2004年04月01日
老いの意味・「物語」と「データ」
東京ファイティングキッズ
その24
内田 樹から平川克美くんへ(2004年3月26日)
■ 老いとなじむ
平川くん、その後「ウサギ目」の方はどうですか。
もう3週間経ちましたからもうそろそろ快癒されたでしょうか。
「老体病苦」に鞭打って・・・というのは壮絶ですけれども、あまり無理をしないで下さいね。
ぼくたちも知命を過ぎて幾星霜。「還暦」も間近なお年頃ですから、老いと病と死について、そろそろ気構えをしないといけないですね。
ぼくの合気道のお師匠さまである多田宏先生は「病気と共に生きる」ということをよく言われます。おそらく師匠の師匠であるところの中村天風先生から伝えられたの教えだろうと思いますけれど、ぼくはこれがとても大事なことだということにだんだん気がついてきました。
40代にはいったころ、(厄年のころですね)二度ほど大病をして、体力ががくんと落ちたことがありました。
そのとき、二十歳くらいのときのわが「絶好調」のときの心身の状態をいわば「達成すべきパーフェクトな状態」というふうに考えていて、それと比べて四十路のわが身の情けなさよ・・・というふうにかなりネガティヴな発想をしたことがあります。
でも「達成すべき健康な状態」と現状の差をマイナスカウントして、なんとかそこに「キャッチアップ」しようとがんばるっていう発想そのものが間違っているんですよね。
どう考えても、四十過ぎてから二十歳の体調を「達成すべき理想」に設定するということ自体に無理があります。
視力も衰えるし、歯もがたがたになるし、足腰のバネも利かなくなるし、お酒も弱くなるし。
それは「それ」ですよ。やっぱり。
それを「治そう」としたら、それこそサイボーグ化するしかありません。
人間の身体のシステムというのは、自然にそうなっているわけですから、老いるということは、天然自然の理にかなっていることなんです。
老いてはじめて経験できるものがあり、病んではじめてわかる愉悦があり、死が近づくことではじめて発見される美しさがある。
そういうふうに考え方を切り替えたら、なんだか気分が楽になりました。
死ぬことって、子どものときはすごく恐いじゃないですか。
小学校のころまで「死」というものは概念としてまだ把握されていないけれど、それがあるとき突然想像可能になる。
自分もいつか死ぬということを想像できるようになったとき、ものすごい恐怖を味わいました。
これはほんとうに底なしの存在論的恐怖でしたね。
当時、TVドラマの主題歌に「空の上には何があるー」というような脳天気な歌詞があったのですが、それを聴くたびに、「空の上には何があるんだろう?宇宙の果てには何があるんだろう?膨張しているという宇宙のさらに『外側』はどうなっているんだろう?そもそも宇宙の『はじまり』より前には何があったんだろう?」というようなことを考え出すので、いつもその番組が始まるとふとんをかぶって震えていました。
心臓の鼓動の「どく・どく」という音の「どく」と次の「どく」の間のインターバルが恐くて、このまま心臓が止まったらどうしよう・・・と思ったりもしました。
さっきまで「どく」の次には必ず「どく」が来ていたのですが、「さきほどまで心臓が鼓動していたことから、このあとも引き続き心臓が鼓動することを演繹することはできない」というまるでヒュームみたいな形而上学的推論をしていたわけです(子どもの哲学性はあなどれないですよね)。
そして、どうして子どもよりずっと適切に推論ができるはずの大人たちが「宇宙の果て」のことも「時間の起源や時間の終わり」のことも知らないままに、愉快そうに生きていられるのか不思議でなりませんでした。
自分が時間と空間のどこにいるのか実定的に言うことができない、という不能そのものが人間の人間性を基礎づけている、ということがわかったのは、ずっとずっと後になってからのことです。
地図というものがないとぼくたちは自分の位置を指し示すことができないわけですけれど、地図というのは本質的につねに「部分」なんですよね。(必ずはしっこが「切れている」わけですから)。
「無限の地図」というものがあったとしても、それは地図としては機能しませんよね(なにしろテーブルの上に拡げられないんだから)。
地図が地図でありうるのは、「世界には表象できない外部がある」ということ、つまり「地図に描けないものがある」ということによってです。
そしてもちろん地図がなければ、ぼくたちはさしあたり前後左右どちらに進んでいいかまるっきり分からないわけです。ですから、ぼくたちがその日その日、それなりにものごとの筋目を通しながら生きていけるというのは、ぼくたちが限定された世界に住んでおり、その世界にはぼくたちの知性や想像力をもってしてはけっして表象できない外部がある、ということがわかっているからです。
つまり、ぼくたちが何事かについて判断できるのは、その判断が「地域限定・期間限定」であるという有限性の刻印をおされている限りにおいてのことです。
なるほど。
人間は死ぬから「生きる」ということの意味やありがたみや愉悦が分かるわけです。
不老不死の存在者が仮にいたとしても、その人には死の恐怖や老いの苦しみがない代わりに、生きるということの幸福がおそらく想像もできないのでしょう。それはぼくたちが原生動物に「細胞分裂の瞬間の快感っていったら、あなた、もう筆舌に尽くしがたいですよ。きりきりきり、ぽん!なっていってもう凄いんですから」といくら説明されてもぴんとこないのと同じです。
人間が人間であるのは、人間の世界の「外側」を「知らない」からであり、「知らない」ということを「知っている」限りにおいてです。
というようなことが四十路を過ぎてからぼちぼち分かってきました。
なるほど、「そういうこと」って、若いときには分からないですよね。
若い時って、「存在する」ことが自明であって、それを植民地主義的に全宇宙に拡大しようとしているわけですからね。
