東京ファイティングキッズ
その23
平川克美くんから内田 樹へ(2004年3月7日)
■ ウサギ目になる
アメリカから帰って、大阪、長野と野うさぎのように飛び歩いていたら、目の周りに何かごろごろ異物感。そのうち、朝起きたらまぶたが目やにでくっついてしまうほどになり、本当にウサギ目になってしまいました。で病院に駆け込むと急性結膜炎との診断。俗にいうはやり目というやつです。目病みおんなは粋ですが、目病みおとこは傍目にもただうっとうしいだけの存在のようで、社員たちも警戒しながら遠巻きにやさしい言葉をかけてくれます。
たぶん、免疫力が極端に落ちていたんだろうな。以前帯状疱疹に罹ったときもこんな感じでた。
独眼流がこんなに厳しいものだとは、患ってみないと分からない実感です。
長野では、経営者たちが集まって勉強会。渋温泉の「金具屋」という伝統の宿を会場にしましたので、温泉三昧、極楽気分となるはずだったんですが、片目が利かないというそれだけの理由で、鬱々として楽しめません。
豪華な料理もおいしくない。絶景の露天風呂も気持ちよくなれない。体温調節もままならず風邪もひいてしまい、鼻もぐじゅぐじゅ、そのうち宿?(しゅくあが変換されないなぁ)の腰痛まで出てきて往生しています。
さらに、もう片方の目にも伝染し、いまや両眼ともにウサギ目状態。
生きた心地なし。赤目をしばしばさせながら、腰を折ってよろよろと出勤するも、視界がかすんで書類を読むのもままならず、瞑目、ため息。
まったく、人間は自分の体を支えるというそのことだけでも大変な仕事をしているのだといまさらながら、実感しています。(ぐじゅ)
「うつすと顰蹙をかいますよ」とは銀座の眼科医の弁。
ぼくだって、うつしたくはないが、このまま蟄居しているわけにはいかない。
そんなわけで、老体病苦に鞭打ってやっとこさコンピュータに向かっています。
■ 勝利のトラウマ
《アメリカは「合衆国」でも「合州国」でもなく、アメリカ人自身の理解としては、「アメリカ諸国連合」ではないでしょうか?
ですから、アメリカはいながらにしてすでに「国際社会」であり、アメリカ人であることはすでにして「国際人」であり、英語はすでにして「国際語」であるということになります。 だから、アメリカ人は「国際社会」のさらに外側にある「国際社会」というものを想像するのに困難を覚えるということではないのでしょうか? 》
ウチダくんのこのアイデアは、言われてみればすぐに思いつきそうだけど、これまでだれも指摘していないんじゃないかな。。そしてかなり正確にアメリカ庶民のメンタリティを写しているように思えます。なるほど、アメリカは国際社会の縮図なんだ。
そういえば、ケリーがノーモアブッシュの演説の中で、ブッシュをテキサスへ「返せ」と言っているのも、この「諸国連合」の感覚なのかと納得しました。この場合、テキサスはアメリカという観念的国境の外にある辺境国となるわけです。
では、その諸国連合アメリカをひとつの国として統合している国家幻想は何なのかということが問題になります。
つまり、アメリカにはひとつの民族、宗教、文化といったものに基礎づけられるようなナショナリズムの根っこを捜そうとしてもなかなか見つからないのです。
いま、佐高信の「石原莞爾」を読んでいるのですが、その中に奉天図書館長だった、衛藤利夫が満州建国に際する在満法人のメンタリティとニューイングランド建設に就いたピューリタンを比較して述べた次の弁論が紹介されています。
「私は新国家のイデオロギーを聞いていくにつれて、その夢のやうな憧れの足りないことを甚だ遺憾とする。その当時ペンシルヴァニアを開いた時の彼らの日記を開いて見ましても、彼らが明日のアメリカに対して如何に真摯な理想主義をもっていたかがわかる。」
確かに、ピルグリムファーザースから始まるイギリスをはじめとするヨーロッパからの入植者は、理想郷の夢に向かってインデアンと戦い、入植者同士で戦い、本国と戦いながら、ひとつの異民族協栄圏に向かって進んでゆきました。
