« 2004年12月 | メイン | 2005年02月 »

2005年01月22日

詩と反復

TFK2  その4 (2005.1.22)

■ ことばと経験

 ことばは自分の中から浮かび上がるのか、自分の外から到来するのか。
 これはなかなかむずかしい問題です。
 いきなり抽象的なことを口走ってしまいましたが、平川くんが引いてくれた安藤次男の詩の一節「そのころ私は、まだ海というものを知らなかったから投げることを知らなかったのだ」が僕たちに差し出した問題は、そのように定式化することができるかなと思いました。
 「自己と世界との落差」の経験において、僕たちは通常、「思いが言葉にならない」という言い方をしますね。
 もちろん、そういう経験はごく日常的なありふれたことだと思うのですが、それと同時に「言葉が到来したことによって、『思い』がそこにあったことを事後的に知る」という経験もまたあるのではないかと思います。僕はこちらの方がある意味ではずっと人間にとって根源的な言語経験ではないかと思うのです。

 平川くんに倣って、僕も美しい詩の一節を引いてみたいと思います。

  ところで
  きょうのあさは
  りんごをひとつ てのひらへのせた
 
  つま先まで きちんと届けられていく
  これはとてもエロティックな重さだ

  地球の中心が いまここへ
  じりじりとずらされても不思議はない
  そんな威力のある、このあさのかたまりである
  (「りんご」)

 これは僕たちの『東京ファイティングキッズ』をBSで「激賞」(って勝手に誇張していいのか)してくれた小池昌代さんの詩の一節です。
 僕は詩の解説ができるような繊細な感受性の持ち主ではないので、がさつに論理的なことを言いますが、「つま先まできちんと届けられていくエロティックな重さ」というような表現は確実にある種の新しい身体感覚をもたらすように思います。この数行の詩句は、それを読んだときに、手のひらからつま先を抜けて、地球の中心へ向かう、しっかりとやわらかい鉛直方向の力線を僕の中にすっと引きますから。そして、詩の力は、この「しっかりやわらかい鉛直方向の力線に貫かれる」感覚というのが、僕にとっては未知の身体経験だったということに存します。
 この詩の一節を読んだときに、僕の中で「そのような分節の仕方があるとは知らなかった仕方」で身体が分節されました。
 未聞の感覚が到来したわけです。
 まぎれもなく僕自身の身体感覚でありながら、それは「外部」から、「他者の言葉」から到来したわけです。他者の言葉が、僕の中の「そのようなことばをリアルに感じとることのできる潜在的能力」を賦活したのです。

 これについては三浦雅士さんがとても印象的な事例を引いていました。何度かうろ覚えで引用したんですけれど、いつもちょっとずつ不正確な引用だったので、今回は正確を期して。

 「乱暴な言い方をしてしまえば、古典は、暗唱できるまで朗読させればいいのである。丸暗記してしまったその詩や文章が、いつか突然、身に染みて分かるときがくる。それが言葉というものであり、文学というものだろうと思う。(…) 先人の詩や文章をそっくりそのまま真似るところから始まるのが文学だ。自分自身の考え方や文体が出てくるのは、そのはるか後である。楽器の練習や、スポーツの練習に似ている。いや、まったく同じだと言ったっていい。百人一首であれ、芭蕉の句であれ、はじめは何のことか分りはしない。だが、たとえばある春の日、久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ、という一首が口をついて出ることになるのだ。歌が分かるのはそのときであり、しかも同時に、春という季節が、桜という花が、分かるのである。」(『考える身体』、NTT出版、2000年、80頁)

 みごとに文学と身体、世界と言葉の関係を語っていると思います。
 受験勉強で丸暗記した和歌の一首が、なにかのときにふと口を衝いて出てきた。そんなときに、たぶん僕たちは「年を取ったので、歌の雅趣が分かるようになった」というような説明をするのだと思います。
 でも、そのときにはじめて「春」や「桜」が分かった、というのはなかなか言えないことです。「春」や「桜」は、僕たちがすでに経験的に熟知していると思い込んでいた事象だからです。
 このときの「分かる」は、僕たちがすでに知っている「春」や「桜」に新たに何かの情報を追加する、ということではありません。そうではなくて、どうして自分が「春」や「桜」についてある種の印象や感懐を「自明のもの」として身体化させていたのか、その理路に少しだけ照明が当たる…という経験ではないかと思うのです。

