2004年12月24日
悪い兄たちが帰ってきた Tokyo Fighting Kids Return 1
内田さま
ウチダくん、お久しぶりです。
東京ファイティングキッズの再開ですね。
前回の最後は、「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日」でしたね。
その明日が来るまで丁度一年間が経過したわけです。
その間にぼくたちの個人的な日常も、日本の状況も、世界情勢も大きく変化しましたが、その変化が何を意味しているのかまだ判然としません。
まあ、ぼくは最近では変化はすれども成長せずといった世界観にとらわれていますので(なんのことやら分かりにくいと思いますが、どこかで説明できると思います。)、明日は今日より、よくならなくてはいけないとも思わないのですが。
ぼくたちはすでに五十余年生きてきたわけですが、事実としても、実感としても今日が、昨日よりよくなったとはとても言えないだろうと思っています。
けれども、諸行無常とあえて言うまでもなく、変化だけは確実にやってきます。
今回の対話では、その辺りを「検算」する意味も含めて、前回の話題を、もう少し掘り下げてゆければいいんじゃないかと思っています。
■コミュニケーションにおける第三者の視線
さて、「昨日の続き」のその後の口上は、いわずもがなの「提供は参天製薬、声とアイデアは大橋巨泉、前田武彦、それとわたくし富田恵子」でした。今の若い人たちは、ご存知ないでしょうが、ぼくたちの年代ではかなりの人がこの番組を聴いていたのではないかと思います。
前回の終了時、内田くんが私信で、「おお、平川もあれを聴いていたのか」と書き送ってくれましたが、実に数十年を経て当時の共同性の在り処の一端を確認したわけです。
この番組は、おそらく早熟な若者たち、あるいは早熟に憧れている若者たちにとっては新しい消費のかたちを覚える端緒であったように思えます。新しい消費とは何か。ひとことでいえば、それは「知識消費」と呼んでよいものだろうと思います。
巨泉も前武も、ひとつの来るべき文化人の典型をよく体現していました。芸事や遊びに通暁し、政治的な発言も躊躇しない。スポーツの世界や芸能界といった憧れの世界に対して右手を挙げて入場できるプレミアムパスをもっている特権的な文化人であり、同時に庶民の生活感覚も理解できるといった万能選手でした。その後、放送作家という人種がテレビの世界で活躍したわけですが、戦後復興の経済、生産者重視の産業構造がようやくひとつの役割を終えて、新しい消費中心の生活が生まれてくるという時代のパラダイムの変換がかれらを後押ししたと言えるだろうと思います。
かれらは、まさに時代の半歩先をぼくたちの眼に見える形で体現しているロールモデルであったわけです。
ところで、巨泉と前武の掛け合いはそれはそれで、おもしろかったのですが、やはりぼくたちがこの番組に引き寄せられたのは、富田恵子の相槌にあったのではないかと思っています。
当時は、ほとんど意識していなかったのですが、今思い出すと、この「第三者による同意と承認」が実にさりげなく、会話の合間に挿入されていて、ぼくたちは巨泉や前武の聴衆であると同時に富田恵子の同意にシンクロナイズしているという、かなり巧妙な構造をもっていたんだと、納得できるのです。しかもその第三者は、優しい声のお姉さんだったわけですね。しかし、自分たちに理解と承認を与えてくれる第三者がいつも身近にいるとは限りません。
■ 共同体のあいまいな主体
さて、これだけの前ふりをネタにして新しい東京ファイティングキッズを始めたいと思います。
前回は、「対話」という形式で政治、経済、文化、そして私的な問題について意見を交換したわけですが、ぼくも内田君も、お互いの声と同時に、この「対話」が公開されるということを十分に意識していたと思います。第三者の目というものを常に意識しながら、お互いがお互いに語りかけるというかなり不思議な経験をしていたのだと思います。
しかし、よく考えてみると、この第三者の視線というものがなければ、コミュニケーションというもの自体がうまく成り立たないことがわかります。
通常考えられているように、対話というものは、二人だけの閉じた世界の中での出来事ではありませんよね。
もちろん、二人だけの閉じた世界というものが無いわけではありません。
エロティックな関係というのは、まさに「世界は二人のために」といった閉じた関係であり、二人はそれこそ世界の中心で愛を叫んじゃう権利を保有しているわけです。そこでは常識も価値観もそれを「検算」する第三者が不在であるといったことが、重要なポイントなのだと思います。誰にも、エロティックな関係に対して、それが不道徳であるとか、人倫にもとるだとか、アブノーマルだとか言う権利はないわけです。再三の引用で気が引けるのですが、吉本隆明がこの関係を「対幻想」という言葉で相対化したのはご存知だと思います。吉本の創見は、この対幻想下における価値判断や常識というものが、共同体におけるそれと倒立した関係になっているというところに眼をつけたところにあります。
当時、有名私立大学の教員が女子大生と心中事件をおこすということがあり、これに対して、吉本は自分もそういった関係(対幻想というエロティックな関係)の中に入れば、そうしたかもしれないといった意味のことを述べていました。彼のコメントは当時の先進的な心理学者や道徳家、知識人の発言に見られた「倫理観の崩壊」とか「教員や女子大生の精神病理分析」といった近代主義的な見解を遥かに抜き去った見事なものだと思ったものです。
いや、話が逸れてしまいました。共同体の中での第三者とは誰かという問題について考えているところでした。
ひとことで言うなら「検算」の最終審級はどこにあるのかという問題です。あるいは、最終審級の不在といってもよいのですが、いきなり、こなれない言葉でそれこそ第三者になかなか理解することの難しい話ですが、要は正しさとは何か、それを誰が判断するのかということです。価値とは何か、それを誰が判断するのかといっても構いません。
たとえば、オーム真理経という現象を考えてみたとき、かれらは麻原彰晃という稀有な詐欺師を中心にひとつの共同体を形成していたわけですが、かれらの価値観はいわゆる体制のそれとはまったく倒立した関係になっていたわけです。
あるいは、911以降のアメリカのマスメディアに起こった体制翼賛的な動きなどについても、もう一度原理的に考えてゆかないとよく解けない問題があると思っています。
ある時点で、アメリカのメディアは、マッカーシーの時代へフィルムを巻き戻したような事態が起こっていたと思います。なぜ、このようなことが起こるのか。まずは、その問題から考えてゆきたいと思っています。
なぜなら、これは同時に戦後日本における「会社」と「個人」の関係を考えることと同じことだと思うからです。(ここでようやく、ミーツ編集部のリクエストに接続されましたね。)
「会社」というものを考えるとき、そこで働く個人から見たときに、これがいったい何であるのかということは、それほど優しい問題ではありません。よく会社にこき使われて捨てられたなんていうことを言いますが、会社は当然ながら人間ではないので、この糾弾は、こき使って捨てた誰かを指しているわけです。
しかし、もし社長のヒラカワの奴にこき使われたということになれば、それは個人的な怨恨でしかなくなってしまいます。そういうこともあるかも知れませんが、おそらく、会社にこき使われたというのは、その会社の経営者を指すのではなく、現在の日本の会社システム、あるいはそれを可能にした日本というシステム全体を指しているのだろうと思うわけです。
あの野郎、俺をいいようにこき使いやがってということなら、話は簡単なのですが、会社における被害者の言明は、つねにわたしは捨てられた。わたしは騙された。というように、受動態で語る他はないようなものです。そこでは常に加害者の顔はあいまいなものでしかありません。なぜ、そうなるのか。
ここに、共同性というものの大きな陥穽があると思うのです。
■ 知的肺活量とは何か
オームの若者たちについてはすでに様々な分析が発表されています。そのほとんどは、なぜかくも利発な若者たちが、大量殺人にいたる犯罪者となったのかという、まあ常識的な反応を解読する試みであったと思います。とくに、理科系の優秀な学生が主要なメンバーに多かったことも、専門バカが一般常識の欠如ゆえに詐欺師にころりと騙されるのだという俗論が多くの紙面を飾ったことは記憶に新しいことです。
あるいは、こんな特別な例を持ち出さなくとも、ベスト&ブライテストと形容されたアメリカの東部エスタブリッシュメントたちが、泥沼のベトナムで敗北してゆくといった知性の迷走といった例は、国際政治の中を見渡せばいくらでも見つけられます。
オームの若者たちは、ひとりの詐欺師にころりと騙されたのか。アメリカは戦争プランナーに国全体が騙されたのか。そんな単純なことではないだろうと思います。それは、ドイツがヒトラーに騙されたわけではないのと同じです。国家であれ、宗教団体であれ、あるいは会社であれ、共同体と言うものはその内部にひとつの絶対的な正義というものを作り上げます。いや、正義が作られたときにそれは共同体となるのだといってもいいだろうと思います。「正義」という言葉自体がすでに、共同体を前提としているわけです。こととき、メンバーのひとりひとりはまさしく、共同体の正義によって思考や行動が支配されており、同時にメンバーのひとりひとりがその正義の担い手でもあるという同義反復的な世界の中に閉じ込められているわけですね。この同義反復的な世界の生成こそが共同体を共同体たらしめている条件であるのだろうと思います。人間は、いかにしてここから自由になれるのか。
ウチダくんはこれに対してさすがに、するどい分析をしていましたね。
>それは彼らに知識が足りなかったからでも、知性に欠陥があったからでもないと私は思う。そうではなくて、あるフレームワークが失効してから、次のフレームワークを自力で再構築するまでの「酸欠期」をノンブレス(息継ぎなし)で泳ぎ抜くだけの「知的肺活量」が彼らには不足していたからである。(東京ファイティングキッズ「まえがき」より)
ウチダくんは、このノンブレスで泳ぎ抜く力を、知性のタフネスという言葉で説明しました。そしてそのとおりだと思うのですが、ぼくはこれは実は、大変微妙な言い方だと思っているのです。そして、大変に重要なことが含まれているのですが、自分に対してなかなかうまく説明できない問題でした。
このことについて、すこしご説明したいと思います。
共同体の最小単位は、家庭です。そこでは父親や母親の価値観が、そのまま共同体の価値観となるわけです。血縁共同体ですね。もうすこし、共同体のフレームを広げると、町内会だとか、商店会のような地縁共同体が現れてきます。ここでは、町会長とか、商店会長なんていう人がその共同体の規範を体現しています。さらにこれを拡大すると、学校や文化サークル、あるいは会社といった理念や目的を靭帯とする幻想共同体が現れてきます。人間の成長とは、ある意味で身近な共同体からより大きな共同体へと、段階的に脱皮してゆくことなのかも知れません。
ぼくの言葉でいうなら、知的肺活量というのは、自分の価値観といったものを測定して、判断してくれる第三者をどれだけ、自分から離れたところに措定できるかということなのだろうと思っています。あるいは、そうした第三者の不在に耐えると言ってもよいかも知れません。
別の言い方をするなら、共同体の中にではなく、外部に判断の規範というものを措けるかどうかということが、大変重要なことだろうと思うのです。しかし、これは共同体の内部にいる人間にとっては、至難のわざといわなければなりません。いや、共同体というものが、まさに判断の源泉そのものであるという性格のものですから、外部に判断の規範を措くということ自体がひとつの論理矛盾であるわけです。
人間は必ずどこかに、判断してくれる人を求めるものです。幼児期の両親から、青年期のスポーツ選手や文学者にいたるまで、具体的な身近な何かに寄りかかりたいと思うわけです。しかし、どこかでそういった判断は、実はだれもしてくれないのだということに気づくことが必要なのだろうと思います。
いつの頃からか、ぼくはそのように思えるようになりました。青年期の疎隔感というのは、そういったもたれかかるものの不在に対する最初の「気づき」なのだろうと思います。そして、それが「単独に耐える」、つまりは肺活量を鍛える端緒なのではないかと思います。
共同体を立ち上げる、あるいは共生の道を探るというのは、大変結構なことなのですが、ここのところを間違ってはいけないのだろうと思います。
その意味では、最終審判の基準を「お天道様が許さねぇ」といった具合に、審判がどこにいるのか、だれなのかわからない無限の遠点に措いた日本の庶民の知恵はなかなかのものだったのじゃないかと思います。
何だか最初から図柄が鮮明ではない風呂敷を広げてしまいましたが、これをうまく畳む作業、よろしくお願いいたします。
