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2004年04月07日

英語の話をちょっとしてもいいですか?

その26

内田 樹から平川克美くんへ(2004年4月7日)

英語についてちょっと話していいですか?

ぼくも英会話やフランス語会話を語学学校で習った経験があるのでよく分かりますけれど、いまの日本で外国語を学ぶというのは、基本的に「話せるようになる」ということだけが目的ですよね。
とりあえず英語のテクストを「読める」ということには二次的な関心しかないし、まして「英語を書く」ということはもうほとんど配慮されていません。

ぼくは「話す・聞く」に特化するということ、そのこと自体は悪くないと思うんです。
コミュニケーションの本義のひとつは、「メッセージの受け渡しが行われている」という事実そのものを相互に確認することにあるわけですから。
「ぺら」「おー、ぺらぺら」「わはは、ぺらぺら」「おー、りありい、ぺら」「はは、えぐざくとりー、ぺらぺら」
というふうにぺらぺらと持続的に時間が埋められると人間は「コミュニケーションが成立している。私は他者からその存在を認知されている」という実感がもてます。

これはローマン・ヤコブソンが「交話的コミュニケーション」と名づけたものですけれども、要するに「コンタクトが成立していることを確認するためのコミュニケーション」のことです。電話の「もしもし」といっしょですね。
「もしもし」「はい、もしもし」「あ、もしもし」「ども、もしもし」・・・というふうに永遠に続けてもぜんぜん構わないわけで、ある意味ではこれこそがコミュニケーションの起源的形態(「言葉の贈り物」)であると言ってよいわけです。
コミュニケーションにおいては起源的には、「コンテンツ」よりも「コンタクト」の方が一次的なできごとである、というのはある意味では洞見だと思うのです。(なつかしのマクルーハンですね。Medium is a message)

しかし、いまの日本の英語教育(学校教育も「駅前留学」も含めて)がそこまでわかった上でやっているのかどうかぼくは疑問です。

というのは、交話的コミュニケーションから「出発」して、コミュニケーションが進化したという以上、その起源的形態にはやはりその限界があるからです。
それは交話的コミュニケーションの究極のかたちは「沈黙」だということです。

だって、そうですよね。相手がそこにいて、自分がここにいて、相手に触れられ、自分も触れているというしかたで「自分の存在を他者を経由して認知する」いちばんたしかな方法のひとつはぎうと抱き合って離れないことですからね。

ご存じかもしれないけれど、外国語学校の講師と生徒ってわりとすぐ「できちゃう」んですよね。
これはべつにそういうところに特に性的活動が活発な方々がお集まりになっているということではなくて、「話す・聞く」のコミュニケーションを追究してゆくと、どこかの段階でこれって、要するに「ぎう」なんじゃんと思い至るわけです。

まあ、平川くんもご経験があると思うけれど、こちらがたどたどしい英語でしゃべっているときに、ちょっときれいな女性講師がしんぼうつよく耳を傾けて、うなずいて、ちゃんとした英語にパラフレーズしてくれると「あ、恋しちゃいそう・・・」って思うじゃないですか(そんなのぼくだけかな)。

まあ、とにかく「ゆっくり、しかし正確な英語をしゃべる日本人」と「訴えるような眼をして、でたらめ英語を必死にしゃべる日本人」とどちらがアングロフォンからしてlovable であるかは問うまでもありません。

そもそも交話的コミュニケーションというのは本質的にエロス的なものなんだから、まあ、それはそれで悪くないと思うんです。

ただ、コミュニケーションというのはエロス的であればいいというものでもありませんよね。
ある程度以上複雑なメッセージは「ぎう」だけでは伝わりません。
そして、人間社会が成立するためには、ある程度以上の複雑さや抽象性を表象する能力がやはり必要です。

ぼくが日本の外国語教育に対して抱いている不満は、この「ある程度以上の複雑さや抽象性を表象する」ことの重要性を教育の現場でも、巷に闊歩する「英語使い」たちも、あまり痛切に感じているように見えないということです。

ぼくは戦前の日本を知らないのでこの比較はspeculative ですけれど、遣唐使以来日本社会における外国語教育の目的は、圧倒的に「コンテンツ重視」的だったんじゃないかと思います。
遣唐使の時代に「外国語を話すひととオーラル・コミュニケーションする機会」なんて、ほとんどゼロですからね。

近世に至っても、ジョン万次郎が幕府の通詞になったときに「ちゃんと英語をしゃべれる日本人」て彼しかいなかったんですから。
それでも外交の用を弁ずることができたのは、外国語のテクストを読めるひとは洋学塾にたくさんいたからです。

これは漢学以来の伝統だと思います。北京官話を話せる人なんて、幕末にもほとんどいなかったと思いますけれど、漢文を書き、漢詩を詠ずるひとはやまのようにいたわけです。
中江兆民はフランス語で書かれたルソーの『社会契約論』を『民約論』に漢訳し、中国の知識人たちは兆民訳のルソーを読んで辛亥革命のイデオロギー的基礎づけを行ったのですから。

でも、いまの日本にぺらぺら英語を話すひとたくさんいますけれど、果たして英語で詩を書くことを趣味にしている英詩人というものが存在するでしょうか?その人の手になる英訳が出ることを英語話者たちが待望しているような日本人の「英語使い」がいるでしょうか?