 極端な言い方をすると、万葉時代から現代に至る日本人にとっての春体験、桜体験の「全史」というものがあって、その末端に僕たちは連なっているわけです。その長大な「感受性の系譜」がたしかに自分のうちにも潜在的に身体化されているのを感じる。そういうことではないかと思うのです。
 「春霞」や「秋霖」や「牡丹雪」を僕たちは、ただの自然現象として経験することができません。それらはただの自然現象でありながら、僕たちにとってはそのつどすでに文学的表象として内面化されている。

 そんなことないよ、若い連中は万葉も古今も知らないんだからという反論がありうるかも知れませんが、そうでもないと思います。
 タランティーノの『キルビル』のラストのユマ・サーマンとルーシー・リューの決闘シーンは藤田敏八監督の『修羅雪姫』の「本歌取り」なのですが、ここには『忠臣蔵』や『憂国』やさらに古くは能楽『巴』以来の「白雪の上に飛び散る鮮血」を審美的に感知する文学的感受性がたしかに伏流していました。タランティーノはそれと知らぬうちに、「雪と血」にまつわるわが国の伝統的な美的表象を継承した。僕にはそんなふうに思えました。

 そのように非主題的に伏流し、なかば身体的に分節されてはいるけれども、いまだ輪郭のたしかならざるものだった「何か」が、他者の言葉の到来によって、表象として立ち上がる。そういうことって、あるように思います。
 それは喩えて言えば、知るはずのない外国語で話しかけられたときに、自分がとっさにその「自分が知るはずのない外国語で受け答えしている」ことに気づく…という経験(なんて、ふつうありませんけど)に似ているのではないかと思うのです。
 「え?僕って、こんな言葉が話せたの?」という驚愕。
 それが言葉の本質的な意義における「文学的経験」ではないか、僕にはそんなふうに思えるのです。
 他者の言葉の到来によって、世界と自己が未聞の仕方で分節されたとき、自分がそのような表象を理解できるとは知らなかったような種類の表象の「使い手」としての自分に出会う…文学とは、このような経験のことではないのでしょうか。

■作られた伝統の創造的コピー
 
 この世界分節の順逆の転倒について、最近読んだ中でいちばん印象的な言葉は次のようなものです。

 子曰(のたまわ)く。述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む。(『論語』述而篇)

 いきなり『論語』でびっくりされたでしょうが、ちゃんと話をつなげますからご心配なく。 

 この一節を白川静先生は次のように解釈されておられます(っていきなり敬語になる。どうも白川先生だけにはつい敬語を使ってしまうんですよ。どうしてだろう。それにしても今日は引用が多いな)。

 「孔子はみずからの学を『述べて作らず』(述而)といったが、孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。たとえば伝統が、形式としてあたえられるとき、それはすでに伝統ではないのと同様である。伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、『述べ』られる。述べられるものはすでに創造なのである。しかし自らを創作者としなかった孔子は、すべてこれらを周公に帰した。周公は孔子自身によって作られた、その理想像である。」(白川静、『孔子伝』、中公文庫、2003年、70頁)

 白川先生の『孔子伝』は諸星大二郎の『孔子暗黒伝』と酒見賢一の『陋巷に在り』の「原作」です。
 でも、考えてみると、すごいですよね、文化勲章受章者で、世界最高の甲骨文・金文研究者の書いた本が才能豊かな漫画家と小説家をはげしくインスパイアするくらいにスリリングであるというのは。

 それはさておき、この御年94歳になる老学究が上で述べられていることは、ニーチェが『悲劇の誕生』でギリシャ悲劇について述べたことに深く通じていると僕には思われます。でも、ここでまたニーチェを引用して…ということになるといったい何十枚の論文になるか分かりませんので今日のところは止めておいて。
 で、どうしてこの一節を引用したかというと、それは平川くんが提起した「繰り返す」ということに主題にまっすぐ関連しているからです。

 平川くんはこう書いていました。

「ぼくたちがふつう、自分の独創であると思っていること。
自分に固有の悩みや、喜びであるとおもっていること。
こういったことは、実はいつか、どこか過去のある時間の中で、自分たちの知らない誰かによって既に体験されたことであるに違いありません。
同時に、将来の、誰か自分たちの知らない人間によって繰り返されることになるはずです。
人間のまわりに生起する出来事なんていうものは、それほど独自でもなければ、多様でもない。それらは、必ず既にあった出来事の繰り返しであるわけですね。そして、だからこそ、この繰り返しには個人を、類へと送り返すことができるのだろうと思うわけです。」