2004年05月10日
アメリカン・フェミニズムの最後の形姿
その30
2004年5月10日
内田 樹から平川克美へ
平川君こんにちは
その29から30まで間をあけちゃってすみません。
イラクの情勢がどうなるのかなと少し眺めていたのです。
ほかの人が言いそうなことを、ここで繰り返してもしかたがないですけど、あまりに一方的な事態の展開に、「これでは、誰でも同じ感想持つよね・・・」ということで、やる気をなくしていたのでした。
今日は、ちょっと「やる気」の出る出来事があったので、イラク戦争「余話」ということで、ひとつ書かせてもらいます。
イラク戦争がもたらしているとどめがたい精神的な退廃は、イラク人囚人に対する米兵たちの拷問というかたちで露出してきました。この事件はおそらく今後アメリカが中東において維持できる政治的影響力に取り返しのつかないダメージを与えることになると思います。
イラクの囚人たちが受けた身体的ダメージを、単に定量的に見ただけなら、「敵性分子」である囚人たちを裸にして殴打したり、マスターベーションをさせたりしたことは、非戦闘員である女性や子どもたちに無差別爆撃を加えた虐殺に比べると、ずっと「まし」なものに思えるかもしれません。
しかし、軍事行動の中でなされた殺人と、治安維持の大義のもとになされた拷問では、「汚さ」の質が違います。
おそらくこの「汚さ」に傷ついたアラブの民衆は、今後長期にわたってアメリカに対するぬぐいがたい生理的な嫌悪感を持ち続けることになるでしょう。
この数名の兵士による愚行が、どれほどアメリカの長期的な国益を損なったかは、ほとんど計量不能です。彼らによって今後アメリカが失うはずのものをドルに換算して「自己責任論」を問う人がいたら(まさかアメリカにはいないでしょうが)、きっと一人あたり天文学的な数字の「賠償金」を要求されることになるでしょうね。
今さらブッシュ大統領が謝罪しても、ラムズフェルド長官が辞任しても、アメリカは「ポイント・オブ・ノー・リターン」を超してしまったという気がします。
それは、このような露骨なアラブ人蔑視が、ヒステリー状態の兵士の暴発としてではなく、むしろ練度の低い兵士の「鼻歌まじり」の暇つぶしにおいて露出したからです。
フロイトを引くまでもなく、人間の「抑圧された欲望」は、どうでもよいような「失錯」において顕在化します。
「イラク人民をアメリカ的民主主義の恩恵に浴せしめるための人道復興支援」という普遍主義的な大義名分のもとになされた軍事行動が、「アラブ人は自分たちと同じ種族に属さない『人間以下』の生物だ」という生理的な嫌悪感を情緒的な基盤のうちに含んでいたことを、この事件ははしなくも露呈してしまいました。
この事件の国際政治的な意味については、これから多くの人が分析をしてくれるでしょうから、それは専門家に任せておくとして、ぼくが興味を持ったのは、この拷問の犯人に二人の女性兵士が含まれていたことです。
占領軍の女性兵士による被占領民男性の性的虐待というのは、少なくとも近代以降においてはきわめて例外的な事例だろうと思います。しかし、それが他ならぬアメリカ軍の女性兵士によってなされたということに、ぼく自身は深く納得しました。
デミ・ムーアの『GIジェーン』という、きわめて後味の映画を見たときに、いずれ「こんなこと」になるだろうなと思っていましたので、「やっぱりね」という感じです。
ぼくはですからこの事件はアメリカ覇権主義の終焉であると同時に、アメリカン・フェミニズムの終焉をも実は意味していると思っています。
アメリカ女性が「銃を取る権利」を主張したのは、もちろんあらゆる場面における男女平等を要求したフェミニズムの社会的「正しさ」をアメリカ国民が承認したからです。ひさしく女子禁制であったウェストポイント陸軍士官学校とアナポリスの海軍士官学校が女性の入学を認めたのは1976年のことでした。
ぼくは男女共同参画社会とか、男女同権というイデオロギーに対してはつねに懐疑的です(そのせいでフェミニストからは男権主義的セクシストの権化のように忌み嫌われているのはご案内のとおりですが)。
「女性も兵士になる権利がある」というこのフェミニストの要求も、深い違和感をもって受け止めた記憶があります。それは60年代に高級官僚養成校であるENA(国立行政院)が女性学生の受入れを決めたときのボーヴォワールの発言に感じた違和感と同質のものです。
ボーヴォワールは「男性の占有している社会的リソースを女性にも配分せよ」というフェミニストの立場から女性エリートの出現を歓迎しました。けれども、そのとき、女性エリートに拍手を送ることが同時に「エリートは偉い」という通俗的な価値観に同意署名していることには彼女はあえて目をつぶりました。
もしこの社会がフェミニストの言うとおり、男性中心主義的に編成されるというのがほんとうなら(これはたしかにほんとうです)、その社会で高い地位や大きな権力やたくさんの情報を手に入れるためには、出世を望む女性たちは既存の男性中心主義的な原理を内面化し、進んで「男性化」する他ありません。けれども、女性が「男性化」し、パワーエリートとして社会的リソースを独占することを勧奨することのどこかすばらしい社会理論なのか、ぼくにはじつはさっぱり腑に落ちないのです。
権力とか威信とか情報とか名誉とか、そんなものにいかほどの価値があるんでしょう。
そういうことを言うと、「そんな気楽なことが言えるのは、あなたが男性で、社会的リソースを占有しているからだ」という反論をされます。
でも、ぼくはこの反論には納得がいきません。仮にぼくがいささかでも社会的リソースを所有しているとしても、それはぼくが「男性だから」手に入れたものとは思われないからです。
だって、ぼくが誇れるほぼ唯一の社会的リソースは「誰に向かっても、好きなだけ悪口を言う自由」ですけれど、それは多くの男性は所有していませんし、そもそも所有することを望みさえしないものですからね。
ボーヴォワールはこの社会ではすべて価値あるものには「男性性の印が刻印されている」と言い切りましたけれども、それを変えることよりも、それを「分配する」ことを優先させました。ぼくはこれが現代フェミニズムの「最初のボタンの掛け違い」じゃないかと思っています。
女性には女性固有の「対抗文化」があり、それがこのばかばかしい男性中心主義社会の中で人間たちが傷つき壊れてゆくのをなんとか防止する社会的に重要な役割を果たしているとぼくは考えています。
フェミニストのいうとおり、この社会は男性中心主義的なくだらない制度を山のように含んでいます。それなのに、それらの制度を無害化するために、その男性中心主義社会の価値観に同意して、その中で競争相手を蹴落としても出世して、権力を握って、決定権を奪還して、その上で、制度そのものを改善する・・・というのは、やっぱりことの順序が変です。
だって、そうですよね。
どんな組織においても、その組織の中で出世を果たした人間は、その組織が本質的に「正しく機能している」という信憑をぬぐい棄てることができません。
「私を入会させるようなクラブには入りたくない」と言い切ったのはグルーチョ・マルクスですが、こんなことを言えるのはグルーチョだけです。ふつうの人は「私を入会させるクラブだけが入るに値するクラブだ」というふうに考えてしまうものです。
ですから、女性エリート志願者が、とりあえず男性中心主義社会の価値観への同意署名と引き替えに出世を果たして、その社会で枢要な地位を占めることができるようになった場合、当の枢要なる女性は彼女をそこへと導いた社会プロセスについて、ラディカルな批判をすることに強い心理的抵抗を感じることになるでしょう。
仕方ないですよね。
ろくでもない制度のもたらす災厄を無害化しようと思ったら、その制度を統制できる立場になるまでその制度を温存し、機能させることよりも、「あれはよくないから、みんなコミットしない方がいいよ」と説得する方がずっと「まっとう」なやり方のようにぼくは思います。
けれども、ほんとうに不思議なことに、こういう考え方に賛成してくれる人は(グルーチョ・マルクスを除いては)ほとんどいません。
女性文化は一種の対抗文化だと思うのには個人的な理由もあります。
ぼく自身は子育てのあいだ、とくに「主夫」をしていた12年間は、まるで「女性ジェンダー化」していました。しかたがないですよね。ご飯作ったり、お風呂に入れたり、つくろいものをしたり、寝かせたり起こしたりするときには、「お母さん」的なエートスにどっぷり浸かっていないと、ひとこと発することさえできません。「ご飯よ!」とか「いつまで、寝てるの。もう、しかたのない子ねえ」とか、ね。
でも、そういうふうに「お母さん」をやって分かったこともたくさんあります。
いちばん大きな収穫はジェンダーが本質的に「演技」だということだけでなく、その「演技」をしていると、その性役割が「内面化する」ということです。
ぼくはわりと野心的な青年で、30代はじめまで、けっこう学問的なサクセスを志向していたのですが、「お母さん」になろうと決意したときに、ついでに学界的な立身出世もあきらめました。だって、学界的サクセスというのは、ほとんど憑かれたように寝食を忘れて学問に打ち込むことなしには不可能なんですけれど、私が「寝食を忘れ」たら、子どもは餓死しちゃいますからね。
ところが、不思議なもので、「お母さん」演技をしていると、ついこのあいだまで身を灼くように切実だった「学問的サクセスの欲望」があとかたもなくかき消えてしまうんですね。
「なんで、あんなことに夢中だったんだろう?バカみたい。さ、それより今日の晩ご飯」
ふーむ、なるほど、こういう鮮やかな世界像の切り替えが世に言うジェンダー・マジックなのか・・・と感動したことを覚えています。
ということは、ぼくがいきなり「お母さん」になれたように、若い女性が「お父さん」や「おじさん」になることも少しもむずかしいことではない、ということです。現に、「おじさん」化しちゃった女性って、どんどん増えてますよね。でも、「女性がみんな男性化した社会」なんか、ぼくには少しも愉しいものには思えません。
「女性が男性化した社会」の先駆はやっぱりアメリカだ、とぼくは思っています。
アメリカでは多くの女性パワーエリートが生まれましたが、もちろん女性のエリートが男性のエリートより倫理的であったり、女性の資産家が男性の資産家より博愛主義的であったりするということはありません。
というか、女性エリートは男性エリートよりも倫理的であるべきだというような発言ほど性差別的なものはないわけですから。
ですから、アメリカの女性エリートたちは、「男性と同程度に非倫理的」になることを性差別の撤廃という大義のためには、ほとんど当為とせざるを得なかったのです。
こんどのイラクでの女性兵士が囚人に対して行った非人道的な行為は、その意味でアメリカン・フェミニズムの1世紀の努力の「最終的達成」を示したものとぼくには見えます。
この女性兵士は二百年にわたってアメリカでは男性兵士たちだけが占有してきた「小国の民衆を圧倒的な軍事力で踏みつぶす権力」、「非倫理的にふるまう自由」の「分配」にただしく与ったのですから。
ただ、公正を期すために言い添えれば、「男性化」傾向がこれほど劇的に進行しているのは、アメリカだけだろうと思います。というのは、これもまた、80年代以降のアメリカ社会に伏流している滔々たる「グローバリゼーション」のひとつの露頭のように思われるからです。
グローバリゼーションは、多様な文化、多様な価値観の一元化の流れのことですけれど、そこに一元化されて消えたもののなかに、もしかするとアメリカ固有の対抗文化としての「女性文化」もまた含まれていたのかも知れません。
アラブ・イスラム世界へのアメリカの軍事的進出にフェミニズムが情緒的な動機づけを与えたということをエマニュエル・トッドが皮肉な口調で書いていました。
「アフガニスタン戦争をきっかけとして、アフガン女性の地位をめぐって風俗習慣の改革を要求する文化戦争の言説が、ヨーロッパ大陸では多少、アングロ・サクソン世界では大量に出現した。ほとんどアメリカのB52爆撃機は、イスラムの女性蔑視を爆撃していると言わんばかりの報道がなされた。」(『帝国以後』、石井晴巳訳、藤原書店、2003年、193頁)
おそらく虐待に加担したアメリカの女性兵士たちは、心のどこかでアラブ・イスラム世界の父権的な男性たちに性的屈辱を与えることこそ、先進国女性の政治的義務であると感じていたのでしょう。そういう意味で、薄笑いして男性の股間を指さすこの女性兵士の図像は、アメリカン・フェミニズムがそのプロテウス的変身の果てに最後にたどりついた形姿であるようにぼくには思えました。
アメリカ的な意味における「ポリティカリー・コレクトネス」が二つの相で同時に破綻した歴史的な事件として、この出来事は長く語り伝えられることになるんじゃないかと思います。
さて、そろそろ本一冊分がたまりましたので、このへんでいったん「第一部」の筆を収めて、柏書房の本のためにこれまでの原稿に加筆修正をするという作業に入りませんか?