そういう意味では、「外国語使い」の数は明治と現代を比べたら、比較にならないくらい増えているわけですけれども、その質はずいぶんと落ちていると思います。

こういう文脈で兆民とか漱石とか有名人の名前を出すのは、ちょっと気が引けるんですけれど、二松学舎でずっと漢文を習っていた夏目漱石が英語に趣旨替えして最初にやってみたのは『方丈記』の英訳です。今読んでもすばらしい訳だそうです。それが漱石15歳くらいのときの話。
これは漱石が天才だから、というだけでは説明ができません。
そういう外国語の勉強の仕方というのがあったのです。
これだけ英語のできる漱石が、それでもロンドンで対人恐怖で神経衰弱になったのは、たぶん彼がオーラル・コミュニケーションによる「コンタクト」ということについてはまったく訓練を積んでいなかったからではないでしょうか。

外国語の学び方は、そんなふうにして明治から敗戦までの80年間と戦後60年間では、がらりと変わったんじゃないかと思います。
そして、その変化はほぼそのまま日本の国際社会に対する構えの違いを映し出しているような気がするのです。

それまで「コンテンツ」優先、「テクスト」優先であった外国語教育一変したのはもちろん敗戦と、アメリカ軍による占領です。

占領軍が被占領国の国民に求めるコミュニケーション・マナーがどういうものであるかは分かりますよね。
占領軍の考えを「理解させる」ことではありません。
被占領国の国民は、べつにGHQの政策決定プロセスやその背後にあるアメリカの世界戦略や国内政局なんか「理解」しなくいいんです。
必要なのは「理解」じゃなくて「恭順」なんですから。
日本人が求められたのは、I understand じゃなくて、Yes,sir. No excuse, sir.ということばです。
必要なのは「理解」ではなく、「『理解』に先立つ、『諾』の返答」なんですから。

この「理解に先立って、『オー、イエース』と微笑む」という「被占領国民」のメンタリティがそれからあと60年間の日本の外国語教育にずっと影を落としてきたんじゃないかとぼくは思います。
それが英語(に限らず外国語一般)の教育目標が「コンテンツを理解すること」から「フレンドリーなコンタクトを保つこと」に移った、とぼくは考えています。

さきにも述べたように、ぼくはそれを間違っているとは思いません。それはある意味でまことに「正しい」コミュニケーションのあり方なのです。

明治の日本人が外国語を「コンテンツ」中心に読み書きしたのは、「富国強兵」「欧米列強へのキャッチアップ」という必至の国家的課題があったからです(そして、その結果が45年の敗戦です)。
おそらくはそのことへの反省も含めて、戦後の日本人が外国語を「コンタクト」中心に聞き話すようになったのだと思います。それは同時に「アメリカへの恭順」という死活的に重要な国策に合致する教育方法でもありました。
こういうことについて、あとから「いい悪い」を言っても始まりません。そういうふうになったね、というだけのことです。

ぼくが言いたいのは、外国語を「交話的」な仕方でだけ使っていると、ある程度以上複雑な概念や相手の語彙に存在しない概念を表象することはできないよ、ということです。
いまの日本の学校でやっているような種類の外国語教育では、100年やっても、『社会契約論』を漢訳できる人も、『方丈記』を英訳できる人も生まれてこないし、むしろそんな可能性をもった子どもを構造的に排除するだけだろうとと思います。

だから、どうする?といわれても、ぼくに名案があるわけではありません。
でも、平川くんの指摘するような「アメリカン・グローバリズムに洗脳されて思考停止に陥っている日本人」というのはいまの日本社会のシステムそのものが構造的に生み出しているものだと思いますから、このシステムをもうちょっと何とかしないとまずいンじゃんないかと思います。

ただ、なんというか、これほどまでにアメリカ一辺倒に「なれる」というのも一種の国民的才能かな、とも思うんです。

いまの日本の外交の基本的なメンタリティって、意外なことに「任侠道」なんですよね。
ブッシュ親分に、「何も言わずに死んでくれ」と言われて、黙って長脇差を手に死地に乗り込んでゆく代貸純一郎・・・というふうに日本の首相はセルフイメージしているんじゃないかなとぼくは想像しているのです。
彼がその政治判断のたびかさなる失敗にもかかわらず高い支持率を得ているのは、このメンタリティがどこかで日本人の心性の琴線に触れているからじゃないでしょうか?

これを平川くんは「思考停止」というふうにとらえているわけですけれど、思考が停止しているときにそれでもなお活発に活動しているものはあります(何がが作動していないと、さすがに人間は生きていけませんからね)。
アメリカさんが「白いと言えば、カラスも白い」という「丸飲み」が可能であるのは、情緒的には「そういうのって、あるよね」ということにひそやかな国民的合意があるからかも知れません。
もしそうだとすると、この「アメリカン・グローバリズムへの常軌を逸したほどの譲歩」がある日手のひらを返すように「ええい、もう我慢ならねえ」と猛然たる反米感情に転ずる可能性はあります(『総長賭博』のラストみたいにね)。

なんだか、それも困りますし。
ああ、悩みは深いです。
長くなりましたので、禁煙の話と稲の話(どちらも面白い話でいろいろ書きたいことはあるんですけれど)については次回。

ではでは

投稿者 uchida : 2004年04月07日 11:39

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