 読み比べて見て、平川くんも白川静先生の「述而」解釈とのあまりの符合にびっくりしているのではないでしょうか。
 先端的なビジネスの場にずっといた平川くんがその経験的知見をまとめてみたら、『論語』と同じ結論になってしまった。
 そこで述べてられているメッセージの内容(「あらゆる独創的知見は先賢のことばの繰り返しである」)そのものを、そのメッセージを発信している平川くんのことばが、孔子のことばを繰り返しているという事実が遂行的に実現しているわけです。

 「創作者ではなく、祖述者である」という自己規定こそが人間の創造力を解錠するという逆説については、僕も平川くんと同意見です(ということは、白川先生、孔丘先生とも同意見ということですね)。
 でも、それだと「天が下、新しきことはなし」という言い古された俚諺のままで話が落ちてしまいかねません。
 話はもう少し複雑なような気が僕にはするのです。

  孔子が理想とした周公の礼治というのは、白川先生によると孔子が作り上げた「ヴァーチャルな政治的伝統」でした。というのは、孔子の時代には周公の事績についての古典学的な資料は存在しなかったからです。魯国に伝わっていたのは、周公の治績についての、ぼんやりとした口承のフォークロアだけでした。
 孔子はそのかろうじて継承されてきた民間伝承を素材にして、「理想的な古代の徳政」という「物語」を作り上げ、その「創作されたオリジナルのコピー」というポジションを選択したのです。このトリッキーな位置取りこそが、実は、すべての「伝統」の骨法ではないかと僕は思うんです。

 タルムードの伝説的賢者ラビ・エリエゼルはその師についてこう語っています。
 
 「もしすべての海がインクで、すべての湖沼に葦が生え、天と地が羊皮紙で、すべての人が文字を書く術を知っているとしても、彼らは私が師から学んだ律法のすべてを書き尽くすことはできないだろう。一方、律法はそんなことをしても大洋に筆の先をひたして吸い上げたほどもその水量を失いはしないだろう。」

 ラビは自分の師が保有していた圧倒的な知について証言しています。大洋にも比すべき宏大な知識を伝える師、それを葦の穂先ほどの容量を以て受け止めようと努める後代の弟子たち…しかし不思議なことに、タルムードはラビ・エリエゼルの知恵と徳については多くの逸話を残していますが、ラビを圧倒したはずの「その師」については何も伝えていません。
 ラビ・エリエゼルは「その師」を(孔子が周公を「創造」したように)やはりいくぶんかは「創造」したのではないでしょうか。そして、その師の「卑小なコピー」というかたちで自分の立ち位置を定めたのではないでしょうか。

 伝統というのは、どうも「そういうもの」のように僕には思われます。
 レヴィナスがその師モルデカイ・シュシャーニについて熱く語るときも、ラカンが「フロイトに還れ」と獅子吼するときも、あるいは近くは三島由紀夫が「断弦の時」の向こう側なる「天皇」について語るときも、彼らがおのれをその矮小なる継承者の地位において渇仰している「伝統」には、彼ら自身の作り上げた「修辞的誇張」がいくぶんか加わっているように思われます。

 そういうものだと思うんです。
 「自分が起源である」「自分が新しく始めるんだ」ということにしてしまうと人間は「力」が出ない。
 そうではなくて、「ゲームは私が到着する前からすでに始まっていた」ということにして、私は「起動者」ではなく「パスする人」であると自己規定すると、なんだかフットワークがたいへんよろしくなる。
 原理的な説明をするにはちょっと時間がかかりそうですけれど、実感的にはみんなうなずいて、「そう、そうだよ」と分かってくれるんじゃでしょうか。
 だからこそ、「おのれ一身の立身や栄達」というモチベーションと「平天下治国家」というモチベーションでは、圧倒的に後者の方が個人の潜在能力の解発には有利だということになるのでしょう。
 孔子は、「自分は創造者である」と宣言するより、「自分は模倣者である」と宣言する方が創造的事業の達成には有利であること、「これは私がはじめて言うことである」よりも、「これは多くの先賢が述べてきたことの繰り返しである」という話型を借りる方が、自分の個性的見解をより適切に述べられるということに気づきました。
 二千五百年前から分かっていたことなのに、いま改めてそれを聴くと、驚くほど新鮮に響くのはどうしてなんでしょうね。

投稿者 uchida : 16:22 | コメント (0)