「まえがき」をぼくが、「あとがき」を平川くんが書く、という手順になっています。
第二部はまた夏休みあけにでも再開しましょう。そのころはイラク情勢も国内の事情もずいぶん変わっているでしょうね。
ではまた
2004年04月26日
イラクのこと・民主主義について
その29
平川克美から内田樹くんへ
■ 共存のプロジェクト
「国際社会の笑いものたち」大変面白く拝読しました。
ウチダくんが以前アメリカ論の中で、アメリカという国は、それぞれのステートが
ひとつの国のようなもので、アメリカ人にとっては、合衆国そのものが
ひとつの国際社会であるという議論を展開されるのを「なるほどね」と
思ったものです。
その延長で、日本における国際社会ってのはなんだろうかといえば、
中国でもロシアでもヨーロッパでもない
アメリカ合衆国のことなんだろうなと答えざるを得ません。
でも、これって寂しい国際社会認識だよね。
スペインもドミニカもホンジュラスもボリビアも、イランも韓国も、中国も、
イラクも、イスラエルも北朝鮮だって国際社会を構成しているメンバーで、
いま、国際社会の価値観は政治的にも、宗教的にも二分、三分されているわけ
ですから、国際社会がひとつの価値観で動いているという
考え方の方に無理があるのは自明のことです。
いやむしろ、国際社会というものの価値観が四分五裂してバラけていること
をもっと積極的に評価すべきなのではないでしょうか。
そしてまさに四分五裂してバラけた思想信条というものが共存できる
社会を実現する工夫こそが国際的に問われているもんだいなのだろうと
思います。
国際政治の文脈では、「共存」とは必ずしも平和的なものではなく、
むしろ利害が対立した敵対的な「共存」である場合が多いかも知れません。
この「共存」のプログラムはだから、単純でも、易しくもない
現実的かつ政治的な課題だろうと思えます。
テロリストが世界を破壊しようとしている。
ならず者国家が大量破壊兵器を所有しようとしている。
それは、国際社会への挑戦であるから、ハルマゲドンが起こる前に
未然に悪の芽を摘んでおかねばならない。
このような勧善懲悪の世界観が、たとえば現在の複雑絡み合った中東情勢
を安定に導くという物語は、むしろセンチメンタルな発想だろう思う。
話は逆だ。
テロとの戦いキャンペーンが招来したものを
ひとつひとつ分析してみた方がいいと思います。
「テロリストを擁護するものもテロリストである」
「核兵器を開発するものはテロリストである。」
「イスラム原理主義はテロリストである。」
このように単純化されたテロとの戦いキャンペーンこそが、
中東を緊張させ、問題をさらに複雑にしていることがわかるはずです。
今の国際社会の複雑に絡み合った
利害関係を調整し、折り合いをつけるという難しいプロジェクトの遂行は
冷徹でリアルな分析、結果に対するイマジネーション、
対立を煽り立てない知性といったものが必要なのだと思うわけです。
国際社会をひとつのスタンダードで動かしたいと思うこと。
これを覇権主義というわけですが、アメリカはこの覇権主義の呪縛から
逃れることが、原理的にできない国であるのかもしれません。
その原因のひとつが、自国こそが国際社会であるという
信憑によって、自らが覇権的であることが隠蔽されてしまうという
アメリカという国民国家の構造にあるのでしょう。
グローバルルールとは、異なった背景をもつローカルルール間に
折り合いをつけるという冷静な計算と工夫のなかにしか生まれ得ないもので、
それは自国のルールがローカルなものでしかないという自制的な認識からしか
発明することはできないだろうと思います。
悲しいのはそのアメリカに追従しなければ、日本の未来はないという
信憑にとりつかれている日本サイドの政治・経済担当者です。
まあ、小泉さんはブッシュのダチだそうだから、共同正犯みないな関係で、
一連の政治決定プロセスは、総理大臣へ就職し続けるための戦略的
な行動であるような気もするのですが、
そのお先棒をかついでいる奇妙な友党の幹事長の発言には、
あいた口がふさがりませんでした。
今回、公明党の幹事長だかなんだかが、人質救出にかかった費用を
人質とその家族に請求すべきだ、なんてことを、鬼の首をとったかのように
吹聴したわけですが、まあ、よくぞ言ってくれたといったところです。
それこそ、国際社会が目をまるくするような見識ですが、
自民党の、そのほとんどが二世議員である要人たちもこれに同調しているのですから、
おそまつな政府をぼくたちはいただいているもんだと感じざるを
得ません。
いつからかれらは、日本国のオーナー経営者になったというのでしょうか。
今回の人質たちは、反政府的な思想を持っていたかもしれない。
あるいは、端的に、米国の介入、日本の自衛隊派遣に反対しているひとたち
であるかもしれない。たぶん、そうしたメンタリティの持ち主だろうと思う。
そんな奴らが、政府の退避勧告を無視して、イラクくんだりまで
でかけているのだから、自己責任で処理しろ、金を払えというべきでしょうか。
それとも、かれらは反政府的なメンタリティの持ち主だ。
だからこそ、かれらの行動は保障されるべきで、政府はその生命・財産を
保護する義務があると考えるべきでしょうか。
ぼくは、もし民主主義というシステムを肯定するならば、後者のように
考えるのが自然ではないかと思っています。
そして、複雑に絡み合った国家利害の対立を共存のプログラムに
乗せるためには、さまざまな対話の迂回路をもつべきであり、
むしろ積極的にNGOや、マスコミを活用する狡猾さや知恵が
政治のプロフェッショナルには求められているはずです。
■ 民主主義のディレンマ
今回のイラク派兵のお題目は、フセインの独裁を転覆させて、
イラクに民主主義を植えつけるというものでした。
(与えられる民主主義? 自家撞着ですよね。)
金を払えという人々も民主主義の信奉者であると自認しているはずなのですが、
民主主義とは決して政治的にベストの選択を保障するシステムではないし、
効率的で合理的なシステムでもありませんよね。
つまり民主主義とは最良のシナリオを最短で実現するシステムではないということです。
にもかかわらず、多くの国の国民がこのシステムを採用した理由は、
民主主義というシステムの柔軟性、冗長性といったものが、異論が共存する社会を存続
させるための最悪のシナリオを避けるためであり、最悪にならない可能性を最大
化するシステムであるという経験則と見識によるものだろうと思います。
そして、それを保障しているのが多数決という意思決定方法であり、
少数派が多数派と交代しうる可能性を残しているところに、
工夫と創見があるのだと思います。
だって、もし少数派が永遠に少数派として固定化されるならば、
少数派が自らの政治的宗教的な信条を実現するためには暴力と圧制に頼る
他はなくなるからです。
民主主義の政治プロセスが思想自体の合理性や先見性を争うよりは、
もっぱら多数派の形成に向かうのは、最悪のシナリオである
少数派の絶望的な暴力を留保するという意味でも、意味のある行動なわけです。
これは、国家意思というものが、一握りの選ばれたエリート
や党派に左右されるのではなく、いつでも右や左にと交換可能性の中にある
ということを意味しています。
このことが意味しているのは、現政権の意思決定の結果とは、
つねに「暫定的」なものであり、「暫定的」であり続けるということでもあります。
議論が回りくどくて申し訳ないのですが、
最悪の結果を回避するためには、まさに、回りくどくて、かったるいプロセスを
引き受けましょうというのが民主主義を採用するときの基本的な合意であったはずです。
自分たちの思想や利益に反する人たちに対して、それを排除しないで、
将来における逆転の可能性をも保障するのですから。
それが、たまたま現政権の政策と利益相反を起こしたからといって
だれが、誰の名において費用を請求できるというのでしょうか。
暫定的な意思決定の、暫定的な担当者に過ぎないということを
わきまえてもらいたいものです。(無理だろうけど)
■ 溶解する倫理
今回の人質問題で見えてしまったさらに重要な問題は、
政治的な課題とはすこし別なところにあります。
それは、辛い目にあっている人や、疲れ果てている人、弱者、困惑している人
に対する自然で、基本的なふるまいというものが、いつの間にか
平均的な日本人のメンタリティーの中で溶解してしまったということです。
「おつかれさん。まあゆっくり休んでください。
細かい話は後で聞きますから」というのが、ぼくの考える自然で、基本的な態度です。
「こまったときは相身たがい」これが自然な感情だと思うのですが、
いつのころからか、
この自然な感情よりは、国益や、アメリカの意思や、政治的な信条や、自分の懐具合を
先行させるようになっちまいましたね。
今回のことで言えば人質になったひとたちは、
自民党筋がいうように「政府の勧告を無視して危険地帯に入ったふとどきもの」だったから、
人質になったわけでも、
反戦派がいうように、「自衛隊を派遣したから」無辜の日本人が人質になったという
わけでもないということは抑えておく必要があるだろうと思います。
勿論どちらも理由のひとつとして数え上げることは可能ですが、
その根っこのところは、この戦争が無理筋であったことに尽きるだろうと思います。
このまま戦況が悪化してゆけば、
別に人質をとるのは、イラク国内でなくとも実行可能であるだろうし、
(その可能性はもっと高くなるだろう)
「ふとどきもの」ではなく、自衛官や大使館員を人質に取ることも可能だろう
ということです。
(その可能性ももっと高くなるだろう)
その場合は、費用は誰に請求するというのでしょうか?
