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2005年05月26日
その13・蕩尽的時間論とことばの「後ろめたさ」について
■ 年齢とともに変容する時間の重み
ウチダくん、こんにちは。
東奔西走、忙しかったんですよ、というのは言い訳で、連休からこっち、ぼくは休みになるとオートバイを転がしては遊び呆けていました。
今年のゴールデンウイークは、勤労者にとってはまさに「黄金」でした。間に挟まった二日間の通常日を休日にすることで、何と十連休になったのですからね。
ぼくは、大学を出てからずっと社長業をやっているからかもしれませんが、売上の上がらない「休日がちっともうれしくない病」に長いこと侵されていました。
ワーカホリックってやつですね。
いや、憧れていたのかもしれませんね。フィリップ・マーロウのようなハードボイルドなハードワーカーに。ぼろぼろになるまで働いて、深夜のオフィスで机に足を乗っけて、しんみりとバーボンを流し込む。「うむ。いい一日だった。くそみたいな仕事でも仕事が無いよりはましだ」なんて。
ところが、最近になってこのワーカホリックがすっかり快癒した。そしたら今度は遊び病になってしまって、休みになるとそわそわして、前日の夜からインターネットで、日帰り温泉だ、映画だ、寄席だとネットサーフィンをして遊びの計画を練っている。
どうした風の吹き回しなんでしょうか。
犬を飼ったからかな。年をとって残りが見えてきたからか。それとも年食ってバイクに乗る楽しみを覚えたからなのか。まあ、その原因は良く分からないのですが、あるときから休日がとても貴重なものとして輝きだしたのです。
これはガキの頃に休みがうれしいってのとはちょっと違った感覚です。
むかし、テレビのコマーシャルで、「できる男は休日、仕事を忘れる」なんてコピーが流れて、テニスだとかスカッシュなんかやって、月曜日になるとシャキっとスーツを着てアタシュケースを持って仕事をするのがかっこいい男みたいなのがありましたよね。何のコマーシャルだったかは忘れちゃいましたけど。
ぼくは、あのコマーシャルが大嫌いでした。仕事と遊びをふたつに割って、人間がその間を行ったり来たりするのが「けじめ」であるなんていう合理主義的な生き方に、何故あれほど反発したのかあの頃はうまく説明できませんでした。
あの男、仕事できないんじゃねぇか。いや、親の財産食いつぶしているケツの青いぼんくらか、口先稼業で、ぼったくった金で遊んでるんじゃねぇのか。
そんな気持ちで見ていたわけです。
このコマーシャルのいやらしさは、稼いだ金を、酒や博打で浪費するっていうほほえましい駄目男ではなく、遊んで英気を養って、しっかり稼ぐといった計算高さが見えることです。これって遊びに対する冒涜じゃないの。いや、こんな生き方には人生に対するつつしみ深さというものが欠如していると思った、ということかもしれません。
ぼくには、この感覚をもうすこし敷衍すると、そこには「時間」というものに対する傲慢があるということになります。
これは、ブログでも書いたことですが、「時間」というものは人間が作り出した合理性という物語(虚構といった方がいいかな)の外側を流れてゆくものです。誰にも平等に与えられるものでありながら、誰もこれを引き留めることも操ることもできない。どんな高価なモノをもってしても、それを引き留めるための取り引きに応じてくれない。
コマーシャルの男は、「時間」を操ったつもりでいたのかもしれませんが、その実ほんのかすかにでも、「時間」というものに手を触れることができていない。かれが操ったのは、時計の中の「時間」であって、その意味では「時間」に補足されているに過ぎない。
これは誤解を招きやすい言い方ですが、、この貴重な「時間」というものに対する最も敬虔な態度は、それを「浪費」してやるということなのではないかと思うのです。殺生した魚は食べ尽くすことが最大の供養であるように、蕩尽というかたちでしか、この貴重な「時間」は汲み尽くせない。
いや、もっと、生産的な生き方があるだろうとは思いますが、そこには将来の何かのために今の「時間」を使うといった未来と現在の取引する功利的な計算が入り込んでしまう。まあ、ちょっと抹香くさい屁理屈になってしまいました。でも、歳を重ねるというのは、すこしづつ鬼籍に足を突っ込んでいくということで、こんなぼくたちでも、坊主の境位にすこしは近づけるんじゃないでしょうか。
