その7
2003年10月4日
内田から釈先生へ
たくさんの論点を出して頂いてありがとうございます。
釈先生は前回のキーワード解説で、「苦諦」とは「生きていく上でどうしても直面せざるを得ない苦しみ。つまり、老いる、病む、死ぬなど」のこと、「集諦」は「苦しみを生み出す原因。つまり無明、執着」のことと書かれて、こう続けています。
「『すべてが刻々と変化し続けていることを実感できず、こだわり、しがみついている者は、老い、病い、死などの苦しみに身をこがす。悲しみや憂いといったさまざまな苦悩をかかえることとなる』 (『中阿含経』巻六十・意訳)限りなき自分への執着心こそ、苦しみを生みだす、というわけです。」
この短い文章の中には、いくつも大きな問題が含まれているように思います。それをとりあえず一つ一つ吟味してみたいと思います。
「死」や「病」や「老い」にどう対処するのが適切なのか?
「執着」とは何か?
どのようにして自我への執着から解脱することができるのか?
こういった問題について、これまで私なりに考えてきたことがありますので、それをお話しして、釈先生に仏教的立場からコメント(あるいは「採点」)して頂けるとありがたいです。
「死ぬこと」は苦しみか、これは大きな問題です。
というのは、「死ぬこと」の切迫に対する苦痛の大きさには、あきらかに経年変化が認められるからです。
子どもは「死ぬこと」を異常に恐れます。
私は子どものころ、「自分がいつか死ぬ」と考えただけで頭の芯がしびれるほどの恐怖を感じました。
子どものころに放映していたTV番組の主題歌の一部に「空の果てには、何があるー」という脳天気な歌詞がありました。その歌詞は私にとっては「死んだあとには、何があるー」と歌っているのと同じように聞こえました。
私はそれを聴くたびに「『空の果てには、何がある』って、宇宙の涯には何があるかも知らないで、死んだあと自分がどうなるかも知らないで、どうして大人たちはへらへらしていられるのだろう?」と不思議でならず、毎週そのTV番組が始まると、ベッドに潜り込んでふとんをかぶって耳をふさいでいました。
「心臓が止まる」という強迫観念にとらわれたのも、そのころです。
心臓の鼓動の「どきどき」の「どき」と次の「どき」の間のインターバルの間、自分は瞬間的に仮死状態になっているのではないかと思ったのです。
そうなると「どきどき」が気になってしかたがありません。「どき」と鼓動したあと、次の「どき」が来るまでの短い時間、「次の『どき』が永遠に来なかったらどうしよう」と心配で青ざめていたのです。
夜中に「あ、心臓が止まった!」と叫んで父親を揺り起こしたこともあります。
父が私の胸に耳を当てて「大丈夫、ちゃんと動いているよ」と言われても、心配でしばらくは寝付けませんでした。
そんな「死ぬこと恐怖症」はしかし加齢と同時に薄皮を剥ぐようにしだいに消失してゆきました。
思い出される限り最大の転換点は子どもを持ったときです。
生まれてすぐではありませんが、小さな子どもを育てているうちに、日毎にじわじわと「ああ、もう生きている間になすべきいちばん大きな仕事は一つ終わった」ということが実感されてきたのです(女性の場合、この達成感はもっと深いものなのでしょう)。
この「親になった」実感はなかなか経験のない人には説明しにくものですが、「この子のために生きなければ」という強烈な使命感と、「この子のためになら死んでもいい」という爽快な諦念の入り交じった両義的な感情でした。
「生きろ」という命令と「死ね」という命令がいわば同時に到来した、というのが私にとって「子どもを持ったこと」のいちばん重要な経験だったように思います。
ドーキンスの「利己的遺伝子」の理説を借りて説明すれば、子どもが生まれた瞬間に、私のDNAの「次のヴィークル」への「乗り換え」は成就したわけです。ですから、遺伝子レベルのメッセージとして、私が「はい、おつかれさんでした」というねぎらいの言葉と、「『次のヴィークル』(つまり、孫ですね)に乗り換えるまで、この新ヴィークルの始業点検、補修整備方よろしく」という業務命令を同時に受信したというのは、まことにもっともなことなのであります。
いずれにせよ、子どもが生まれたときに、私の中で「ある種の死」があった、ということはたしかなことのように思われます。
そのあと40代、50代と馬齢を重ねるにつれて、今度は身体的なレベルでの「部分的な死」が始まりました。目が見えなくなる、歯が抜ける、毛が抜ける、腰が抜ける、節々が痛む、という生理学的・解剖学的な「回復不可能の損耗」が全身に現れてきます。