多元的な価値観を認める以上、思想の対立、利害の衝突は避けられない。
ましてや戦争だ。
その場合には、個々の価値観をいったん棚上げして、とりあえずの問題が
最も負債が少なくなるような方法で解決できるように努力しましょう。
食料も水も分かち合いましょう。怪我をした人がいれば、介抱しましょう。
というのがこの国にあった暗黙知だったと思うんだけど。
2004年04月18日
国際社会の笑いものたち
東京ファイティングキッズ
その28
内田樹から平川克美くんへ(2004年4月17日)
血液型の話、ぼくも、平川くんと同じ意見です。
単純な物語に牽引されて、物語の消費者自身が「ほんとうに」単純になってしまうという順逆の転倒はある意味、こわいですね。
このような類型化がいまの日本でこれだけ好まれるというのは「なんだかよく分からないこと」をまとめて排除するということについて、全社会的な合意ができつつある、ということではないかと思います。
人間の知性が動物の知性といちばん大きく違うところは、人間だけは「なんだかよく分からないもの」というカテゴリーをもっていてることだそうです。そこにいろいろな事象をテンポラリーに放り込んで置いて、あとになってから「あ、『あれ』は『これ』だったのか。なるほどね」と関係性や同一性を発見できるという能力が人間とほかの動物のいちばん大きな違いです。
ラカンは、人間の知性が動物や機械のそれとの違いを「闇夜の海を航海している航海士」の比喩で語ったことがあります。
暗い海に何かが浮かんでいる。何だか分からない。でも、サメやカモメは、それを「流木」であるか「生物」であるかを瞬時に判定してしまう。流木なら無視し、生物ならとりあえず囓ってみる(そしてブイを食べて腹を下したりするわけです)。動物は必ず既知のものと同定する。「よくわからない」ままにしておくということはしないのです。
でも、人間はそうではありません。
「何月何日何時何分、東経**度、北緯**度のところで、『何だか分からないもの』が漂流しているのを発見」とクールに航海日誌に書き記すことができます。
ところがその人間と獣を分かつ本質的な境界線であるところの「何だか分からないもの」というカテゴリーを、当の人間たちが「こんなカテゴリーがあると、いろいろめんどくさいから」と言って廃棄しようとしているわけです。
これって、要するに「私はサルになりたい」と言っているのと同じじゃないか、とぼくは思います。
この「私はサルになりたい」という欲望がグローバリズムの趨勢に棹さすかたちで全世界に蔓延しつつあるような気がします。
血液型性格診断を信じる女の子と、日米同盟の堅持の国際関係論的必要性を信じる政治評論家は、「何だか分からないもの」をできるかぎり視野から排除したいという欲望の痛々しいあり方において、酷似しています。
こんどのイラク戦争について、派兵賛成派の政治家や評論家たちの話を聞いていると、「日米同盟の堅持は日本にとって生存のために不可避のオプションである」というのがだいたい出発点の仮説ですよね。
いつからそんなことが「常識」になったのか、ぼくは寡聞にして知りません。
福田官房長官が父親の首相が決断したダッカ事件のときの「超法規的措置」に言及して「時代が違う」と記者団を一喝していたところから推察するに、たぶん「時代が変わった」後のことなんでしょう。
いつごろ「時代が変わった」のか、誰もアナウンスしてくれないので、ぼくは知りませんけれど、とにかく歴史上のある時点からあと、「アメリカの世界戦略を無条件支持することが、日本の生命線」ということが日本人の「常識」に登録されたようです(「満州は日本の生命線」という常套句がある日から「常識」に登録されたのと、その消息はなんとなく似ているような気がします)。
でも、いったい、「いつから」なんでしょうね?
少なくとも、ぼくのところには「これから、そういうことになりましたから、ひとつよろしく」という挨拶はどこからもありませんでした。
でも、ふざけているわけじゃなくて、この「いつ、どこから、だれから?」という問いかけは、けっこうたいせつなことなんじゃないかと思います。
フーコーがその系譜学的考究の中で行ってきたのは、「そんなの常識じゃん」という無反省な言明に向かって、「ほう、それはいつから、どこから、誰から、『常識』になったのか、ひとつ教えちゃくれませんか?」と執拗に問いかけることでした。
ぼくがこのところ気になっているのは最近常套句のように使われる「国際社会の笑いものになる」というワーディングです。
「湾岸戦争のときに金だけ出して、人的貢献をしなかったので、日本人は世界中の笑いものになった」ということをよく耳にしますし、このあいだは『TVタックル』で「ダッカ事件のときに日本は世界の笑いものいなった」と誰かが断言していましたけれど、そういうことがいつから「常識」になったんでしょうか?
その人がたとえば、そのころにアメリカに留学中で、「街でいきなりアメリカの子どもに『日本人のバカ!』とか嘲弄されて、トマトをぶつけられた」というような原体験があれば、日本政府の弱腰に悔し涙にくれたということも分からないではありません。
でも、外国のひとたちと国際政治について踏み込んだ議論をした経験があるとも思われない街のおじさんおばさんが「湾岸戦争のときに、日本は国際社会の笑いものになった」みたいなことをTVのレポーターにむかって「事実」として語っているのを聞いていると、「おい、ほんとかよ」と突っ込みを入れたくなります。
「ねえ、どこであなた『国際社会』と知り合いになって、どこで何を言われたの?『国際社会』があんたの家のドアをノックして、『わはは、日本人のバカめ』と笑ったの?」と訊きたくなります。
日本にいる外国人というとまず在日のコリアンたちです。それから中国人。東南アジアからの人も多い。中南米からの出稼ぎ労働者もたくさんいます。そういうひとたちが、とりあえず日本人が日常よく接する「国際社会のメンバーたち」です。
その人たちが「そんなこと」を日本人に対して言うでしょうか?
ぼくは言うようには思われません。
ぼくの大学には外国人の先生もけっこういますけれど、湾岸戦争やダッカ事件を引き合いにして、「日本人は恥じよ」などと言ったひとをぼくは一人も知りません。
湾岸戦争の勃発のころ、ちょうどぼくはフランスにいましたけれど、フランス人から「日本も兵隊出せよな。出さないと恥だぞ」とすごまれた記憶もありませんし、そんなふうな社説や評論を読んだ記憶もありません(だいたい日本政府の外交政策になんか、フランス人はぜんぜん興味ないし)。
要するに、いまの文脈で「国際社会」と言われているのは「アメリカ政府」のことなんですね。アメリカ以外の国の政府もその国民のことも、基本的には眼中にないわけです。
でも「国際社会とは詮ずるところアメリカ政府のことである」ということを前提にしている人が「国際社会の信義に応えるためにも、アメリカ政府の世界戦略を支持しなければならない」というのは、ただの同語反復でしょ?
「アメリカは正しい。なぜなら、『アメリカは正しい』とアメリカが言っているから」。
なるほど。
たしかにそれでも蓋然的には「アメリカが正しい」ということはありえます(「ダメ!ダメなものはダメ!」という判断が「当たり」ということだってありますからね)。
でも、他人を説得しようと思ったら、もう少しロジックの組み立てを工夫した方がいいんじゃないかと思います。
ぼく自身は外国の知人友人の誰からも湾岸戦争やダッカ事件のことで「恥を知れ」なんて責められたことはありませんし、今度の自衛隊派兵で「よくやった」と肩を叩かれたこともありません。けれども、それはぼくの狭隘な見聞の範囲でのことにすぎませんから、「国際社会では誰もそんなことを言っていない」というような一般化はしません。
世界にはいろいろな考えをする人がいて、その人たちが日本をどう思い、日本人に何を求めているかについて、ぼくには断定的なことなんかとても言えませんには。
でも、それでも日本の外交について議論しなければいけないというのなら、せめて数十の国の数十万人程度のサンプルを取る程度のアンケートを実施して、その結果に基づいて議論を始めたらどうですか?
でも、外務省が「国際社会が日本に期待すること」というような網羅的なアンケートを実施したという話は寡聞にして知りません。
そのアンケート結果こそ、ぼくたち国民が政府の外交政策を点検するときに、いちばん必要とする基礎的データのはずですけれど、外務省はそれほど死活的に重要なデータであるにもかかわらず、そんな調査をする気も、公開する気もなさそうです。まことに不思議なことです。
ここでテロリストに屈して撤兵すれば「国際社会の笑いもの」になると言う人たちは、スペインやイタリアについてはどうお考えなのでしょう。
スペインは鉄道テロのあと、撤兵を掲げた野党が政権を取りました。おそらく新政権発足後すぐにイラクから軍隊は撤収されるでしょう。
イタリアも自国民の人質が殺されてあと世論が一変して、今や国民の57%が派兵の政治的失敗を認めて、即時撤兵を要求しています。
この両国の市民の過半数は「国際社会の笑いもの」であることを選ぼうとしています。
イラク戦争に反対した独仏ははやばやと「国際社会の笑いもの」になる道を選びました。
それどころか、最近の世論調査ではアメリカ市民の53%もブッシュのイラク政策は「間違っていた」と回答しています。この数字は過去二ヶ月で16ポイントも上昇しましたから、このままイラク国内の状況が膠着すれば、夏頃にはもっと高くなるかも知れません。このアメリカ市民たちも「国際社会の笑いもの」になる選択をしようとしている、ということになるのでしょうか?
その上で、「国際社会の笑いもの論者」たちに質問したいのですが、世界にひろがる「国際社会の笑いもの」のみなさんに具体的にどのような「罰」が下ることになるのでしょう。
相応のペナルティがあって、それによってその国の国益が大きく損なわれるという事実があるからこそ、「国際社会の笑いもの」論はこれまでディベートの切り札に使われてきたわけですよね。
ですから、この派兵反対の米独仏伊西の市民と政府に対してはどのような罰が下るのか、それをぼくは知りたいのです。
「笑いもの」になった場合の懲戒的措置がどういうものなのか、ぼくにはうまく想像できません。政治的な弾劾や経済的な制裁、大使館の引き上げとか、文化交流の停止とか、そういうところまではゆきませんよね?
経験のないぼくには分かりませんが、「笑いもの」論者の方々は「国際社会の笑いものになる」ことが「どういうこと」なのか熟知されているわけですから、日本がかつてされたのと同じことを「仕返す」ということでよろしいかと思います。
で、日本は何をされたんですか?
これから政府の外交政策に反対するアメリカ市民や、イラク派兵に反対する独仏西伊の国民たちに「国際社会」はどんな懲戒を下すんですか?
話がくどくなったので、もう止めておきますけれど、「こういう問いかけ」をするということは、けっこうたいせつじゃないかと思うんです。重要な外交政策を決定するときの世論形成の場に、「国際社会の笑いもの」論のような実質のない情緒的な言葉が飛び交うのは、とても危険なことだとぼくは思います。
日本がアメリカの世界戦略に従属することで、何が得られるのか、それ以外のオプションを採択した場合には何が失われるのか、その予測をきちんと示すことなしに、「アメリカに従う以外に生きる道はない」と言い募る人たちの話をぼくはどうしてもまじめに聞く気になれないのです。
ではまた。
2004年04月14日
血液型とイラク
東京ファイティングキッズ
その27
平川克美から内田樹くんへ(2004年4月14日)
■ アナタハケツエキガタヲシンジマスカ?
