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その3

平川克美から内田樹へ(2003年9月23日)

 

■再び「記憶」

ハワイだったそうですね。 沢木耕太郎によれば世界中を旅して回った高倉健が究極のデスティネーションとして香港とハワイを挙げたそうですが、ハワイには確かに旅行雑誌やテレビが伝えるのとは違うエスニックな良さがあるね。ビーチボーイズのアメリカとプリンスイアウケアのポリネシアのミックスが他の何処にも無い「島」の芳香を作り上げているんでしょうか。

7月ごろ兄上とお会いしたときに、「9月にタツルとハワイに行くんだけどいっしょに行かない?」と誘われていました。残念ながらぼくは都合がつかず、その代わりに「ハリケンハッチのオートバイ」(って、昔好きだった石原吉郎ですが)にまたがって土日のたんびにあちこちの温泉めぐりをしています。

50歳を過ぎてのバイクは予想外に面白くて、何のけれんも無くただただ、エンジンの軋む音と風の匂いを楽しんでいます。久しぶりに企画したバイクツーリングでは、20年前には余り感じなかった感覚を発見するという楽しみが加わりました。急カーブを攻めてゆくときにまず頭の中で車体の傾斜と速度をイメージします。このときぼくは少し背後上空から俯瞰するというイメージポジションをとっています。これ、確かきみも書いていましたね。そしてイメージと現実が重なったりズレたりしながらオートバイはコーナーに入っていきます、、、。

さて、ラカンの「前未来形で語られる過去」については読んでいないので良くわかりませんが、内田君の言わんとしていることは、ぼくの中ではこうなります。

過去ー現在ー未来はリニアでシリアルなものではなく、つまりは現在から過去や未来を説明するのではなく、その逆で過去も未来も現在を説明するための選択的な時間に過ぎないということですね。

「現在」とは列車の車窓に映る風景のように、とらえることのできない「不在」の時間です。それは欠損によってしか語ることのできないものであり、ぼくたちは、過去に存在していたことや未来に存在するであろうことによってのみ、現在を欠損的に構成することができるわけですね。

ところで、「過去」について語るということは、すべて、「現在」に対してある意味を付加しようとする意図(それが意識的であれ、無意識的なものであれ)を含んでいます。

そして、その意図は図らずも過去を語る当人の無意識の欲望を浮き上がらせます。

これは、その語り口がパフォーマティブ(行為遂行的)であるかコンスタンティブ(事実確認的)であるかに関係なく当てはまります。

これをぼくは「記憶の2段階効果」と呼んでいます。(今考えたんだけど)

いや、これは内田君の専門領域ですので釈迦に説法でしたね。

たとえば、よき思い出がたくさんあったのでぼくたちは良好な関係になったのではなく、関係が良好であるためによき思い出を事後的に大量動員することができるということですね。その逆もまた真で、いやな思い出だけをかき集めて不断にルサンチマンを募らせている人もいる訳です。また、ある記憶を選ぶということは同時に他のすべての記憶を排除することを意味します。そしてその排除の仕方には本人の無意識の欲望(思い出したくない過去とは、まさにそのひとが隠したい現在のなにかなのでしょう。)

これが南京で殺戮があったかなかったかというような集団的な過去の編集ということになったとしても、事情は同じなことは、内田君がすでに歴史教科書について書籍でわかりやすく解説しているところです。

ぼくは、ぼくたちが選択的に選び取ってきた過去ではなく、非選択的に排除した、ありえたかも知れない「過去」こそがぼくたちの欲望が潜んでいる場所であることを説明したいんだけど、ちょっと話が長くなりそうなので、これについては内田説の助けを借りながらおいおい考えてゆきたいと思います。

いずれにせよ、これから大量に動員されるであろう過去のエピソードそれ自体には、たいした意味は無いということ。それを過去のデータベースから取り出してくる手つきや身振り、言葉使いの方にぼくたちの意図があり、それはまさにいま「現在」の問題であることは確認しておいていいんじゃないかと思います。

 

■再び「消費」

 

>それを平川くんは「飢餓感」や「消費」というキータームで語ろうとしているようですが、ぼくにはまだそれらの術語の含意がよく見えてこないので、その論理展開はこのあとの楽しみにしています。

いや、ほんとうは「消費」なんてゆうポストモダンな言葉ではないことばを発明したいというのが、このメール書簡のひとつの目的じゃないかと思っているのです。

消費とか表層といった言葉で現在を語るなら大澤真幸さんや東浩紀さんたちがもっとうまくやるだろうと思うけど、なんか現在の問題は、もう少し抽象度の低いタームで語らないとうまく伝わらないんじゃないかと思っているのです。