2005年01月11日

自由という神話、成長という物神

TFK3

二〇〇五年、あけましておめでとうございます。
今年は風邪で、寝正月でしたが、それでも年が改まるというのは何かうきうきした新鮮な気分になるものですね。
日本の正月は、善男善女が神仏に手を合わせるところから始まりますが、ことの始まりに祈りがあるというのもいいものだと思います。
ぼくは、会社の仲間と五日に恒例の神田明神初詣。一年の安寧をお祈りしました。

■ 自由の問題

さて、東京ファイティングキッズですが、風呂敷畳んどいてねとたのんだはずなのに、もっと大きな風呂敷ひろげて返してくれるところが、いかにもウチダくんですね。
これだからね。

考えさせられるところや、「目からうろこ」のご指摘が多々あった前便ですが、まずぼくがはっとしたのは次のようなところです。

>「第三者がそこにいる」という原事実こそが、ぼくたちの主体性と自由を担保している。

ふつうは、人間は自分自身と向き合っているときが一番自由を感じられるし、自然に振舞えると思っています。また、愛する人と二人でいるときはこころ安らかな時間に身をゆだねており、自分は自由を感じていると思っていることが多いかもしれません。
ウチダくんのご指摘はこういったふつうわたしたちが感じる主体性とか自由の概念を百八十度倒立させているわけです。
実はこれこそぼくがいいたかったことなのです。

人間が自由であり得るのは、自分たちが自然である、ノーガードでいられると感じることの対極のところにしかないのではないかということなのです。
撞着した言い方に響くかも知れませんが、不自由の中にしか自由は存在していないといってよいのかもしれません。

自分自身と向き合っているときは、確かに最も自然状態の自己を見つめているわけですが、そこには自分が自分から抜け出せる出口というものがないわけです。同時に、独白的な自己というものがほとんど、青年期の類型でしかないということも、業を経て誰にでも了解できる事実でもあるのですね。
青年期には、誰でもが大きな疎隔感を潜り抜けているわけです。ぼくも場合も自閉症的な時期がありました。周りからは、最も自閉症的なものから遠い、お調子者のように思われていたのかもしれませんが、やはり口数は少なくなっていたと思います。

外からは物静かで、クールに見えるかもしれませんが、こころの中はそれこそやり場のない過剰な感覚を持て余しているわけです。しかし、このやり場のない過剰な感覚を届ける相手との距離のとり方が良くわからない。何かしゃべればどうしようもなく、誤解されてしまう。しゃべったってしょうがない。だから押し黙ってしまう。

これは、考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、自己幻想というのは無限のトートロジーという単純な循環以外のものではないわけです。

そもそも、自分の想念を第三者に対して働きかけるということなしには、人間は自由という概念を想起することができなかったはずです。自由の概念とは、まさに自分自身に対する荒唐無稽な想念と、それが第三者の存在によって社会化してゆくときに生ずる関係の落差そのものの喩だからです。第三者による視線というものがなければ、自由とか主体性というものはそもそも意味を持ち得ないということです。

安東次男は、これを実に美しい詩の言葉で表現しています。

私は信じられない小鳥の死骸を石のように握りしめたまま、暮れてゆく風景の中に茫然と立ちつくしていた。 そのころ私は、まだ海というものを知らなかったから投げることを知らなかったのだ。(「残雪譜」より)

安東の詩は、どのようにも読めるかもしれませんが、「海というものを知らなければ投げるということもまた知りえない」という詩句が暗喩として指し示すものは、まさに自己と世界との落差そのものであるとぼくは読んだわけです。
この落差の中にしか存在しないものを知ること。
これこそが、経験ということの意味なのではないでしょうか。あるいは、もし年齢を重ねるということに意味があるとすれば、それはまさにこの落差の経験を年ふるごとに重ねることであるとぼくは思っています。

■ 因果と反復

「反戦略的ビジネスのすすめ」でぼくは、ビジネスの要諦は「繰り返されること」であると書きました。
これは、何か特別な思想でも何でもなくて、ただ実際にビジネスをしてきた実感を言葉にしたものなのですが、最近、この繰り返されるということの意味の重さに、かえってこちらがたじろぐような光景に遭遇することが多く、これは何もビジネスに限ったことではない、非常に重要なことなのだと思うようになりました。