この種の損耗は回復不能であるという点では細胞レベルの「死」と言えると思います。
これはゆっくりと進行してきますので、これにも私たちは慣れてゆきます。
そして、ある日私たちを幽明境の「あちら側」へと拉致し去る死病や事件が私たちのドアをノックするときに、「あ、お迎えがきましたか・・・」とふらりと立ち上がる・・・というのがことの順序だと私は思っています。
たぶんそのときには「死ぬことへの恐怖」は子どものころの切迫した喪失感や墜落感は消え失せ、「ちょっと隣の家に行ってきます」という程度の「死への親しみ」が醸成されているのではないでしょうか。
つまり、成熟の歴程は、それ自体が「死のレッスン」「老いのレッスン」「病むことのレッスン」であるように構成されているのではないかと私は考えているのです。
私が臓器移植とか「老いてなおエバーグリーン」とか「しわとり手術」とか、そういうものを「いかがなものか」と思うのは、そういうことをしていると、ほんとに死ぬときにかえって苦しみが倍加するのではないかと疑うからです。
日本はいま有史以来経験したことのない高齢化社会を迎えようとしています。しかし、「正しい老い方」「正しい衰え方」「正しい身の引き方」「正しい病み方」という、もっとも喫緊な思想的課題はなぜかあまり語られることがありません。
死ぬことは必ずしも万人にとって同質の苦しみをもたらすわけではありません。
死を計り知れない恐怖と絶望のうちに経験する人もいるでしょうし、「死んだらどうなるんだろう?丹波哲郎の言っていたことが真実かどうか、いま明らかになるわけだ。わくわく」と死ぬことをはちきれんばかりの好奇心とともに待望している人もいるでしょう。
どうせ死ぬんですから、できるだけ「わくわく」死ぬ方が本人にとっても周囲にとってもよいに決まっています。
であれば、「気分よく死ぬために、生きている間に何をなすべきか?」という問いが形而上学的に優先的な問いとして立てられてよいはずです。
私は「悟り」というのがどういう心的状態を指すのか分かりませんが、「気分よく死ぬために、私は今何をなすべきか?」という問いをつねに自分に向け、あらゆる判断に際して、そのことを判断基準にする人がいたとしたら、その人はずいぶんと穏やかでフレンドリーで思索的な人物であるはずだ、という予測は語ることができます。
「執着が最小限になれば、苦しみも最小限です。自己への執着を滅すれば、苦悩も滅す
る」と釈先生は経典からの言葉を引用されていますが、「自己への執着」という言葉の内容を具体的に詰めてゆかないと、なかなかそれがどういう営みを指すのか、私たちには理解が届かないところです。
先生は「さあ、不殺生などの五戒を習慣としながら、中道(ちゅうどう)と表現されるような、偏りのない、バランス良い生活を続けましょう。That’s All!」と書かれていますが、ここで先生がおっしゃる「五戒」や「中道」や「バランス良い生活」とはいかなる生活であるのか、それがどのような理論的・実践的な努力を要するものなのか、どのような人間観、死生観、宇宙観に基礎づけられて成り立つものなのか、そのことを私としてはもっとじっくり吟味したいと思うのです。
私は武術の稽古を長くしてきましたが、「死」については、そのアプローチから気づいたことが少なくありません。
当然ながら武術というのは、端的に言えば「殺す技術」です。ただし、この「殺す」はつねに「殺される」可能性に裏書きされていますから、やや控えめに「生死のあわいにおいて、適切にふるまう術」というふうに私は定義することにしています。
なぜ「殺す技術」であるはずの武術の修業が人間にとって意味があるのか。
私の理解では、武術に意味があるとすれば、それは武術の稽古は「死ぬことのシミュレーション」だからです。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」とは『葉隠』のよく知られた言葉ですが、私はこれを武術的な心身の錬磨はつきるところ「死ぬこと」の意味と機能を徹底的に考究することにある、と解釈しています。
武道の形古の場合、一つの形はつねに最後に相手を制して終わります。徒手でも杖でも剣でも「形が終わるとき」というのは、相手が死んだとき(あるいは次の致命的な加撃に対して、有効な抵抗ができない状態になっているとき)です。
短い形は数秒で終わります。そして、多くの形稽古では、「殺す側」と「殺される側」は形が一つ終わるたびに交替します。ということは、形の取り手と受け手は「殺す経験」と「死ぬ経験」を繰り返しヴァーチャルに体験しているわけです。
なぜ、そのようなこととするのでしょうか?