こんなお話をしたのは、ウチダくんが「遊び心」について書いてくれたからです。
─ そのときに驚いたのは400年前に建てられたこの建造物がすばらしいクラフトマンシップの傑作だったことです。障壁画天井画あるいは欄間の彫り物にほとばしるような「遊び心」が感じられました。この建物をつくったクラフトマンたちはずいぶん愉しい気分でこの仕事をしたんだろうな、そう思いました。
結局、人間の功利的な思考や言葉と行動が届くのは、せいぜい目の前にいる人、「大向こう」までなんですね。そこから先に行こうと思ったら、功利的な思考から自由にならなければならない。つまり、ただ楽しいから、おもしろいからやっているのであって、何かのためにやっているのではないという「方法」を発見する必要があるんだってことなんじゃないかということです。たぶん、時間を本当に「忘れる」という仕方でしか、時間を越えたメッセージを届けることはできないのだろうと思います。
■ 「誰に見しょとて、紅金つきょぞ」
俗世の話にもどりましょう。
ぼくが遊び呆けていた間に、NEETが話題になり、独立行政法人となった大学が変貌をはじめ、憲法改正の議論がかまびすしくマスコミを賑わしました。加えて悲惨な鉄道事故です。これらの問題をひとつひとつ論じる余裕はありませんが、なんか世知辛い世の中になったという気がします。この間、特に顕著な姿でマスコミやブログに現れてきた言葉づかいを見ていると、一方的というか、ただ他者を攻め立てる言葉だったり、意味も無く雷同する言葉ばかりが目立ってきているよう思えます。でも、ぼくが聞きたいのは中間で揺れ動く言葉なんですけどね。
インターネット以前は、こういった問題が出ると必ず、評論家や大学の教授といった専門家の社会批評的なコメントが新聞やテレビで公表されていました。それらはいつも、定番的な見解でどこか事の本質とずれているといった違和感を伴ってお茶の間に入り込んできていました。しかし、いまやこういった専門家だけではなく、多くの一般ウォッチャーから様々な言葉が涌出されてきています。特にブログの増殖には目を見張るものがあります。
では、かつて感じていた違和感が緩和されたかというと、なんか一層の息苦しさを感じるようになりました。これって、ぼくだけかな。
確かに、多くの人々が自由に発言しているという意味では民主的な光景であるとは言えるのでしょう。そして、それは一見、自由に発せられた「声なき声」なのですが、インターネットの時代に、集中的に、乱雑に振り撒かれる匿名性の言葉は、同じ言葉を共有できないものをパージするといった党派性に簡単に回収されていく危うさがあるように思えてなりません。これらの党派的な言葉について、その言葉づかいについてすこし考えて見たいのです。
ブログって、いまや三百万サイトもあると聞きましたが、インターネットがこんな使われ方をするなんて、ぼくは想像も出来ませんでした。三百万人の人が、日々日記を公開している光景なんて、誰も想像できなかったことだろうと思います。
でも、これって人間の習性っていうか、在りようというか、これまで隠されていた本性が見えてきたということなんじゃないかと思っています。
それは、まさに、ウチダくんが常々言っている、人間というものは「他者の承認」を必要とする動物であるということです。もし、「他者の承認」ということが無ければ、これだけ多くの人が日記というかたちで自分の考えや意見を公表するということがうまく説明できません。
でも、この「他者の承認」ってちょっと曲者なんじゃないかと思っているのです。
いや、確かに人間にとっては「他者の承認」こそが、生きている実感を得るための必須の条件であり、同時にそれなしでは社会化してゆくことができないだろうと思います。
それでも、いったい人間はどのような身振りで他者にかかわり、その承認をもとめるべきなのかというのは案外難しい問題であるように思えます。その難しさは、たとえばぼくが日記をつけるというときに感じるちょっとした違和感をどのようにしたら説明できるのかといった難しさと同じです。
これだけじゃ何のことか分かりにくいですね。