おそらく、秋葉原というところは、日本で一番
男性人口が多いところだろうと思います。
その半数は「オタク」といわれる兆候的なひとたちです。
オタクとは何かということを定義するのは難しい作業ではありますが、
一つ言えるのは、かれらのとっての価値、つまりは差異は、
イデオロギーや階級や、貧富といった誰の目にもわかるような
大きな差異ではなく、非常に微細な差異を見分けるということに
あるのではないかと思っています。
エロゲーも、フィギュアも、ゴスロリも、その気のないものにとっては
ただの奇怪なのっぺらぼうの風景でしかありませんが、
かれらにとっては微細な差異というものが、非常に重要な要素である
と思われます。
この微細な差異を見分けて価値付けする目が何を意味しているのかは
検討に値する問題であるとは思うのですが、ぼくにはよく判らない
ところでもあります。
いづれにせよ、現代都市伝説のフィールドワーカーにとっては興味深い場所ではありますね。
ところで、この秋葉原の裏通りに唯一女性ばかりが
集まる場所があります。
要するにアキバの中の非アキバです。
それは、ランチ時のフルーツパーラーで、
ぼくもよくここで、出っ張ってきた腹をへこましたいという
こともあって、ヘルシーランチを食べに行きます。
先日も、ここでサラダ、ヨーグルト、グラタン、クロワッサンといった
味気ないランチを食べていたところ、
となりに座っていたOLさんたちが血液型の話で
たいそう盛り上がっていました。
ぼくは、血液型性格判断には、何らの科学的な根拠はないし、
寸毫も、信じる気持ちはないのですが、
実は、かなりの確立で、これが当たるのです。
彼女らのはなしを、聞いていて、ああこういうことなのか
と思ったことがありました。
彼女らは、血液型が性格を決定するということを、
何の疑いも無く信じているようでした。
もう、これって常識なんですね。
最近では、血液型と性格の関連を示すデータというものが
発表されたりして、ある種の科学的な根拠というものも
あるやに、喧伝されているわけです。
この科学的な根拠がどの様にして出来てきたかということの中には、
興味深い、人間が陥りやすいトリックが隠されています。
ひとはしばしば、原因と結果を取り違えるということです。
結果に過ぎないものを、原因と考えたがるこの性向は、
ある種の思考力の停滞なのですが、これがいろいろな
悲喜劇を巻き起こすわけです。
そして、このまちがいパターンは、ビジネスの分野においても
しばしば散見されます。
アメリカナイズされたビジネスマンと話すと、
必ずといってよいほど出てくる仮説→検証というロジックのことです。
ビジネスとは、まずビジネスモデルという仮説をたてて、
それを検証してゆくことがビジネス遂行の意味だというやつですね。
実は、この最先端のビジネスロジックと血液型信仰は、
どちらも原因と結果が倒立して現れるという点で
双生児なのです。
「ストックオプションの付与により、職場の生産性が高まる」という
仮説を立てたとする。
これに対する反証はいくらでも挙げられそうな気がします。
しかし「だからストックオプションは、経済活性化に役立つはずだ」
という次の仮説を積み上げたときには、最初の仮説はすでにひとつの
信仰として、自明の理であるかのように、ふるまうのです。
この仮説はひとはお金のために働くという信憑に依拠しています。
なぜならお金はどんな欲望も充足させることができる魔法の杖
だからというわけです。
しかし、ウチダくんもよくご指摘のように、欲望を充足させるために
お金があるのではありませんよね。
お金が欲望を喚起するというのが本当のところだろうと思います。
かくて、お金のためだけに働くひとが職場に蔓延することに
なります。
フルーツパーラーの女性たちの話で、ぼくがびっくりしたのは、
彼女らが、血液型が性格を決定するという神話を
心から信じていることでした。
まあ、ここ10年ぐらいいろいろなところで、
血液型のおはなしを聞いて、どうやら、
彼女や彼はこの神話を本当に信じちゃってるのねとは思っていましたが。
この仮説にすぎない与太話が、何らかの理由で過半の若者に
常識のように信じられるに至る。
ひとつの面白い点はは、この信仰形成のプロセスには興味深い心理学的な
課題がありそうだということです。
そして、もうひとつは、この与太話は、よく当たるということ。
科学的な統計結果もそれを証明するに至るということです。
人間には、誰にでも、自分の好きなところや嫌いなところの
ひとつやふたつは数え上げることができるでしょう。
そういった自分の個性といったものが、生得の気質なのか、環境によって
つくられたものなのかということは、だれにも良く分からない
ということも確からしく思えます。
現代とは、「よくわからない」というエージングプロセスを許さない
時代なのかもしれません。
10人10色というのが、一番正しいだろうと思われるこの
性格についての情報を交換可能な情報に変えるために
4つの性格類型で考えるのはとっても都合がよいわけです。
性格早分かりというわけです。
本当は、個性は自らそれを担ってゆく重要な課題なのですが、
類型の中に当てはめることで、個性の重さを情報の軽さに変えることが
できるというわけです。
ある人間が、心配性であるか、執念深いか、自己顕示欲がつよいか、けちんぼであるか
といったことは、客観的にはあくまでも統計的、相対的な指標です。
A君は、B君にくらべると心配性的性向が強いという言い方は可能ですが、
A君は心配性であるということは意味を持ちません。
もし意味を持つとすれば、A君は、A君以外の全てのひとの平均的な心配性的な性向に
くらべると、その強度が平均値よりも強いということ以外にはないでしょう。
にもかかわらず、ひとはひとを一つの類型として判断したがるし、されたがるのは、
人間のデータ化とデータの交換が必要であると考えるようになったからでしょう。
人間を理解する方法の一つとして、人間の性格をいくつかの要素に分解して、
その要素の強度によってプロファイリングする。
同時に、ひとを判断するときに、この要素に還元することによって、
判断の材料を集める。
このように、人間を理解するということが、デジタルな地図に
マッピングしてゆくことであるというような思考法が支配的に
なったということです。
さて、もんだいはこの先にあります。
とにかく、ひとをいくつかの類型として理解する。そしてそれを血液型と結びつける。
このふたつの不確かな作業によって得られた結論が、実はよく当たってしまう。
これまでは、占いと同じで、外れていても当人には当たっていると感じられるのもだ
という説明のされ方が一般的であったと思います。
しかし、血液型性格判断の的中率は、占いの的中率とは比較にならないくらいに、
よく当たるだろうと思います。
このトリックの鍵は、血液型性格類型が、自分たちの性格を溶かし込む
鋳型になっているということに他なりません。
自分や隣人の性格を理解するために、わかならいものを無理やり鋳型に溶かし込んで
判ろうとするうちに、鋳型そのものが性格になってしまうということです。
アナログそのものの人間をデジタルに理解しようとしているうちに、
デジタル化した人間ができてしまったということかもしれません。
だから統計をとると、まさに血液型性格判断が当たっているということになるのでしょう。
■ 最初の仮説を疑うこととイラク問題
こういった、原因と結果の転倒、ある種の集合的な思考パターン形成を
忌避するためには、最初の仮説をもう一度検証してみる以外には
無いだろうと思います。 まえに少し議論した、太古の問いですね。
こんなことを書いているうちに、イラクの情勢がますますきな臭くなってきました。
イラク問題における最初の仮説は何だろうかと考えます。
今、国際社会はテロからの挑戦を受けている。
テロは悪だ。悪はこの地球上から掃討しなければならない。
独裁は悪だ。独裁者は抹殺しなければならない。
テロや独裁を許している国家は、ならず者国家であり、解体して
再構築しなければならない。
こうして、世界から害毒が消えて、平和が訪れ進歩してゆくもんだ。
これが、現在米国を初めとするコアリション(同盟軍)の論理と倫理です。
このおそろしく単純な論理には、しかし根本的な原因と結果の転倒があります。
ここにあるのはぼくたちの年代にとってはおなじみの「奴は敵だ。敵は殺せ。」
「敵の味方は敵だ。」というリアルポリティクスの粗雑な論理です。
「奴」が敵になったのは、俺と奴との関係の結果であって原因ではないのです。
ひととひと、くにとくにの関係を「敵対的な関係」という結論に導くような
思考法こそが本来問われるべき問題であるわけです。
イラクはアメリカにとって、生来の敵、天敵ではありませんでした。
時に応じて、敵であったり、敵の敵(イランイラク戦争)であったり、
無関係な辺境の貧国であったりしたわけです。
つまりは、自国の国益との関係が変われば敵にも味方にもなるご都合主義こそが、
リアルポリティクスの本質だろうと思います。
イラク問題のそもそもの原因は、イラクの国や独裁者フセインや、あるいは
アルカイーダといったものに求めても答えを得ることはできないでしょう。
同時にアメリカの大統領の特異な性格や、産軍複合体の策謀、ネオコンの世界戦略
なんてものの中にも答えがあるとは思えません。
エイミーチュアも指摘していますが、市場主義の自然過程であるグローバリゼーションは、
エスニシティの間に必然的に憎悪を生み出すということだろうと思います。
これに関係して、最近のイラク報道を見ていて、ああ、これはインチキだなとおもうことがふたつあります。
そのひとつは、どちらかというと反米良識派がよく言うことなのですが
テロに屈してはならない。But 自衛隊は撤退すべきだ。
テロは許してはならない。But 自衛隊にはイラク進駐の根拠がない。
という思考パターンです。
この思考パターンは、ふたつの意味で詐術を犯しています。
ひとつは、テロと自衛隊の派遣を別の水準の出来事として切り離すという詐術です。
テロは、米英軍、それに続くコアリションの進駐の結果であって、原因ではないということです。
もうひとつは、テロというものがテロリストという悪しき人々によって
行使されているという固定観念です。
断言してもいいが、この世の中、世界中のどこにも、生まれながらのテロリスト
なんてものはどこにも存在しない。
ナチュラルボーンテロリストとは、まさに同盟軍の作った物語です。
世界の圧倒的な経済的、軍事的な非対称のもとでは、もはや
正規軍VS正規軍という戦争は起こりえない状況になっています。
テロVS国際社会という構図が先にあるのではなく、現在の国際社会の構造が
ゲリラとかテロという形式以外の闘争の選択肢を奪いつつあるというべきなのでは
ないでしょうか。
お前はテロリズムを肯定するのかといわれるかもしれません。
ぼくは、国際政治の文脈ではテロを倫理的に肯定したり、否定したりすることには
ほとんど意味がないといいたいのです。ただ、それは必然だよといえばよいの
だろうと思います。
敵対する関係の中で、日本の総理大臣も大好きな非妥協的な「断固たる」
決断をするとき、
具体的には、米英軍が力でイラクを「解放」しようとするとき、
あるいはイスラムが米英軍の圧倒的な力に「抵抗」しようとするとき、
必ずテロという現象が現れるというということです。
インチキのもうひとつは、自己責任という言葉です。
退避勧告の出ているイラクに入ったのはプロ市民で、それなりの覚悟をもって
入ったはずだ。危険を承知で行った行動に対しては、自己責任でそれを解決
すべきだという意見です。
この自己責任という言葉は、実は経済の分野でもアメリカングローバリズムを
象徴するキーワードの一つになっています。
ハイリスクハイリターンの投資は自己責任で行うべきだというわけです。
自己責任という意味深い言葉がいつのまにか「自業自得」と同義になって
しまいました。
もしも、自己責任という言葉を使うのならば、
そもそものフセインのイラクもまた、イラク人の自己責任において、
選択させるべき問題であったはずです。
そこにどんな圧制や人権蹂躙があったとしても、それこそこれはイラク人が
選択した問題であるわけです。
ぼくは自己責任という言葉はもっと大切に取り扱って欲しかったと思います。
ぼくにとって自己責任とは内省と同義で、他者が強制したり、難詰すること
からもっとも遠いところにある「世界に対するかまえ」であったはずです。
それが、いまやもっともチープな意味を背負うことになってしまいました。
誰にでもどこかで、逡巡し、戸惑うことを止めて、行動しなければならない
場合があります。
そのとき、よかれと思ってしたことでも多くの人を傷つけたり、あるいは
自分も痛手を負うかもしれません。行動という単純化の中ではおのれの意図とは
別の結果を招来する可能性が常にあります。それでも、そのおのれの意図とは
別の結果に対してそれを引き受けるということ、腹をくくるということこそが
自己責任の意味であるだろうと思っています。
長くなってしまいました。
ウチダくんの「交話的コミュニケーション」のお話、大変興味深く読ませていただきましたが、
今回は緊急報道特集になってしまいました。
政治も宗教も最終的にはコミュニケーションの問題に逢着するというのが
ぼくの(ぼくたちの)基本的なスタンスなので、
次の機会に論じてみたいと思います。
でも、しばらくは、イラクでいきますかね。
2004年04月07日
英語の話をちょっとしてもいいですか?
その26
内田 樹から平川克美くんへ(2004年4月7日)
英語についてちょっと話していいですか?
