼミのときに提出してもらいます。
ゼミ発表についての自分の意見でも結構ですし、そこから連想した違う論点についてでも構いません。短い字数のエッセイですから「エッジが利いている」ということが一番重要です。
「エッジが利いている」というのは問題の表層を破って「差し込み」「切り込む」感じがある、ということです。
そのためにはどれほど奇論暴論であろうと、書いたことには「責任を取る」という固有名で発言するものの覚悟が必要です。
研究のための文献や研究資料(映画、音源など)で必要なものがあれば、内田宛てに遠慮なく申し出て下さい。研究費で購入して貸与します。
ゼミの成績評価は
ゼミ活動(50点)+エッセイ(50点)
ゼミ活動=ゼミ発表(30点)+ゼミでの議論への参加(20点)
*ゼミ委員・ゼミ旅行幹事・ゼミコンパ幹事・アルバム委員・謝恩会委員などの役職担当者は仕事の内容に応じて加点します。
エッセイ=基礎点(26点:2点x13週)+追加点(内容、文体、オリジナリティなどを勘案して、A(3点)、B(2点)を加点。上限24点)
*半期のあいだにゼミ発表が当たらなかったゼミ生は、その分30点を控除した70点満点を100点満点に換算して成績を付けます。