韓国映画「ラブストーリー」は、ぼくも見ました。
ウチダくんと同様、ほろりとしてしまったわけです。
「猟奇的な彼女」もそうですが、韓国の映画シーンには、恋愛の中に主人公たちの手の届かない場所にある時間の神秘を見出す、といった物語の基本の形がとても丁寧に描かれているように思えます。
恋愛が自分たちの知らないものとの出会いであり、発見であるという感覚を、日本映画は、どこかに置き忘れてきたように思えてなりません。
ウチダくんのみごとな分析を読んで、自分が何故、ほろりとするのかについてよく理解できました。
「贈り物」が世代をまたがって交換される。交換の度に新しい物語が付け加えられる。交換されるものは何だって構わないのですね。
そして、贈与が想像の範囲を超えて、思わぬ時、思わぬ場所から返礼される。
ここに、人類学的な真理が隠されているのかどうかは、ぼくにはよくわからないのですが、すくなくともここには人間の心理の深層には、願い、希望、祈りといったものが埋め込まれているのだと思わせるものがあります。
ぼくは、ここにも、繰り返されるということの不思議な効果を見ないわけにはいきませんでした。

ぼくたちがふつう、自分の独創であると思っていること。
自分に固有の悩みや、喜びであるとおもっていること。
こういったことは、実はいつか、どこか過去のある時間の中で、自分たちの知らない誰かによって既に体験されたことであるに違いありません。
同時に、将来の、誰か自分たちの知らない人間によって繰り返されることになるはずです。
人間のまわりに生起する出来事なんていうものは、それほど独自でもなければ、多様でもない。それらは、必ず既にあった出来事の繰り返しであるわけですね。そして、だからこそ、この繰り返しには個人を、類へと送り返すことができるのだろうと思うわけです。
いや、そのように思うことで、人間は倣岸から自由になれるのだろうと思います。

それにもかかわらず、ぼくたちは自分の身の回りに起こっている出来事について、あたかもそれが、自分に固有の、一回限りの出来事であるかのようにおもいなす。
ここが、面白いところです。
しかし、今現実に生起している事実が、一回限りであり、自分に固有な出来事であり、自分の独創であると考えることで、人間は多くの人類学的な叡智から学ぶという大切な姿勢を忘れてしまうのだろうと思います。

このことが、人間というものは、成長するものである。世界は、野蛮で貧困な状態からより、文明化し、裕福で余裕のある文化的な状態へと成長してゆくものであるといった経済成長史観へと人間の思考を導いたと言っては飛躍し過ぎでしょうか。
ぼくには、それがひとつづきの思考の帰趨に思えるのです。
日本でも、世界でも、この成長ということ、つまりは過去を不断にリセットしてゆくという発想からなかなか自由になれない。
ことに、まだ耳に新しいニューエコノミーとか、成長を最大化するという名目の新自由主義的なものの見方に接するとき、その思考の根幹のところに、過去の不断の清算といった倣岸を感じざるを得ないのです。

前にご紹介しましたが、クライヴ・ハミルトンというオーストラリアの経済学者が、実に示唆に富んだ本を書いています。
それはGrowth Fetish というタイトルで、「経済成長神話からの脱却」と翻訳されています。
西側社会では過去五十年の間、驚異的な経済成長を続けてきました。ところが、実際の生活実感としては、豊かさがそれに比例して増したとは誰も考えていません。
たしかに、マスで見れば貧困は現象しています。
しかし、これによって世界の問題を解決してきたといえないことは、現在のアフガニスタンやイラクの状態を見るまでもありません。

ところが、経済成長を信奉するという点においては、右翼も左翼も、いまをときめく、新古典派の経済学者も、ケインズ派もリカード派も、マルクス主義者でさえも、経済成長の優位性だけは疑ってこなかったわけです。
あるいは、ダーウィニズムもこれを後押ししたかも知れません。
ハミルトンの着想は、そもそも経済成長は、意味があるのかと根源的な問いをたてたところにあります。ただ、経済成長しなくてはならないというフェテェシズムがあるだけだと。

このハミルトンの着想の元には、意外なことにアダム・スミスやジョン・スチュワート・ミルが百五十年以上も前に、人間の条件と国家の発展を探索するというテーマを掲げていたという事実があります。
JSミルは言っています。
「どのような究極の一点に向かって、社会はその工業的な進歩をつづけているのだろうか。進歩が止まったとき、どのような条件がととのえば進歩が人類のもとから去っていくと期待できるのだろうか。」

今で経済学のどの学派のページの中にもはこのような知性が見当たらなくなってしまいました。
ぼくには、もしここで百八十度方向性を切り替えられる国があるとすれば、それは日本ではないだろうかというかすかな希望を持っているのです。
その意味でも、もう一度繰り返されるということの意味をじっくりと考えてみたいと思っているのです。

投稿者 uchida : 10:17 | コメント (0)