ぼくも英会話やフランス語会話を語学学校で習った経験があるのでよく分かりますけれど、いまの日本で外国語を学ぶというのは、基本的に「話せるようになる」ということだけが目的ですよね。
とりあえず英語のテクストを「読める」ということには二次的な関心しかないし、まして「英語を書く」ということはもうほとんど配慮されていません。
ぼくは「話す・聞く」に特化するということ、そのこと自体は悪くないと思うんです。
コミュニケーションの本義のひとつは、「メッセージの受け渡しが行われている」という事実そのものを相互に確認することにあるわけですから。
「ぺら」「おー、ぺらぺら」「わはは、ぺらぺら」「おー、りありい、ぺら」「はは、えぐざくとりー、ぺらぺら」
というふうにぺらぺらと持続的に時間が埋められると人間は「コミュニケーションが成立している。私は他者からその存在を認知されている」という実感がもてます。
これはローマン・ヤコブソンが「交話的コミュニケーション」と名づけたものですけれども、要するに「コンタクトが成立していることを確認するためのコミュニケーション」のことです。電話の「もしもし」といっしょですね。
「もしもし」「はい、もしもし」「あ、もしもし」「ども、もしもし」・・・というふうに永遠に続けてもぜんぜん構わないわけで、ある意味ではこれこそがコミュニケーションの起源的形態(「言葉の贈り物」)であると言ってよいわけです。
コミュニケーションにおいては起源的には、「コンテンツ」よりも「コンタクト」の方が一次的なできごとである、というのはある意味では洞見だと思うのです。(なつかしのマクルーハンですね。Medium is a message)
しかし、いまの日本の英語教育(学校教育も「駅前留学」も含めて)がそこまでわかった上でやっているのかどうかぼくは疑問です。
というのは、交話的コミュニケーションから「出発」して、コミュニケーションが進化したという以上、その起源的形態にはやはりその限界があるからです。
それは交話的コミュニケーションの究極のかたちは「沈黙」だということです。
だって、そうですよね。相手がそこにいて、自分がここにいて、相手に触れられ、自分も触れているというしかたで「自分の存在を他者を経由して認知する」いちばんたしかな方法のひとつはぎうと抱き合って離れないことですからね。
ご存じかもしれないけれど、外国語学校の講師と生徒ってわりとすぐ「できちゃう」んですよね。
これはべつにそういうところに特に性的活動が活発な方々がお集まりになっているということではなくて、「話す・聞く」のコミュニケーションを追究してゆくと、どこかの段階でこれって、要するに「ぎう」なんじゃんと思い至るわけです。
まあ、平川くんもご経験があると思うけれど、こちらがたどたどしい英語でしゃべっているときに、ちょっときれいな女性講師がしんぼうつよく耳を傾けて、うなずいて、ちゃんとした英語にパラフレーズしてくれると「あ、恋しちゃいそう・・・」って思うじゃないですか(そんなのぼくだけかな)。
まあ、とにかく「ゆっくり、しかし正確な英語をしゃべる日本人」と「訴えるような眼をして、でたらめ英語を必死にしゃべる日本人」とどちらがアングロフォンからしてlovable であるかは問うまでもありません。
そもそも交話的コミュニケーションというのは本質的にエロス的なものなんだから、まあ、それはそれで悪くないと思うんです。
ただ、コミュニケーションというのはエロス的であればいいというものでもありませんよね。
ある程度以上複雑なメッセージは「ぎう」だけでは伝わりません。
そして、人間社会が成立するためには、ある程度以上の複雑さや抽象性を表象する能力がやはり必要です。
ぼくが日本の外国語教育に対して抱いている不満は、この「ある程度以上の複雑さや抽象性を表象する」ことの重要性を教育の現場でも、巷に闊歩する「英語使い」たちも、あまり痛切に感じているように見えないということです。
ぼくは戦前の日本を知らないのでこの比較はspeculative ですけれど、遣唐使以来日本社会における外国語教育の目的は、圧倒的に「コンテンツ重視」的だったんじゃないかと思います。
遣唐使の時代に「外国語を話すひととオーラル・コミュニケーションする機会」なんて、ほとんどゼロですからね。
近世に至っても、ジョン万次郎が幕府の通詞になったときに「ちゃんと英語をしゃべれる日本人」て彼しかいなかったんですから。
それでも外交の用を弁ずることができたのは、外国語のテクストを読めるひとは洋学塾にたくさんいたからです。
これは漢学以来の伝統だと思います。北京官話を話せる人なんて、幕末にもほとんどいなかったと思いますけれど、漢文を書き、漢詩を詠ずるひとはやまのようにいたわけです。
中江兆民はフランス語で書かれたルソーの『社会契約論』を『民約論』に漢訳し、中国の知識人たちは兆民訳のルソーを読んで辛亥革命のイデオロギー的基礎づけを行ったのですから。
でも、いまの日本にぺらぺら英語を話すひとたくさんいますけれど、果たして英語で詩を書くことを趣味にしている英詩人というものが存在するでしょうか?その人の手になる英訳が出ることを英語話者たちが待望しているような日本人の「英語使い」がいるでしょうか?
そういう意味では、「外国語使い」の数は明治と現代を比べたら、比較にならないくらい増えているわけですけれども、その質はずいぶんと落ちていると思います。
こういう文脈で兆民とか漱石とか有名人の名前を出すのは、ちょっと気が引けるんですけれど、二松学舎でずっと漢文を習っていた夏目漱石が英語に趣旨替えして最初にやってみたのは『方丈記』の英訳です。今読んでもすばらしい訳だそうです。それが漱石15歳くらいのときの話。
これは漱石が天才だから、というだけでは説明ができません。
そういう外国語の勉強の仕方というのがあったのです。
これだけ英語のできる漱石が、それでもロンドンで対人恐怖で神経衰弱になったのは、たぶん彼がオーラル・コミュニケーションによる「コンタクト」ということについてはまったく訓練を積んでいなかったからではないでしょうか。
外国語の学び方は、そんなふうにして明治から敗戦までの80年間と戦後60年間では、がらりと変わったんじゃないかと思います。
そして、その変化はほぼそのまま日本の国際社会に対する構えの違いを映し出しているような気がするのです。
それまで「コンテンツ」優先、「テクスト」優先であった外国語教育一変したのはもちろん敗戦と、アメリカ軍による占領です。
占領軍が被占領国の国民に求めるコミュニケーション・マナーがどういうものであるかは分かりますよね。
占領軍の考えを「理解させる」ことではありません。
被占領国の国民は、べつにGHQの政策決定プロセスやその背後にあるアメリカの世界戦略や国内政局なんか「理解」しなくいいんです。
必要なのは「理解」じゃなくて「恭順」なんですから。
日本人が求められたのは、I understand じゃなくて、Yes,sir. No excuse, sir.ということばです。
必要なのは「理解」ではなく、「『理解』に先立つ、『諾』の返答」なんですから。
この「理解に先立って、『オー、イエース』と微笑む」という「被占領国民」のメンタリティがそれからあと60年間の日本の外国語教育にずっと影を落としてきたんじゃないかとぼくは思います。
それが英語(に限らず外国語一般)の教育目標が「コンテンツを理解すること」から「フレンドリーなコンタクトを保つこと」に移った、とぼくは考えています。
さきにも述べたように、ぼくはそれを間違っているとは思いません。それはある意味でまことに「正しい」コミュニケーションのあり方なのです。
明治の日本人が外国語を「コンテンツ」中心に読み書きしたのは、「富国強兵」「欧米列強へのキャッチアップ」という必至の国家的課題があったからです(そして、その結果が45年の敗戦です)。
おそらくはそのことへの反省も含めて、戦後の日本人が外国語を「コンタクト」中心に聞き話すようになったのだと思います。それは同時に「アメリカへの恭順」という死活的に重要な国策に合致する教育方法でもありました。
こういうことについて、あとから「いい悪い」を言っても始まりません。そういうふうになったね、というだけのことです。
ぼくが言いたいのは、外国語を「交話的」な仕方でだけ使っていると、ある程度以上複雑な概念や相手の語彙に存在しない概念を表象することはできないよ、ということです。
いまの日本の学校でやっているような種類の外国語教育では、100年やっても、『社会契約論』を漢訳できる人も、『方丈記』を英訳できる人も生まれてこないし、むしろそんな可能性をもった子どもを構造的に排除するだけだろうとと思います。
だから、どうする?といわれても、ぼくに名案があるわけではありません。
でも、平川くんの指摘するような「アメリカン・グローバリズムに洗脳されて思考停止に陥っている日本人」というのはいまの日本社会のシステムそのものが構造的に生み出しているものだと思いますから、このシステムをもうちょっと何とかしないとまずいンじゃんないかと思います。
ただ、なんというか、これほどまでにアメリカ一辺倒に「なれる」というのも一種の国民的才能かな、とも思うんです。
いまの日本の外交の基本的なメンタリティって、意外なことに「任侠道」なんですよね。
ブッシュ親分に、「何も言わずに死んでくれ」と言われて、黙って長脇差を手に死地に乗り込んでゆく代貸純一郎・・・というふうに日本の首相はセルフイメージしているんじゃないかなとぼくは想像しているのです。
彼がその政治判断のたびかさなる失敗にもかかわらず高い支持率を得ているのは、このメンタリティがどこかで日本人の心性の琴線に触れているからじゃないでしょうか?
