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その12プラス2 

釈先生の間狂言

 

【浄土真宗を知る】

総論を終え、各論に入ってみたいと思います。なにしろ、寝ながら「浄土真宗」がわからねばならないのです(涙)。

まあ、でも、真宗の理想を一言でいえば「生きなば念仏申さなん、死なば浄土に参らなん。生も死も煩いなし」ってところですから…。寝ながらもありか(!)。

まずは、親鸞さんや蓮如さんの思想…、ではなく、「浄土真宗」という宗教の特性についてお話してみようと思います。

特性を把握するのに、三つほどトピックスを挙げてみました。

 

1.概念や認識の読み替え

真宗は「他力の仏教」です。これは仏教の体系内ではかなりの異物です。そこで、従来の仏教概念や認識を独自に読み替える作業を続けてきました。

たとえば、真宗では出家形態は解体されています。真宗の僧は出家者ではなく、在家者なのです。剃髪、持戒することもなく、ごくごく一般の生活をしています。住職という名のとおり、お寺に住んで管理をしたり、ご門徒のお世話をしたり、といった信心共同体のリーダー役です。いわば、真宗の僧は、プロテスタントの牧師とか、イスラームのウラマーみたいなものです。キリスト教でも、カトリックの神父さんは独身で聖職者ですが、牧師さんは結婚し家庭をもちます。

ですから、出家受戒はしませんので「戒名」はありません。ブッディストネーム(クリスチャンネームみたいなもの)があり、「法名」と呼びます。

そして、お寺も僧のための修行場ではなく、「念仏道場」という概念となっています。念仏者に開かれた共有空間というわけです。

また、浄土教の根幹である「念仏」の解釈にも特徴があります。「南無阿弥陀仏」と称える行為は、「南無…帰命」+「阿弥陀…無量光と無量寿」=「限りない光と生命の仏におまかせいたします」という信仰告白です。ところが、真宗では「まかせよ、という仏の呼び声」だと方向をひっくり返すのです。

えー、ところで、真宗は追善供養や慰霊や祈祷をしない、ということになっております。ええっ、そんなこといっても真宗でも葬儀・法要はやっているじゃないか、というツッコミ、ごもっともです(汗)。それは、死者のために供養したり、慰霊したりしているのではなく、仏の徳を讃える儀礼であり、その儀礼を機会に仏教の話を聞く「縁」をもつために行っている、と考えるのです。

真宗は、日柄・方角などの習俗・俗信、占いやまじないに迷わないことをモットーとしております。大安や友引といった六耀を無視し、死はケガレじゃないから「忌中」の札は貼らず、お清め塩は使わない。そして、よく儀礼に使用される吉日や冥福や祈りといった語句も使用しません。どの寺院にいってもお守りを一切販売しない宗派は、真宗だけだといわれています。

かつて、このような真宗門徒の在り方は、「門徒もの知らず」と表現されました。真宗の連中は、一般的なしきたりを守らないから「もの事を知らない」という軽蔑の意と、ケガレに関する作法を行わないから「物忌み知らず」という意とが合わさってできた表現だといわれています。

なにしろ真宗が土着している地域の中には、墓さえつくらなかったところもいくつかあります。

 

2.異安心の系譜

真宗の歩みの中では、多くの異端問題が起こっています。いわゆる異安心(いあんじん)の問題です。異安心問題のたびごとに、真宗の教義は確立・強化されていった、といっても過言ではありません。そして、異端問題への取り組みは、他の仏教各派に比べて非常に敏感だといえます。

なぜ、異義に敏感なのでしょうか。ひとつは、「一神教的性質」をもっているからです。真宗はもともと大衆の宗教、弱者の宗教です。宗教学的にいえば、ユダヤ・キリスト教にも見られるように、弱者の宗教は一神教的傾向が強くなります。

もうひとつは、どちらかに傾けばあぶない、というぎりぎりの微妙な緊張バランスで成立する、ということです。一歩間違えば、反社会的にもなりうる。一歩間違えれば、仏教ではなくなる。そんな、緊張バランスです。

有名な異安心問題を挙げてみましょう。たとえば、「廃悪修善(悪をなさず善を行う)」と「造悪無碍(いかなる悪も往生のさまたげではない)」の問題は、法然教団の時代からありました。これは「どんな悪人も救われる」というなら、どんな悪いことをしても問題ないのか、という倫理的行為と宗教的意味を混同した議論です。親鸞は手紙で、「解毒剤があるからといって、わざわざ毒を選んで飲むのか」という喩え話を書いています。

この問題は『歎異抄』にも述べられています。そもそも『歎異抄』は、「異を歎く書物」で、前半は親鸞語録なのですが、後半は「学解往生(教義を学んで往生する)」、「念仏滅罪(念仏によって罪は滅する)」、「ものとり信心(寺院や僧侶に寄進することが信心)」といった当時の異安心への批判なのです。