日本もまた、五族協和のスローガンの下、満州に大東亜圏のベースとなる建国をしようとしたことがあったことが、今更ながら思い起こされます。
ただひとつ決定的に違うのは、満州国建国の理念には、必ず「天皇の御稜威(みいつ)」を大東亜にしらしめるという大義があったということです。勿論この大義は先住アジア人にとっては、何の根拠も無い大義の押し付け以外の何ものでもなかったわけですが。
ピューリンタン達も、「王道楽土」建設の夢を胸に抱いて、ニューイングランドに就いたのでしょうか。
それとも、分離派への宗教弾圧に耐えかねた「逃れの町」の建設だったのでしょうか、また、後続した人々の胸には日本の満蒙開拓団のような新天地への希望が去来していたのでしょうか、あるいは金銀財宝、一攫千金の欲望が充満していたのでしょうか。
北米大陸の場合、カナダの西岸フローレンス川からはフランス人たちが入植し、インデアンたちとの連合軍で、ニューイングランドのイギリス人達とフレンチインデアン戦争を繰り広げるわけですから、アメリカ建国の理想というものもピューリタンサイドからだけ見ていたのではわからないわけですね。
個人のレベルまで降りてゆけば、宗教家、貿易商、農夫、ペテン師、冒険家、ネイティブインディアン、スペイン人、ポルトガル人、ドイツ人、アフリカンと、それぞれに個人の名前を冠した無数の小さな物語があった訳です。
おそらく、彼らに去来しただろう理想と欲望が未分化なまま巨大なエネルギーをつくっていたのが、17-18世紀の世界だったといえるのかもしれません。
昨今の新帝国主義といわれる米国の行動を見ると、アメリカという「理想郷」を建設したという大きな物語としての「成功体験」こそが、アメリカをアメリカたらしめている「幻想」なのではないかと思えてきます。建国の歴史を遡っていっても、そこにあるのは先住民族とイギリス、フランス、そして先行したスペイン、ポルトガルとの利権の獲得競争しか見えてこないのです。
この利権獲得競争に勝利したという事実こそが今のアメリカのメンタリティに底流しているのかも知れません。アメリカには「勝利」のトラウマが刻印されているというわけです。そこに旧秩序からの解放という大義を付け加えてもいい。
そして理あって戦うのではなく、勝利には理ありとする「勝者有理」のイメージが一人歩きします。
案外このメンタリティは、現在のアメリカ社会の価値観を構成しているのかもしれません。ビジネスでも、文化でも実にあっけらかんと勝者をたたえることに躊躇しません。
逆説的な話になりますが、グローバリズムとは、経済としてみれば市場主義の世界的な席巻であり、イデオロギーとしては冷戦以降の高度資本主義の勝利であるわけです。そして、このグローバリズムとユニラテラリズムが結びついたアメリカングローバリズムこそが、現在のアメリカのナショナリズムになっているように見えます。まさに、グローバリズムがナショナリズムになるという逆説です。
卑俗な例えですが、読売ジャイアンツが「常勝」というオブリゲーションを背負い、人事、戦略、戦術のすべてがこの「常勝」というオブリゲーションに呪縛されているということと、似ているといえるかもしれません。(あんまりな比喩ですが。申し訳ないす)
そして、「勝者」は自らの倫理や規範でプロ野球界を強化、訓致してゆくミッションをもっているという球界盟主論はまさに世界警察アメリカのカリカチュアのように見えます。
これとは対称的な考え方を、もうひとつ卑俗な野球の例から拾ってみます。
パンチ佐藤くんが仰木采配について非常に興味深い逸話をラジオで紹介していました。
仰木監督は就任の挨拶で、これまでのどんな監督とも違った妙なことを言い出します。
「ゲームってのは、勝ったり負けたり、負けたり勝ったり、勝ったり、勝ったり、負けたり、負けたりでいいんだよ。」
選手たちは最初、この監督は何を言いたいのか分からなかったそうですが、妙な安堵感と自分がやるべきことを淡々とやっていればよいのだなと納得していったといいます。勝負師仰木は、選手たちを勝ち負けという桎梏から解放し、居つかず、こだわらず、白球に向かうという身体性に立ち戻ろうとしたのかもしれません。