これを平川くんは「思考停止」というふうにとらえているわけですけれど、思考が停止しているときにそれでもなお活発に活動しているものはあります(何がが作動していないと、さすがに人間は生きていけませんからね)。
アメリカさんが「白いと言えば、カラスも白い」という「丸飲み」が可能であるのは、情緒的には「そういうのって、あるよね」ということにひそやかな国民的合意があるからかも知れません。
もしそうだとすると、この「アメリカン・グローバリズムへの常軌を逸したほどの譲歩」がある日手のひらを返すように「ええい、もう我慢ならねえ」と猛然たる反米感情に転ずる可能性はあります(『総長賭博』のラストみたいにね)。
なんだか、それも困りますし。
ああ、悩みは深いです。
長くなりましたので、禁煙の話と稲の話(どちらも面白い話でいろいろ書きたいことはあるんですけれど)については次回。
ではでは
2004年04月05日
デオドラント社会と野生の稲
平川克美から内田タツルくんへ(2004年4月4日)
■ 思考停止
お兄ちゃんの会社の採用試験の様子、
ありありと目に浮かびます。
さすが、内田徹の選択眼おそるべしだね。
「アメリカ人のように流暢な英語」と「小学生のような作文」
そして、「命令、叱責、要求の語法」の非反省的な使用。
増えているんですね。こういった攻撃的で有能な若者が。
かれらにとって、人生は攻略すべきもののようです。
最近流行のキャリアデザインなんてのも、まあ
攻略本のようなものですね。
その一方では、将来に対して何の見通しも持てずに、
ただ無気力に現在の時間を消費することだけの若者もいます。
ただもう、まったりしちゃってるわけね。
どちらもひとつの偶然によってこの世に生を受け、それを必然に
変えてゆくことが生きるという意味であるという、その意味を問う
という点において思考停止しているというところでは、
一卵性の双生児なのかもしれません。
ぼくは、こういった思考法のメッカのようなところ(シリコンバレー)
で、会社をつくったので、かれらとの会話の寒々しさ
が肌身に滲みるように理解できます。
この思考法もまた、アメリカングローバリズムの発生と根っこは同じ
だろうと思います。
短期の利益、競争優位、結果主義といった戦略的な考えかたが
こういった思考を育ててきたように思えます。
そして、日本の教育機関もまたこういった戦略的な考え方で
国際的な競争力を身につけることを養成しています。
「もうかんべんしてよ。」といいたいところなのですが、
市場主義優勢の世の中で、強迫観念のようにはびこってきた戦略的な思考の
パラダイムを変えるには、丁寧にじっくりと推論してゆかなければ
なりませんね。本屋に行けば怒涛のような「戦略本」ラッシュなのですから。
今、洋泉社さんから出版のオファーをいただいて本を書いていますが、
そのテーマはまさにこの「戦略的思考」と「ゴール志向」というふたつの
合理的、機械論的な考え方が一種の思考停止であることを
解き明かそうといったテーマで書いています。
半分ぐらい書いたので、こんど読んで批判してください。
■ 真昼間にたそがれる
さて、前回の続きですが目が治ったと思ったら、今度は免停をくらっちゃいました。
前科2犯ということで、60日。
短縮30日でも、1ヶ月はオートバイにも車にも乗れません。
目が治るころには満開の桜の下を、ツーリングだ!とささやかな
希望を胸にじっと我慢していたのですが、ままならぬものですね。
久しぶりに、鮫洲の行政処分グループに入って授業を受けましたが、
以前は喫煙所だったところが、全館禁煙となっており、(あー、ここもかよ)
喫煙組みは、ベランダに出て、風に吹かれながら遠い目をして
発ガン物質をくゆらせておりました。
最近の禁煙ブームには、大政翼賛的な匂いがするですね。
山田風太郎は「死言状」の中で、この禁煙体制と捕鯨問題は、
「魔女狩り」であると怒っていました。
そして、「ほんとうに禁煙時代がきたら、タバコのみは松葉でも吸うだろう。
自由は死すともタバコは死せず!といきまいていましたね。
こんな一徹おやじが生きにくい渡世となったものです。
タバコは百害あって一利なし。これには一言もありません。
でも、利なきものは存在すべからずというのもいかがなものか。
どうもぼくはひねくれ者で、利に働く聡さというものには
いつも「何かあやしいもんだぜ」といった思いにとらわれます。
動物愛護に根ざした捕鯨禁止運動とか、屈託の無い人権思想とか、
善意あふれるボランティア運動とか、ポジティブな産業振興とかもそうだけど、
人の世の道理を説く善意が集まれば
世の中右肩上がりに良くなっていくもんだといった信憑にぼくは与しません。
おそらく、そういった善意はいつでも引き返すことが可能な、いわば責任の無い
善意だからかもしれません。
大沢在昌の口吻を借りれば「善意には限界量がある。その限界量を使い切るまでの
ものに過ぎない」ということになるでしょうか。
そこにある善意には疑いはないのだけれど、善意が必ずしも
住みやすい世の中を作ってくれるわけではないですもんね。
むしろ、こういった善意のの大量発生、異常発生は、
人が生きてゆくために必要な基本的な汚れ、弱さ、悪意といったものを破壊してしまう
可能性があります。
エコロジーとは、よく言われているように、環境を汚染する害毒を
きれいに取り除くというようなことではありません。
これはいわば、エコロジカルマッチポンプということで、
環境をデオドラントするために用いた化学薬品が、害毒として作用してしまうという
アイロニカルな結果を導いてしまったというべきでしょう。
本質的にはまったく逆なのだろうと思います。
環境デオドラントは、さまざまな天敵の連鎖を断ち切ることによって、
環境バランスが壊されることになるだろうと思うわけです。
まあ、何を言ってもいまやタバコのみは意志薄弱で他人の迷惑を顧みない第五列
といったポジションにいるわけで、肩身を狭くして生きてゆくしかないですね。
■ 耕さない田んぼ
とろこで、この話と大いに関係があるのですが、
先日NHKの3CHをなんとなく見ていたら、途中から画面に引き込まれ、
夢中になってしまいました。
番組のタイトルは「耕さない田んぼが環境を変える」というものでした。
耕さない田んぼとは、古くて新しい農法として注目されている「不耕起栽培」のことです。
不耕起栽培とは一言で言えば稲を野生化させて栽培する技術で、ぼくは農業技術
なんてものにはまったく不案内なのですが、
これを推し進めている岩澤信夫というひとの語り口があまりに魅力的だったもので、
おもわず、ずるずると見てしまい、見るにつれて、この不耕起栽培の考え方の
根底にある哲学にも大変に感心してしまったというわけです。
岩澤さんは、農業学者としてのインテリジェンスと農民としての庶民性を併せ持ったような
風貌のじいさんで、微笑みを絶やさずに、しかし確信をもった言葉で次のような
興味深いお話をしてくれました。
「開墾のように土地がひっくり返されるようなことは、天変地異でも
無い限り自然界には存在していません。 それでも、いろいろな植物が現在まで、
生き残ってきています。稲も、もし裸の土地で生きられない種であるならば、とっ
くに淘汰されているはずです。
にもかかわらず、稲が自生しているというのは、野生の土地でも生きてゆけるということを証明しています。
現在の水田耕作の稲はいわば甘やかされた稲なんです。」
では、耕さない田んぼに稲を植えるとどうなるのか。
これが、非常に興味深いのです。
耕さないということなので、土は耕したものよりも堅いので、根もその堅い土を
突き破って成長するために、太く強いものになります。
番組では実際に耕作と不耕起の稲の根を定期的に比較しており、
みごとに野生化した稲の根を見せられたときはうなってしまいました。
話はこれだけで終わりません。
通常水田は、冬季は水を抜いてしまうわけですが、
岩澤さんたちは、「冬季湛水(たんすい)」ということを試みます。
冬の間も水田に水を張ったままにしておくわけですが、そうするとおもしろいことが
次々に起こります。
まずは、バクテリアが大量に発生します。そしてそれを餌とする糸ミミズが大量に
発生してきます。そしてタニシ、かえる、といった具合にひとつの水田が食物連
鎖の培養地と
なるのです。害虫もいれば、益虫もいる。だからひとつの種が異常発生することを
食い止めることになるとも。
ここで、水質浄化の専門家が登場します。
これまで、農薬を大量に含んだ水田水が土壌や河川の環境を破壊してゆくことが
問題にされてきました。現在のような農法を続けてゆく限り、この水質汚染を
食い止めることは出来ません。
水質浄化の専門家は、「冬季湛水」は「緩速濾過」そのものであるというのです。
水質浄化の方法には、高速濾過と緩速濾過のふたつの方法があります。
高速濾過は、いわゆる浄水場などが行っているようなフィルターと薬品による
水質の濾過の方法なのですが、山の雪解け水などが、いったん土中にはいり、
自然環境の中で濾過されて、時間をかけて岩肌から湧き水になって湧き出る
といったシステムを「緩速濾過」というのだそうですが、
冬季湛水を行うことにより、バクテリアや様々な生物が汚染要因を取り除き、
酸素を供給して、さらに土質が改良され、そこから流れ出す水が自然に浄化される
ということのようです。
そして、そのうち水自体が生き返ってきます。
テレビでは、自然湿原と化した千葉県の田んぼにたくさんの白鷺が舞い降りる
ようになるという感動的な画面を映し出します。
これが、北海道なら丹頂鶴であり、佐渡ならばトキ!が舞い降りるという光景
になるはずです。確かに、むかしの農法は不耕起であり冬季湛水に近いものであっ
たということで、モノクロの画面にはたくさんの朱鷺が田んぼに舞い降りる光景
を映し出していました。
ところで、ここまでだと、いいことだらけなのですが、
実際には不耕起栽培には多くのハードルを乗り越えてゆく必要があります。
岩澤さんたちが、布教活動を続けていますが、急速には広まってはいません。
まずは、雑草の問題です。
不耕起は基本的に無農薬ですので、雑草が伸び放題となり、
収穫が激減してしまうのです。
また、何年か続けてゆかないと稲の野生化が完成されないために、最初のうちは作物自体も不調です。
この、稲が野生化してしっかりと根をはり、雑草を減らす工夫が定着してゆくまで
近代農法であまやかされた農家は辛抱できないわけです。
除草剤の開発、ヘリによる空中散布により稲作は急激な効率化を成し遂げました。
とくに除草剤の開発は、農家の作業効率を大幅に上げただけでなく、収穫量にも
大変な進歩をもたらしました。
いったん経済効率化の恩恵を受けてしまった農家が、また非効率的な不耕起栽培を
採用することには、やはり抵抗があるわけです。
しかし、何軒かの農家が不耕起栽培のなかで、大きな収穫を得るようになってきます。
冬季湛水によって、田んぼの表面に大量のバクテリアの死骸や、いきものの糞が堆積して
雑草の繁殖を抑えるといった現象が起こってくるのです。
さらには、大量の種が田んぼの中で共生することにより、ひとつの種の異常発生を
許さないような生物の連鎖環境が整ってくるのです。
長く不耕起栽培を続けている農家は少しづつでも収穫量を確実に伸ばしているようです。
なんか、話があっちゃこっちゃに跳んで
収集がつかなくなってきましたね。
でも、まあいいか。
2004年04月01日
老いの意味・「物語」と「データ」
東京ファイティングキッズ
その24
内田 樹から平川克美くんへ(2004年3月26日)
■ 老いとなじむ
平川くん、その後「ウサギ目」の方はどうですか。
もう3週間経ちましたからもうそろそろ快癒されたでしょうか。
「老体病苦」に鞭打って・・・というのは壮絶ですけれども、あまり無理をしないで下さいね。
ぼくたちも知命を過ぎて幾星霜。「還暦」も間近なお年頃ですから、老いと病と死について、そろそろ気構えをしないといけないですね。
ぼくの合気道のお師匠さまである多田宏先生は「病気と共に生きる」ということをよく言われます。おそらく師匠の師匠であるところの中村天風先生から伝えられたの教えだろうと思いますけれど、ぼくはこれがとても大事なことだということにだんだん気がついてきました。
40代にはいったころ、(厄年のころですね)二度ほど大病をして、体力ががくんと落ちたことがありました。
そのとき、二十歳くらいのときのわが「絶好調」のときの心身の状態をいわば「達成すべきパーフェクトな状態」というふうに考えていて、それと比べて四十路のわが身の情けなさよ・・・というふうにかなりネガティヴな発想をしたことがあります。
でも「達成すべき健康な状態」と現状の差をマイナスカウントして、なんとかそこに「キャッチアップ」しようとがんばるっていう発想そのものが間違っているんですよね。
どう考えても、四十過ぎてから二十歳の体調を「達成すべき理想」に設定するということ自体に無理があります。
視力も衰えるし、歯もがたがたになるし、足腰のバネも利かなくなるし、お酒も弱くなるし。
それは「それ」ですよ。やっぱり。
それを「治そう」としたら、それこそサイボーグ化するしかありません。
人間の身体のシステムというのは、自然にそうなっているわけですから、老いるということは、天然自然の理にかなっていることなんです。
老いてはじめて経験できるものがあり、病んではじめてわかる愉悦があり、死が近づくことではじめて発見される美しさがある。
そういうふうに考え方を切り替えたら、なんだか気分が楽になりました。