ぼくが言いたいのは、ぼくたちの中には、「欠如」とか「過剰」によってしか語ることのできない心の状態があって、「あるべき充足」がア・プリオリにあるわけではないということです。この場合、飢餓感=欠如で、消費は過剰とニアリーイコールなわけで、このズレの感覚は信じていいんじゃないかと思っていたし、簡単には手放すわけにはいきませんぜということだったんじゃないか。

アントン・チエホフが「胃が悪いということは、他の器官が健康であることをしめしている。」とかいう意味のことを言っているのを思い出します。

ぼくたちの「こうあるべきだという当為の言葉」に対する異常なまでの反発は、それが信ずるに足りないものであることを直感していたからじゃないかと思います。

ぼくたちにとって切実だったのは、サラリーマンになることでも、会社をつくることでもなくて、ぼくたちに「何ができるか」を知るよりも、「何ができないか」を知るということの方がおもしろそーだという直感が働いたと思います。目の前に差し出されているご馳走よりも、どこかに隠れている門外不出の料理の方がアトラクティブに決まっているもんね。

>「貧しさ」が消えたということは、言い換えれば、「衣食足りる」ということのありがたさが忘れられ、同時に「額に汗して働く」ことでそれ自体がある種の「崇高性」のオーラを失ったということでもあります。

確かに、「額に汗して働く」ということが、「崇高」であると信じられた時代があり、「労働」が倫理性を帯びていたカルビニズムが説得力を持っていた時代が産業資本主義に前後して、急速に消費中心の価値観が浮上してきたかのように見えます。しかし、60年代、70年代を通してこの「崇高性」のオーラが減衰し、それに代わって「消費」社会が浮上してくるというようなトレードオフはすこし、違うんじゃないかという気がします。ぼくの体感では60年代から90年代前半までは濃淡の差はあっても、「崇高」なものがあると信じられていたように思えるのです。

 

■1994年にもどる

さて、前の便でアマゾン・コムという会社の出現が、世界を劇的に変えていったということを書きましたが、それについてすこし説明します。アマゾンの成功は、この時点では、ビジネス実態それ自体の成功ではありませんでした。つい最近までこの会社は赤字を垂れ流していたのですが、株価はあまり下がることはありませんでした。投資家たちはこの会社の将来価値に対して投資をし、巨額のお金がこの会社に集まりました。そしてお金が集まったというそのことが、この会社の現在価値(株価)を上げたのです。ITバブルの始まりでした。何故投資家は、この会社にそれほどの価値を認めたのでしょうか。それは、通常会社というものが発展して売上を伸ばしてゆけば、労働力も増加させてゆかねばならず、利益は売上とパラレルには伸びてゆかない。そして市場が飽和してくるにしたがって、売上もまた減衰してゆく。収穫逓減の法則ですね。しかし、アマゾンの場合は、人件費や管理費を増やすことなく売上を伸ばしてゆけるモデル(に見えた)だったのです。これはレバレッジドモデル(梃子のモデル)と言われ、インターネットを利用することにより在庫や流通に資本投下することなく、ビジネスを拡大してゆくことが可能というわけです。その後、さまざまな「ビジネスモデル」が現れ、投資家はその「将来価値」に投資し、赤字でも株式を公開するという事例が合いつぎました。

このことは、17世紀オランダに始まったチューリップバブル事件(球根ひとつが労働者の平均年収の10倍になったといわれています。)以来、数々のバブルに見られた投機が引き起こす現象のひとつに過ぎないといえます。

問題は、このころから日本に政・官・財を巻き込んだベンチャーブームが巻き起こり、にわかアマゾンがたくさん生まれたことです。投機がキャピタリストの中だけの博打であるうちは良かったのですが、多くの若者が自ら投機の舞台に上がってきたわけです。こういった時代背景の中で、ぼくが問題視したのは、若く頭の良い意欲的なひとたちの「言葉づかい」が変化したということなのです。結論から言えば起業家候補の若者たちの言葉づかいは投資家の言葉づかいになったということです。そして、起業家の言葉づかいというものが見えなくなってきたのです。

かれらはある意味でアバンギャルドですから、その言葉づかいは当然のように社会に浸透してゆきます。

話が長くなってきました。この続きは、内田君のアイデアを借りながら次回ということにします。急に寒くなってきましたので、風邪をひかぬようご自愛下さい。

お互いもう、じじいですから。ぼくは、長年の空手で膝がダメになっています。

今年の冬はこたえるだろうなぁ。

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