話がまたあらぬ方向へ行きそうですが、この仰木監督の言葉は、あのおっさんならいかにも言いそうだなと思わせることもあって、ぼく自身もまた、ひとりの選手のように聞き入るほどに、妙な説得力があったのです。
■ あえて脱線
いろいろと書いてきましたが、アメリカについてはなんだかよくわからないというのが、正直なところです。身も蓋も無い話ですが、このわからなさこそが、アメリカの特徴なのかもしれません。ただ確かなことは、歴史に登場する人間の一人一人にまで降りていったとき、そこにはそれぞれの小さな物語があり、そういった物語はひとつの歴史性として抽出される他はないのだということです。
何か、小林秀雄みたいで気が引けますが、小さなエピソードを積み重ねてゆくよりほかに、過去というものに「触れる」ことはできそうにないということだけは、確からしく思えます。迂遠なやり方かもしれませんが、ひとつひとつの物語にこちらの想像力を重ね合わせる以外の方法では、見えてこないものがあるということですね。
村上春樹がアンダーグラウンドで試みた方法にも通じることかもしれません。
歴史を学ぶということにはいろいろな意味があると思いますが、ぼくの興味は小さな物語の淘汰の結果としてあらわれる大きな物語というものをどの様にして解体してゆくのかということにつきるといってもいいと思っています。
大きな物語とはまさに、ウチダくんがフーコーの説明に援用した「いま」「ここ」ということであるのは言うまでもありません。
こんなことを書いたので、どうしても書いておきたいことがまたひとつ浮かんできてしまいました。
ウチダくんはすでにご存知かもしれませんが、姜信子という若い在日韓国人作家が書いた「追放の高麗人(コリョサラム)」という作品についてです。この作品は、つい最近まで歴史から抹殺された中央アジアに住む高麗人についての記録というものなのですが、何よりもこちらの胸をついてくるのはかれらがくちづさむ「天然の美」という音楽が、喚起する放浪のイメージです。
ジンタ、あるいはサーカスのメロディーとしておなじみの「天然の美」は1902年、佐世保の成徳女学校の生徒のためにつくられた歌だそうですが、日本では都市の底辺にさまよう貧しき人々、故郷喪失者、辺境の民の歌としての響きをもった哀愁をもった歌として歌い継がれてきました。ぼくたちは、チンドン屋がチープなメロディーを奏でながら未だ近代化していない裏町をゆらゆら行進している風景を覚えている最後の世代かもしれません。
この「天然の美」がいまも、ウズベキスタン、カザフスタン、ダジキスタンといった中央アジアに暮らす朝鮮系の人々によって歌い継がれているというのです。朝鮮の言葉でこの歌のタイトルは「故国山川」。かれらは、この歌の出自が日本であることを知りません。1930年以前にロシア沿海州へ流れ込んだ高麗人たちはスターリンによって極東から中央アジアへと追放されます。理由は日本のスパイになる恐れがあるということでした。以後、40数万人ともいわれる高麗人たちは故国から遥かに離れた中央アジアの地で、歴史からも抹殺された形で、生き抜いてきたそうです。
ペレストレイカ以前のソ連では、追放の記憶そのものが「なかったこと」にされてきたというのです。
姜信子はこの追放された高麗人を、故国山川の歌に呼ばれて尋ねてゆくという物語の冒頭に印象的な一行を記しました。
「過ぎ去ったばかりの二十世紀の百年間、私たちが取り込まれ慣れ親しんできた「世界/物語」の辺境で、ひっそりと生きてきた”百年の旅人”とのであいがもたらした物語」
「世界/物語」と姜信子は書いています。この物語には大きな欠落したページがあるということです。
このページを埋めようとする若い作家の知性に拍手を送らないわけにはいきませんでした。
おっと、話がアメリカ論からユーラシアの高麗人にまで飛んでいってしまいました。
まあ、ウサギ目に免じて許してやっておくんなさい。
では。