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2005年10月02日

アメリカの光、日本の影

■ アメリカの構造的「正しさ」について

『街場のアメリカ論』、やっと脱稿しました。
やれやれ。
ぼくはアメリカ論の専門家じゃないし、だいたいアメリカだってたこと二回しかないんです(サンフランシスコに10日、ハワイに7日)。そんな人間がアメリカ論を書いてよろしいのか、という疑問は当の本人にもあるんです。
唯一の強みは、ぼくが「自分の欲望を勘定に入れる」ということについてはずいぶん年季を積んできたということです。
ぼくのアメリカに対する感情で、ある意味きわめて日本人に典型的なしかたで「アンビバレント」なんです。「憧れ」と「嫌悪」がわかちがたく縒りあわさっている。
今日はちょっとその話をしたいと思います。
ぼくたちの世代にとってのアメリカは何よりもまず世界最強国、そして世界一豊かな国として映現しました。アメリカの音楽を聴き、アメリカ映画を見て、アメリカン・ウェイ・オブ・リビングへの素直な憧れの中でぼくたちは育ってきたわけです。
キューバ危機のときのことを覚えていますか?ニュース映画をみながら、ぼくはもちろんJFKに100%肩入れしていました。フルシチョフはどうみても「悪相」ですからね。
平川君もたぶん同じような印象を持ったんじゃないでしょうか?
第一、あのころ『少年サンデー』か『少年マガジン』で「ケネディ大統領物語」っていう伝記マンガが連載されていたんですよ!「長嶋茂雄物語」や「若乃花物語」と同じようなカテゴリーに属する少年たちのヒーローだったんですね、1962年のアメリカ大統領は。
ケネディ・コインというのもありましたね。大統領就任を祝って鋳造された記念貨幣。そんなノベルティを日本の子供たちは宝物にしていたんですよね(村上春樹もケネディ・コイン作ったペンダントをたいせつにしていたという話をエッセイに書いてました)。
そういうアメリカへの一方的な支持の気分が翳ったのは、やはりベトナム戦争が始まってからです。
ぼくたちから見ると、「どうしてアメリカがあんなひどいことを・・・」という意外感をともなった出来事だったわけですけれど、別に特に「ひどいこと」をしたわけではなくて、ずっと「ああいうこと」をやってきたんです。ぼくたちが歴史を知らなかっただけのことです。だいぶ経ってからそのことがわかりました。
考えてみたら、ぼくたちが使った歴史教科書ではアメリカ史の「暗部」はほとんど構造的に削除されていたんですから。
米西戦争でキューバやフィリピンを属国化したことも、米墨戦争でカリフォルニアを奪ったことも、アラモ砦の戦いがテキサス併合のためのマヌーヴァーだったことも、武力によるハワイ併合のことも、ウーンデッド・ニーのネイティヴの虐殺のことも、アジア人差別のことも、日系移民の強制収容のことも、アメリカの20世紀の世界戦略を理解する助けとなるような歴史的事実を知る機会がほとんどないままにベトナム戦争に遭遇したので、たぶんぼくたちは「びっくり」しちゃって、「アメリカは変わった」というようなとんちんかんな印象を抱いてしまったのだと思います。
どうして、「そういうこと」を知らないでいたのかというと、それはもちろんそんな年号は「入試に出ない」からですからね。
選抜制の教育制度の難点のひとつは「入試に出ない」ことについてはほとんど組織的に「情報として無価値である」と判定する習慣が幼児期から定着してしまうことです。
ぼくたちは「アメリカについてはあれこれ詮索立てしない方が有利である」ということをほとんど無意識的に刷り込まれてしまったのですが、ぼくたち自身はそのような刷り込みがあったこと自体意識化することがありませんでした。
そういうもんですよね。
中国史なんかだと、それこそ則天武后が後宮でどんな拷問をしたのかとか景徳鎮ではどんな釉薬を使っていたのかというようなえらくトリヴィアルなことが教科書には出ていたのに、アメリカがどうやってカリフォルニアやハワイを手に入れたかというような政治上の当然の常識については教えられなかったことを「変だ」と思うべきなのに。そう思わなかったことの方が不思議です。