「生きることには意味がない」というようなことを主張する方々だって、その主張を全世界のみなさんに傾聴してもらおうと思うとずいぶん熱心に走り回るものですからね。
死ぬということも、父の死をみとったときにずいぶん身近になりました。
死んだあとになっても、ちゃんと父は「いる」(けどいない)んですよね。
変な喩えですけれど、ドアをあけて「隣の部屋」に行ってしまったような感じなんです。
たしかに「隣の部屋」に父の気配がする。
でも、「こっちの部屋」と「隣の部屋」のあいだの行き来はぼくが死なないとできない。
子どもの時は「隣の部屋」があるということさえ想像もつかなかったけれど、いまはなんとなくそのリアリティ(というのもへんですけど)が分かるんです。
すると「はやく『隣の部屋』に行ってみたいなあ」(父にもまた会えるし)というような変なことを考えます。
「死ぬ」というのがどういうことかはぼくが「死ぬ」と必ず分かるわけです。それまでは分からない。
でもすべての人は必ずは死の実相に触れることができるというわけでもなさそうです。
「死んだら全部おしまい」と思っている人は、たぶん死んだあとに「全部おしまい」になってしまうんじゃないかな。
ぼくは死んだ後に「隣の部屋」でまたいろいろなことが起こるんじゃないかなと思っています。
そう考えると、なんだかわくわくします。
死んだときに「ちゃんと死ねる」ように、生きているうちから死の準備をいろいろしておくことが大切だなと思うようになりました(それはべつに遺書を書いておくとか、日記を焼くとか、そういうことじゃないです)。
こういうふうな思考のシフト(存在することを世界に充満させる志向から、「存在するとは別の仕方で」へ)が老いということのたいせつな機能じゃないかしらといまは思います。
こういうことを二十歳やそこらのひとに「理解しろ」といってもなかなかたいへんです。
こういうことが「なんとなく分かってくる」というのが老いの手柄というものではないでしょうか。
そういう意味で、21世紀のいま、「老いるためのノウハウ」を文明のたいせつな基礎に組み込んでいる社会って、すごく少ないなあと思います。
現代の日本もアメリカもけっこう「病んでいる」というのは平川くんとぼくの共通の見解であって、それがどういう社会構造や社会理念から由来するのかについて、これまでいろいろ書いてきたわけですけれども、アメリカが「老い」ということ(そして「病」も)を「価値」にカウントするような度量衡を持っていない、ということもけっこう重要なポイントじゃないでしょうか。
それは「アメリカは病んでいるから健康になれ」ということではぜんぜんなくて(そういう発想そのものがアメリカン・グローバリズムに代表される「無時間モデル」の病症なわけですから)、どこの国のどこの社会もそれぞれの仕方で病んでいたり、老いていたり、幼児的であったりするわけで、そういうことはそうなるに至った文脈があり、歴史的前段があるわけですから、いますぐどうこうしろと言っても無理なんです。
だから、それを受け容れた上で、それぞれに身に振り方を考えればよいと思うのです。病んだ国は病んでいることを自覚して、おとなしくベッドで養生していればよいし、死にかかった国はどういう遺産を次世代に残せるのか考えればいいし、幼い国はどうやったらもう少し大人になれるか考えればいいわけで、そういうことは一律にはゆきません。
■ データの時代
ちょうど一昨日兄ちゃんが関西に来たので、少しおしゃべりする時間があったのですが、そのときに興味深い話を聞きました。
最近、兄ちゃんの会社で新入社員の募集をしました。
募集1名のところに100名近くのアプライがあったそうですが、条件に「英語に堪能なこと」を出したので、TOEFL850−950点クラスの人たちがわさわさと応募してきて、とても100名に面接する時間がないので、年齢とTOEFLの点数で「足切り」をし8名に絞ったそうです。
その採用の顛末なのですが、残ったほとんどがアメリカの大学を卒業して、外資系で働いた経験のある20−30代で、この人たちにふたつの作文を課しました。ひとつは日本語での自由作文で一つは英語でのビジネスレター(メーカーから納品された品物に欠陥があったので、それを引き取って欲しいという依頼の手紙)。
兄ちゃんが驚いたのは、この「アメリカ人のように英語をしゃべる」若者たちの書く日本語の作文が文章力も内容も「小学生程度」のものだったこととビジネスレターでは相手を「叱責、糾弾」する口調をごく自然に採用していたことだした。
結局採用されたのは、英語の成績はそれほどよくなかったけれど、メーカーの担当者の立場を配慮して、たいへんていねいでフレンドリーなビジネスレターを書いた女性だったということです。
「アメリカで教育を受けた日本人はどうして、『命令、叱責、要求』の口調がビジネスの語法だと思い込んでしまうんだろう?アメリカ人だって誰だって、ミスについて他居丈高に糾弾されるより、フレンドリーに気づかわれる方がビジネス・パートナーとして気分がいいことは変わらないはずなのに・・・」
アメリカの経営学部とかビジネススクールというところでは、長期的には利益をもたらす可能性があるが、デジタルな計量のむずかしい人間的要素については、あまり気にすることはないよ、というふうに教えているのでしょうか。
短期的な利益ばかりを配慮して、ビジネス・コミュニケーションにおける人間的な要素を軽視するビジネスマンは、当のビジネスにもあまりぱっとした成功を収めないような気がするんですけれどね(現に兄ちゃんの会社の面接をみんな落ちちゃったし)。
ぼくが興味深く思ったのは、実はもう一つのことで、TOEFL,TOEIC といった英語力の検定試験が求職者の間で、ほとんど「必修」化していることでした。
これはいったい、どういうことなのでしょう。
これは「資格志向」全体について言えることですけれど、若い人たちがこういうデジタルに表示された資格や成績にこだわる最大の理由は、「人事考課が機能しなくなっている」ということではないかと私は思います。
だって、そうでしょ?