ほかにも、「善知識だのみ」と呼ばれる「カリスマ的指導者へ傾倒する異安心」や、「知識帰命」といった「頭で信心を理解しようとする異安心」もあります。また、「一念覚知」といって「何年の何月何日に信心を決定した」といった考えも異安心とされます。

異安心問題は、観念的になりすぎたりしない、実践行為中心に傾きすぎたりしない、といったバランス維持の指針でもあるわけです。

ときには教団の命運を左右する異安心さえあります。中でも、その後の真宗教団(特に本願寺派)の行方を決定した「三業の問題」は有名です。

三業というのは「身業」「口業」「意業」という人間の行為と内面をあらわす仏教用語です。阿弥陀仏に帰命して、念仏を称えるという行為が大切だとするグループと、「それは自力ではないのか」という疑問を提示したグループの論争です。この論争は、宗派をゆるがす問題となって(三業惑乱)、最後は江戸幕府が裁定するという結果をまねきます。

「三業惑乱」は真宗教義の性質をよくあらわしています。つまり、つねに「それは自力ではないのか」、という問いがあびせられる構造になっているということです。

現在は「信心正因、称名報恩」という定句に表現されるような枠組みで落ち着いております。「信心」が確立したとき浄土の往生は決定。そして「称名(ナモアミダブツと称える念仏)」は「ありがとうございます」という仏恩を感謝する行為だ。自らの「念仏」によって往生が決定するなら、修行による結果だけども、私たちの行為によって往生できるわけじゃない、というわけです※。中沢新一氏は、この「報恩」行という概念に注目し、「ここに至って、仏教は本当に日本人のものになった」と述べています。

※ このような理念は、空華学派(絶対他力による救済を強調する流れ)の解釈が教団の正式見解として採用された結果です。なお、空華学派とならんで称される石泉学派(仏教の基本型を重視する流れ)では、もっと称名を積極的に評価します。

 

3.妙好人

妙好人とは、もともと『観無量寿経』出てくる念仏者を讃える言葉です。言葉ではいいつくせないほどうるわしい人、という破格の賛辞なのです。現在では、浄土真宗の篤い信心をもった人々を指す名称になっています。江戸時代に『妙好人伝』という書物が編纂されて、無名の妙好人たちが多く紹介されることとなりました。

妙好人の多くは、在家の篤信者であり、経済的にも教養的にも恵まれない庶民であるのが特徴です。鈴木大拙はよく「妙好人の存在があるから、浄土真宗はホンモノの宗教であることがわかる」と言っていたそうです。

ミスター妙好人「大和の清九郎」、型破りな言動が魅力の「讃岐の庄松」、嫉妬に狂って自殺未遂した詩人「六連島のお軽」、柳宗悦が賞賛した「因幡の源左」、大拙が世界に紹介した「浅原才市」などが有名です。この人たちは、別に仏教学を学んだわけでも、出家して修行したわけでもありません。むしろ、無学でその日を生きるのが精一杯の人たち。ところが、禅師もおよばぬ境地を平気で語るのです。

浅原才一の作った詩をご紹介しましょう。

「お六字は わたくしなり世界なり空気なり 空気名号なむあみだぶつ※」

「臨終まつことなし いまが臨終 なむあみだぶ」

「ええなぁ 世界虚空がみな仏 わしもそのなか なむあみだぶつ」

※お六字=名号=南無阿弥陀仏

この人は、ゲタ作りの職人でした。日々、ゲタを作りながら、ふと心に噴出する信心を、かんなクズに書きつけていたのです(しかも当て字だらけで、すっげ読みにくい…)。

浅原才一の肖像画が残っているのですが、なんとその肖像には鬼のツノが描き足されています。最初、みんなの好意で完成した肖像画を見て、才一は「これはワシじゃない」と言ったそうです。そっくりじゃないか、という画家などの意見に対して、「ワシはこんないい顔しておらん」と言う。じゃあどうすればいいのかと尋ねると、「頭にツノを描いてください。人を傷つける恐ろしいツノです」と本人が言い張るので、こんな変わった肖像画ができあがったそうです。ツノを生やした悪人が、合掌しているその姿は、真宗の本質をよく現しています。

才一さんは、「じいさん、あんたのことを本に書きたいのやが」と取材に来た人に、「そんなことはやめとけ。これからワシがどんな悪いことをせんとも限らん。大恥かくで」と晩年になってもことわったそうです。

いかがでしょうか。もちろん、ここに挙げた特性は、批判もなされています。1は、欺瞞的だし、2は、セクト主義っぽい。妙好人だって、「単なる体制従順型の人間にすぎない」と言う人もいます。

それでも浄土真宗という宗教のアウトラインはご理解いただけたのでは…。

 

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