管見の及ぶ限りでは、形においては「受け手」がつねに敗北するのは、受け手の方が微妙に「執着」が多いように形が構成されているためです。
私の知る限りのことですから、違うものもあるかも知れませんが、武術の形は「先手」を取った方が負けるように構成されています。打ち込むにしても、握るにしても、抑えるにしても、「敵味方」の対立関係をまず立ち上げ、そこに支配被支配・攻撃防衛の二項対立関係を作り上げるのが「先手」をとるものの役目です。
それに対して、「取り手」は「後手」にまわるわけですが、その機能は、「先手」をとったものが立ち上げた「敵味方の対立関係」を解消することにあります。
徒手の技法である合気道の場合はとりわけ顕著なのですが、相手がしかけてきた攻撃に対して、これを「受け流し」て、相手と一体化してしまうのです。
つまり、形稽古は「対立を作り出そうとするもの」と「対立を解消しようとするもの」のせめぎ合いというふうにも言い換えることができます。
そして、形が教えるのは「生きること」に執着するものは破れ、「生死のあわい」にふわりと立つものが勝つ、ということです。「自分は生きる、おまえは死ね」というふうに当然のように「生者の側」にとどまり続けようとするものは死に、自分たちがともに生死のあやうい境界線上に揺らぐように立っていることを知っている人間、つまりより「死」に近いポジションを選んだものが生き残るのです。
私はこのような形の構成原理から考えて、形稽古が、身体の強く速い運用や筋肉骨格の強化のためのフィジカルな「トレーニング」であるとはとても思うことができません。
むしろ武術の稽古が教えようとしているのは、「生きることへの執着は『よく生きる』ことを妨げる」という生死の根本原則ではないのでしょうか。
もちろんそれだけでなく、武術的な身体技法の中には無数の人類学的叡智が凝縮されていますが、本質において、武術とは「死ぬレッスン」だと思うのです。
山岡鉄舟は臨終に際して家族門人知友に遺言を告げてから、彼らを別室に引き取らせ、一人座禅を組んで瞑目したのち絶命したそうです。
これを「さすがに武道の達人は死に際もみごとなものだ」というふうな感想をもつとしたら、それはあるいは本末転倒ではないかと思います。
そうではなくて、鉄舟にとって、生涯の課題はこの臨終の瞬間に端正にふるまうことにあったわけで、そのように「みごとに死ぬ」訓練を幼少から重ねてきたがゆえに、その武芸も胆力も判断力の確かさも感情の豊かさも、人に絶していたというのがことの順序ではないかと私は思うのです。
どうも自分の好きな話にひきずりこんでしまって申し訳ありません。
「執着」とは何か、「悟り」とは何か、という点について、ぜひ私たち素人に分かるような仏教的解説をお聞かせ下さい。
ではまた