ちょっと説明しますと、ぼくは過去に何十冊もノオトをつけていました。そして、そのとき誰に向けてそれを書くのかということは、ぼくにとっては結構重要なことであったように思います。しかし、日記の中でさえ、ぼくは正直にありのままを書くということには躊躇を覚えたものです。それは、どこかでいつか、誰かがこの日記を読むはずだという確信に近い信仰があったからではないかと思っていたからです。だから、どこかで日記はそれ自体ひとつの作品として書いているといったところがありました。同時にそれは不純なことではないか、何か自分に対して嘘があるのではないかといった後ろめたさのようなものもあったと思います。これは、ぼくたちの年代の人間にとっては誰もが青年期に経験していた自意識の葛藤ではなかったでしょうか。そして、それは漠然とした違和感としてぼくは認識していたわけです。
インターネットの時代になって、おおっびらに公開されるブログと、ぼくたちがノオトに書き綴っていた日記との違いがあるとすれば、それはこの「後ろめたさ」なのかなと思います。そして、かつてぼくはこの「後ろめたさ」をネガティブな自意識としか捉えていませんでした。でも、いまはこの「後ろめたさ」が案外、人間の倣岸や不遜といったものを引き止めていたのではないかと考えたくなっています。
人間は確かに他者の承認を欲望しています。しかし、ぼくたちにとって、それは誰も見えないところでの善行を隠し見られたり、人づてに伝わったりといった具合に迂回的にしか実現されないものでなければならなかったのです。今の時代になって、人々は長年懐中に隠し持っていた他者からの承認をもらうという欲望を公然とストレートに掲げ始めたといったところかも知れません。それを失ってみて、あの頃感じた「後ろめたさ」が妙になつかしくもあり、また重要なものであったのではないかと気づいたわけです。
この「後ろめたさ」というものが何処から来ていたのかというと、日記というものは独りになるための手段であるといった思いがぼくの中にあったからだと言えるのではないか。つまり、単独に耐えるということです。自分の心の中を、単独に耐えながらどこまで深くのぞき込めるかなんていえばちょっと大げさなのですが、まあ時代の空気としてもそういった「他者を恃む」ことをいさぎよしとしないことに価値観を認めるといった空気があったように思います。承認は、与えられるものであるかもしれないが、求めるものではないといった倫理観(ですよね)がこの時代の規矩としてありえた。
だから、交換日記なんていうと、「よせやい。気持ち悪い。」という反応が自分の中で沸き起こる。
余談ですが、吉永小百合と浜田光男で大評判になった「愛と死を見つめて」なんて、ちょっとこっぱずかしくて見ていられないといった気持ちだったわけですね。そのこっぱずかしさってのが、何なのかといえば、歌にもなった「甘えてばかりで、ごめんね」なんていう台詞に象徴的に現れた、憚りのなさだったように思います。
本来、密室の中でしか囁かれることのなかった言葉が、公の場所で聞こえてきてしまった。
日記を書くというときに、感じる「後ろめたさ」というのは、要するに誰かに分かってもらいたい、承認してもらいたいといったことを心のどこかに隠し持っているというところから呼び起こされる感情なのかも知れません。そして、他者に喜んでもらえそうなこと、他者に受け入れられそうな厚化粧が自分の言葉の中に紛れ込んでくることに対する、やましさといつも抗がいながら、それでも書かずにはおれない。そして、こういった欲望と自制の緊張の中で、言葉というものは鍛えられていったのではないかということです。
で、ぼくは、だからといって日記を公開したり、ブログで匿名で何か言上げすることは怯懦であるとか破廉恥であるなんていうつもりはありません。
ただ、ぼくたちは自分の発している言葉がつねに、単独で孤独に耐えるということと、他者に架橋するということの間で引き裂かれているということを「後ろめたさ」という感覚で対象化していたのではないのか。そして、この対象化がないと言葉というものは、どんなに精緻に用いようが、倣岸と不遜から自由になれないのではないかと思います。
そして、そういった「後ろめたさ」が経済合理性や政治的な正当性といった当面の要請の前に閑却されるようになってから、随分とやせ細った、面白みの無いものになっていったような気がします。
なんか、言葉について言葉で語っていると、トートロジーに陥ってしまいますが、そこはひとつご容赦下さい。
自省の念も含めて、あっけらかんといい気になっている夜郎自大な言葉の使い手に、そんなんでいいのかよと言っておきたかったのです。
投稿者 uchida : 2005年05月26日 09:28
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