死ぬことって、子どものときはすごく恐いじゃないですか。
小学校のころまで「死」というものは概念としてまだ把握されていないけれど、それがあるとき突然想像可能になる。
自分もいつか死ぬということを想像できるようになったとき、ものすごい恐怖を味わいました。
これはほんとうに底なしの存在論的恐怖でしたね。
当時、TVドラマの主題歌に「空の上には何があるー」というような脳天気な歌詞があったのですが、それを聴くたびに、「空の上には何があるんだろう?宇宙の果てには何があるんだろう?膨張しているという宇宙のさらに『外側』はどうなっているんだろう?そもそも宇宙の『はじまり』より前には何があったんだろう?」というようなことを考え出すので、いつもその番組が始まるとふとんをかぶって震えていました。
心臓の鼓動の「どく・どく」という音の「どく」と次の「どく」の間のインターバルが恐くて、このまま心臓が止まったらどうしよう・・・と思ったりもしました。
さっきまで「どく」の次には必ず「どく」が来ていたのですが、「さきほどまで心臓が鼓動していたことから、このあとも引き続き心臓が鼓動することを演繹することはできない」というまるでヒュームみたいな形而上学的推論をしていたわけです(子どもの哲学性はあなどれないですよね)。
そして、どうして子どもよりずっと適切に推論ができるはずの大人たちが「宇宙の果て」のことも「時間の起源や時間の終わり」のことも知らないままに、愉快そうに生きていられるのか不思議でなりませんでした。
自分が時間と空間のどこにいるのか実定的に言うことができない、という不能そのものが人間の人間性を基礎づけている、ということがわかったのは、ずっとずっと後になってからのことです。
地図というものがないとぼくたちは自分の位置を指し示すことができないわけですけれど、地図というのは本質的につねに「部分」なんですよね。(必ずはしっこが「切れている」わけですから)。
「無限の地図」というものがあったとしても、それは地図としては機能しませんよね(なにしろテーブルの上に拡げられないんだから)。
地図が地図でありうるのは、「世界には表象できない外部がある」ということ、つまり「地図に描けないものがある」ということによってです。
そしてもちろん地図がなければ、ぼくたちはさしあたり前後左右どちらに進んでいいかまるっきり分からないわけです。ですから、ぼくたちがその日その日、それなりにものごとの筋目を通しながら生きていけるというのは、ぼくたちが限定された世界に住んでおり、その世界にはぼくたちの知性や想像力をもってしてはけっして表象できない外部がある、ということがわかっているからです。
つまり、ぼくたちが何事かについて判断できるのは、その判断が「地域限定・期間限定」であるという有限性の刻印をおされている限りにおいてのことです。
なるほど。
人間は死ぬから「生きる」ということの意味やありがたみや愉悦が分かるわけです。
不老不死の存在者が仮にいたとしても、その人には死の恐怖や老いの苦しみがない代わりに、生きるということの幸福がおそらく想像もできないのでしょう。それはぼくたちが原生動物に「細胞分裂の瞬間の快感っていったら、あなた、もう筆舌に尽くしがたいですよ。きりきりきり、ぽん!なっていってもう凄いんですから」といくら説明されてもぴんとこないのと同じです。
人間が人間であるのは、人間の世界の「外側」を「知らない」からであり、「知らない」ということを「知っている」限りにおいてです。
というようなことが四十路を過ぎてからぼちぼち分かってきました。
なるほど、「そういうこと」って、若いときには分からないですよね。
若い時って、「存在する」ことが自明であって、それを植民地主義的に全宇宙に拡大しようとしているわけですからね。
「生きることには意味がない」というようなことを主張する方々だって、その主張を全世界のみなさんに傾聴してもらおうと思うとずいぶん熱心に走り回るものですからね。
死ぬということも、父の死をみとったときにずいぶん身近になりました。
死んだあとになっても、ちゃんと父は「いる」(けどいない)んですよね。
変な喩えですけれど、ドアをあけて「隣の部屋」に行ってしまったような感じなんです。
たしかに「隣の部屋」に父の気配がする。
でも、「こっちの部屋」と「隣の部屋」のあいだの行き来はぼくが死なないとできない。
子どもの時は「隣の部屋」があるということさえ想像もつかなかったけれど、いまはなんとなくそのリアリティ(というのもへんですけど)が分かるんです。
すると「はやく『隣の部屋』に行ってみたいなあ」(父にもまた会えるし)というような変なことを考えます。
「死ぬ」というのがどういうことかはぼくが「死ぬ」と必ず分かるわけです。それまでは分からない。
でもすべての人は必ずは死の実相に触れることができるというわけでもなさそうです。
「死んだら全部おしまい」と思っている人は、たぶん死んだあとに「全部おしまい」になってしまうんじゃないかな。
ぼくは死んだ後に「隣の部屋」でまたいろいろなことが起こるんじゃないかなと思っています。
そう考えると、なんだかわくわくします。
死んだときに「ちゃんと死ねる」ように、生きているうちから死の準備をいろいろしておくことが大切だなと思うようになりました(それはべつに遺書を書いておくとか、日記を焼くとか、そういうことじゃないです)。
こういうふうな思考のシフト(存在することを世界に充満させる志向から、「存在するとは別の仕方で」へ)が老いということのたいせつな機能じゃないかしらといまは思います。
こういうことを二十歳やそこらのひとに「理解しろ」といってもなかなかたいへんです。
こういうことが「なんとなく分かってくる」というのが老いの手柄というものではないでしょうか。
そういう意味で、21世紀のいま、「老いるためのノウハウ」を文明のたいせつな基礎に組み込んでいる社会って、すごく少ないなあと思います。
現代の日本もアメリカもけっこう「病んでいる」というのは平川くんとぼくの共通の見解であって、それがどういう社会構造や社会理念から由来するのかについて、これまでいろいろ書いてきたわけですけれども、アメリカが「老い」ということ(そして「病」も)を「価値」にカウントするような度量衡を持っていない、ということもけっこう重要なポイントじゃないでしょうか。
それは「アメリカは病んでいるから健康になれ」ということではぜんぜんなくて(そういう発想そのものがアメリカン・グローバリズムに代表される「無時間モデル」の病症なわけですから)、どこの国のどこの社会もそれぞれの仕方で病んでいたり、老いていたり、幼児的であったりするわけで、そういうことはそうなるに至った文脈があり、歴史的前段があるわけですから、いますぐどうこうしろと言っても無理なんです。
だから、それを受け容れた上で、それぞれに身に振り方を考えればよいと思うのです。病んだ国は病んでいることを自覚して、おとなしくベッドで養生していればよいし、死にかかった国はどういう遺産を次世代に残せるのか考えればいいし、幼い国はどうやったらもう少し大人になれるか考えればいいわけで、そういうことは一律にはゆきません。
■ データの時代
ちょうど一昨日兄ちゃんが関西に来たので、少しおしゃべりする時間があったのですが、そのときに興味深い話を聞きました。
最近、兄ちゃんの会社で新入社員の募集をしました。
募集1名のところに100名近くのアプライがあったそうですが、条件に「英語に堪能なこと」を出したので、TOEFL850−950点クラスの人たちがわさわさと応募してきて、とても100名に面接する時間がないので、年齢とTOEFLの点数で「足切り」をし8名に絞ったそうです。
その採用の顛末なのですが、残ったほとんどがアメリカの大学を卒業して、外資系で働いた経験のある20−30代で、この人たちにふたつの作文を課しました。ひとつは日本語での自由作文で一つは英語でのビジネスレター(メーカーから納品された品物に欠陥があったので、それを引き取って欲しいという依頼の手紙)。
兄ちゃんが驚いたのは、この「アメリカ人のように英語をしゃべる」若者たちの書く日本語の作文が文章力も内容も「小学生程度」のものだったこととビジネスレターでは相手を「叱責、糾弾」する口調をごく自然に採用していたことだした。
結局採用されたのは、英語の成績はそれほどよくなかったけれど、メーカーの担当者の立場を配慮して、たいへんていねいでフレンドリーなビジネスレターを書いた女性だったということです。
「アメリカで教育を受けた日本人はどうして、『命令、叱責、要求』の口調がビジネスの語法だと思い込んでしまうんだろう?アメリカ人だって誰だって、ミスについて他居丈高に糾弾されるより、フレンドリーに気づかわれる方がビジネス・パートナーとして気分がいいことは変わらないはずなのに・・・」
アメリカの経営学部とかビジネススクールというところでは、長期的には利益をもたらす可能性があるが、デジタルな計量のむずかしい人間的要素については、あまり気にすることはないよ、というふうに教えているのでしょうか。
短期的な利益ばかりを配慮して、ビジネス・コミュニケーションにおける人間的な要素を軽視するビジネスマンは、当のビジネスにもあまりぱっとした成功を収めないような気がするんですけれどね(現に兄ちゃんの会社の面接をみんな落ちちゃったし)。
ぼくが興味深く思ったのは、実はもう一つのことで、TOEFL,TOEIC といった英語力の検定試験が求職者の間で、ほとんど「必修」化していることでした。
これはいったい、どういうことなのでしょう。
これは「資格志向」全体について言えることですけれど、若い人たちがこういうデジタルに表示された資格や成績にこだわる最大の理由は、「人事考課が機能しなくなっている」ということではないかと私は思います。
だって、そうでしょ?
もし、会社や組織の上司が部下の能力を適切に把握していて「あ、ヤマダくんはできるね。目配りがいいわ」とか「あのスズキつうのはあかんな。あれは使えん」ということについて暗黙の合意ができている場合は、学歴やら資格やら点数やらはもとより不要のものです。
しかし当今の使用者たちはそのような人間能力の総合的な判定能力がかなり低下してきているのではないでしょうか。
ですから、「ヤマダはスズキより優秀である」という考課を上司が行った場合の説明責任を求められたときに、それを語ることができない。
でもたとえばヤマダがスズキのもっていない資格をもっているとか検定の点数がスズキより上であるとかいう「誰が眼にも明らか」なデータが示される場合は説明が楽になります。
逆に、学歴も資格も検定もスズキに劣るヤマダを「でも、仕事はできる」というふうに考課することがいまどきの上司たちにはだんだんできなくなっているのではないでしょうか。
学生たちを見ていると、とにかく「資格、資格」と奔走しています。
もちろん、ぼくたちが学生のころ、在学中に資格をとりたがる人間なんかあまりいませんでした(せいぜい運転免許か司法試験くらいです)。
それだけ世の中の考課システムがデジタル化してきたということではないんでしょうか。
それは若い医者たちが問診で患者の健康状態や遺伝疾患やパーソナルヒストリーを聞き出す能力が落ちてしまったために、やむなく検査漬けにしてデジタルデータを欲しがるのと、よく似ているように思います。
誰にでも分かる数値を人間的指標に取ることが推奨される時代というのは、人間の「中身」についての判定(それは久しく、「その場にいる全員にとっての暗黙の了解」でした)が怪しくなってきた時代だということではないのかと思います。
これまで人間についての判断を可能にしてきたのは「データ」ではなく、むしろ「逸話」でしょう。
だからぼくたちは自分たちがうまくそれについて判断することのできない経験については、長い物語をひとつ語ることで、さまざまな意味の欠落や不可解さや謎を「込み」で、わけのわからない経験の「わけのわからなさ」を毀損することなく保存する方法を探ってきたのではないかと思います。
平川くんは期せずして「世界と物語」について書いていますけれど、「データ」の時代というのは、実は「物語」が死に瀕している時代なのかもしれません。
「物語」というのもたしかに「情報」のある種の保存・伝達の方法であることはたしかなのですけれども、非常に複雑な情報を扱うことができます。
「物語」の厚みの違いによって、あるいは読み手の「読み込み」の深さに応じて、そこから汲み出すことができる情報の量も質も大きく変化しますから。
読み手は「物語」の書き手が書き込んだことを読み落とすこともありますし、逆に書き手が書いたつもりのないことを読み込むこともあります。
すぐれた「物語」とそうでない「物語」の違いは、そこからどれくらい多くのものを読み出せるか、その「開放性」の差にあるように思います。
一方、「データ」には厚みも深さもありません。そんなものあっては困ります。誰がどういうふうに読んでもいつでも同じ情報を伝えること、それが「データ」の条件ですから。
ぼくたちの時代は、ひとびとが人間について「物語」を語るのを止めて、「データ」を提示するのようになってきたような気がします。
「老い」の意味を語る文化的リソースが欠如しているということ、「物語」から「データ」へ情報媒体が移行しつつあること、これがあるいはぼくたちの時代のもっとも深刻な病徴のような気がします。
ぼくは先日胃痙攣を起こしたときにドアの角(かどこか)におでこをぶつけて、左目が腫れ上がったままです。
どうもふたりとも眼にダメージが続きますね。
お大事に!
ではまた