■ 発狂ソリューション

こういうアメリカ史の「暗部」についての隠蔽は無意識的かつ組織的に、日本人自身の手で戦後ずっと行われていたんじゃないかと思います。
1940-50年代の敗戦国民日本人がまず求めたのは物質的な繁栄ではなくて、何よりも「倫理的な正統性」だったとぼくは思うんです。
どうしてかというと、ほかに存在理由がなかったから。
生きる目的をほとんど見失っていた敗戦国民たちは「私たちには存在する権利がある。なぜなら私たち日本人には日本人にしか果たしえない世界史的使命があるから・・・」という語形で存在の基礎づけをしようとしました(たぶん)。平和憲法というのはその倫理性の目に見えるかたちだったと思うのです。日本が世界に倫理的な意味で誇りうる唯一のことは、平和憲法の護持と「被爆国だけれど核兵器を持たない」という自制(というよりは「非力」なんですけれど)にあったのではないでしょうか。
どちらにしても日本の倫理的正統性は日本に平和憲法と非核自衛隊を同時に与えたアメリカの世界戦略の「正しさ」が担保していたわけです。アメリカの「政治的正しさ」が日本の「倫理的正しさ」を担保するという依存の構造になっていた。そういう場合に、日本人がアメリカ史におけるアメリカの政治的判断を否定的に論じることには強い心理的な抑圧がかかっていたということはなかったのでしょうか?だって、「アメリカの政治的判断はしばしば間違う」ということがわかってしまうと、「日本人がここにこうしていること(九条があって、自衛隊があって、従属国であること)の必然性」というものを基礎づけられなくなってしまいますから。
これはエゴイスティックな親に育てられた子供のアイデンティティの混乱の仕方に似ているような気がします。
親はそのつどの自分のつごうで支離滅裂なことを子供に要求します。それは「親の都合」という以外には何の理由もなくて、子供に首尾一貫した指示を与える気なんかないのだけれど、子供の側は「あれをしろ、次はこれをしろ」という親の錯綜した指示をある「隠された教育的意図」によるものだと考えて、必死に首尾一貫性を探し出そうとする。でも、結局は親の全行動を説明を包括できるようなスキームを発見できない(「子供のことをぜんぜん配慮していない」というのが親の行動についての唯一合理的な説明なんですけれど、それはつらくて意識化できないから)。そして、ゆっくり狂ってゆくわけです。
ぼくはいささか不穏当な言い方を許して頂ければ、日本人はアメリカに対して集団的に「発狂している」という考え方をしているんです。

■ 日本人はどうして英語ができないのか?