もし、会社や組織の上司が部下の能力を適切に把握していて「あ、ヤマダくんはできるね。目配りがいいわ」とか「あのスズキつうのはあかんな。あれは使えん」ということについて暗黙の合意ができている場合は、学歴やら資格やら点数やらはもとより不要のものです。
しかし当今の使用者たちはそのような人間能力の総合的な判定能力がかなり低下してきているのではないでしょうか。
ですから、「ヤマダはスズキより優秀である」という考課を上司が行った場合の説明責任を求められたときに、それを語ることができない。
でもたとえばヤマダがスズキのもっていない資格をもっているとか検定の点数がスズキより上であるとかいう「誰が眼にも明らか」なデータが示される場合は説明が楽になります。
逆に、学歴も資格も検定もスズキに劣るヤマダを「でも、仕事はできる」というふうに考課することがいまどきの上司たちにはだんだんできなくなっているのではないでしょうか。
学生たちを見ていると、とにかく「資格、資格」と奔走しています。
もちろん、ぼくたちが学生のころ、在学中に資格をとりたがる人間なんかあまりいませんでした(せいぜい運転免許か司法試験くらいです)。
それだけ世の中の考課システムがデジタル化してきたということではないんでしょうか。
それは若い医者たちが問診で患者の健康状態や遺伝疾患やパーソナルヒストリーを聞き出す能力が落ちてしまったために、やむなく検査漬けにしてデジタルデータを欲しがるのと、よく似ているように思います。
誰にでも分かる数値を人間的指標に取ることが推奨される時代というのは、人間の「中身」についての判定(それは久しく、「その場にいる全員にとっての暗黙の了解」でした)が怪しくなってきた時代だということではないのかと思います。
これまで人間についての判断を可能にしてきたのは「データ」ではなく、むしろ「逸話」でしょう。
だからぼくたちは自分たちがうまくそれについて判断することのできない経験については、長い物語をひとつ語ることで、さまざまな意味の欠落や不可解さや謎を「込み」で、わけのわからない経験の「わけのわからなさ」を毀損することなく保存する方法を探ってきたのではないかと思います。
平川くんは期せずして「世界と物語」について書いていますけれど、「データ」の時代というのは、実は「物語」が死に瀕している時代なのかもしれません。
「物語」というのもたしかに「情報」のある種の保存・伝達の方法であることはたしかなのですけれども、非常に複雑な情報を扱うことができます。
「物語」の厚みの違いによって、あるいは読み手の「読み込み」の深さに応じて、そこから汲み出すことができる情報の量も質も大きく変化しますから。
読み手は「物語」の書き手が書き込んだことを読み落とすこともありますし、逆に書き手が書いたつもりのないことを読み込むこともあります。
すぐれた「物語」とそうでない「物語」の違いは、そこからどれくらい多くのものを読み出せるか、その「開放性」の差にあるように思います。
一方、「データ」には厚みも深さもありません。そんなものあっては困ります。誰がどういうふうに読んでもいつでも同じ情報を伝えること、それが「データ」の条件ですから。
ぼくたちの時代は、ひとびとが人間について「物語」を語るのを止めて、「データ」を提示するのようになってきたような気がします。
「老い」の意味を語る文化的リソースが欠如しているということ、「物語」から「データ」へ情報媒体が移行しつつあること、これがあるいはぼくたちの時代のもっとも深刻な病徴のような気がします。
ぼくは先日胃痙攣を起こしたときにドアの角(かどこか)におでこをぶつけて、左目が腫れ上がったままです。
どうもふたりとも眼にダメージが続きますね。
お大事に!
ではまた
投稿者 uchida : 2004年04月01日 12:16
コメント
コメントしてください
サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)