そう考えると、「どうして日本人は英語ができないか」という長年の疑問にも解答の手がかりが見えそうに思うんです。「日本人は」なんて一般論にしないで、端的に「ぼくは」と言い換えてもいいです。
ぼくが英語ができない。
「英語ができない」という言い方は不正確ですね。
読み書きに関して言えば、英語はできます。かなり、できます。リテラシーに関して言えば、たぶんアメリカ市民の平均よりも高いでしょう。
でも、話すのは苦手です。
なんていうのかな「自分の声」で話すことができないんですよ、英語だと。
英語で文章を書くと、時間はかかるけれど、それはまちがいなく「ぼくの文章」なんです。ふだん日本語で書いている感じとかなり近いものが書ける。
でも、しゃべるとだめなんだな、これが。
何て言ったらいいんでしょう。日本人の話す英語って、「等身大」じゃないでしょう?
その人の年齢や社会的立場やそれまでの人生経験や教養や美意識や世界観や・・・そういうものが全部込みでにじみ出るものですよね。語ることばというのは。でも、日本人が話す英語だとそういう「その人なりの固有性の厚み」みたいなものが出ないんです。
英語を話す人というのは「まるでアメリカ人みたいにぺらぺらしゃべる人」と「みぶりてぶりでめちゃくちゃに話す人」の二極に分化して、その中間に存在するはずの無数の「等身大」がない。いかにもその人らしい味のある英語を話す人というのがほとんどいないんです。
いてもいいと思いません?
その人の専門領域についての必要な語彙だけは備わっていて、そのエリアの話題についてなら、基礎的なことについてはきちんと語り合えるというようなプラグマティックな言語運用。ナースの英語とか、タクシー運転手の英語とか、寿司職人の英語とか、コンビニ店員の英語とか。
そういうふうにオーラル・コミュニケーションの英語力を道具的・限定的に利用するという発想がなかなか根づかない。
むしろ「誰にでも使える汎用性の高い英語」の習得が勧奨される。でも、「誰にでも使える汎用性の高い英語」はかなりのレベルに達するまで「現場」では使いものにならないものでしょう。
そういうプログラムの構築の仕方って語学力の問題じゃなくて、ある種の政治の効果ではないかとぼくは思うんです。
植民地の宗主国が植民地の人間に語学教育をしますね。コミュニケーションができないと不便だから。
でも、そのときの語学教育の中心は必ずオーラルなんです。文法や修辞学はあまり教えようとしない。
理由は簡単です。
「読み書き」をきちんと教えると、植民地原住民の中から植民者人よりもリテラシーの高い人間が出現してしまうからです。原住民の秀才の中から、宗主国出身の教師を知的に凌駕するもが出てきかねない。
知的な非対称性を維持することは権力関係の基本ですから、そのような事態は決してあってはならない。
ですから、植民地における語学教育は必ずオーラル中心になります。
宗主国からきた教師の文法の誤謬を指摘できる生徒はすぐに出現しますが、教師の発音の誤りを指摘できる生徒は原理的にありえないからです。母国語話者が語る限り、どのような発音もその国語の「コーパス」に登録される権利があります。発音に関しては母国語話者には「間違い」ということがありません。逆に母国語話者である教師は生徒の発音のうちに無限の誤謬を指摘することができます。
ですから、オーラル・コミュニケーションを語学教育の中心にすえているかぎり、宗主国民の知的優位は構造的に揺るがないのです。
どのような堂々たるコンテンツであっても、オーラルレベルにある限り、原住民が語ることばをさえぎって発音の間違いを指摘したり、「聞き取れないふり」をすることが母国語話者には許されています。
日本の英語教育は戦前までは旧制高校での集中的な語学教育に見られるように、かなりの水準のものでした。けれども、それは徹底的に「道具的」な発想に貫かれていました。
例えば、夏目漱石の英語力は驚嘆すべきもので、漱石は十代の途中で漢学を棄てて英語に転じるのですが、英語を始めてわずか数年で『方丈記』を英訳しています。
これは彼の英語学習の努力のほぼ100%がリテラシーの向上に集中されていたことを示していると思います。
もちろん大学の英語教師にはたくさんのお雇い外国人がいましたから、漱石は英会話能力も高かったはずですが、それは別に日常の用を弁ずるに足りればいいことでした。
漱石の漢詩もまたご存知のとおり、高い水準のものでした。じゃあ漱石が当時の中国人とオーラル・コミュニケーションができたかというと、たぶんできなかったと思います。そして、そのことを漱石はたぶん「語学力の不足」だとは考えていなかったはずです。必要があれば筆談すれば済むことですし、そもそも自国語の文字を解せないような中国人には彼のほうからは特段の用事がなかったから。
この「教養のない母国語話者には用がない」という「傲慢さ」が戦前までの日本の知的エリートの外国語習得の感覚には伏流していたように思います。
オーラル・コミュニケーション中心の英語教育はこの伝統を転倒しました。それは「教養のない母国語話者たち」(日本を支配しにやってきたアメリカの「有象無象」諸君)に知的威信を担保するための教育制度だったようにぼくには思われるのです。
それ以後、コミュニケーションのコンテンツは副次的で、英単語をいかに「それらしく」発音し、表情やみぶりを「それらしく」演じるかということに日本人の語学学習の関心は集中してしまいました。
たとえ非ネイティヴ・スピーカーの語るコンテンツが高度すぎて理解が及ばない場合でも、母国語話者は「わからないことを言うな」とそれを棄却することができるようになったということです。
いま漱石のような高校生が登場して、『方丈記』を英訳してみせても、ネイティヴの英語教師はあまり感心しないでしょう。そんな無駄なことをする暇があったら、ラップでも聴いて早口英語の聞き取り練習をしなさいというようなとんちんかんなことを言うかもしれない。
非ネイティヴである限り、どんな局面でも知的に劣位におかれるという政治的な構造は、半世紀かけて日本人の英語力を根本的に損なってしまったのではないかとぼくは思っています。

またも話がとんでもない方向に逸れてしまいました。
文化的相対主義の話、靖国の話。ぼくもいろいろ書きたいことがあったんです。次回にまた。

投稿者 uchida : 2005年10月02日 12:10

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