私は「正義のひと」が嫌いである。
何がはた迷惑といって、「私は正義のひとである」と堅く信じてみじんも疑わない人ほど邪魔臭いものはない。
「正義のひと」はすぐに怒る。「正義のひと」の怒りは私憤ではなく、公憤であるから、歯止めなく「正義のひと」は怒る。
「正義のひと」は他人の批判を受け入れない。「正義のひと」を批判するということはただちに「批判者」が無知であり場合によっては邪悪であることのあかしである。
「正義のひと」はまた「世の中のからくりのすべてを知っているひと」でもある。「正義のひと」に理解できないことはない。
思えば、私のこれまでの人生は(というと大仰だが)「正義のひと」との戦いの歴史であった。
最初に私を完膚なきまでにたたきのめしたのは60・70年代の「マルクス主義者」たちであった。
当時、世の中には不正が蔓延していたらしく、若者たちの多くは(そして「若者たち」に肩入れすることで「若い」ことを証明しようとしていた「おじさん」たちの一部は)ひどく「怒っていた。」
そのころの私はポップで軽快な大学生であったので、勉強なんかまるでしないで、バイトで稼いでは、女の子に貢ぐという(いまの私から信じられないほど)退廃的な生活をしていた。(内田注:いまでも「勉強なんかまるでしない」のだけは変わらないが、本業で稼いで、お稽古に惜しみなく使い、学生たちにたかられるという、より建設的なパターンに移行している。)
すると「マルクス主義者」がやってきて、私をさんざんこずき回した。彼らは実にあっさりと私を「プチブル享楽主義者」というものに分類してくれて、私がいかに無知で、いかに徳性を欠き、いかにして「体制」に奉仕しているのかを理路整然と教えてくれた。
私は、自分が「だらけた野郎だ」ということは言われないまでも承知していたので、その批判に全く反論することができなかった。加えて私は(今では想像すべくもないであろうが)素直なところもあったので、その批判を受け入れ、自らを「プロレタリア的」に形成しなおすために泣く泣くマルクスなどを読んだ。
するとあろうことか、これが全然分からない。
『ドイツ・イデオロギー』という本を読んだら、マルクスはこう書いていた。すべてのドイツ人哲学者は、ドイツ語でものを考え、ドイツ風の飯を喰い、ドイツ風の服などを着て暮らしているので「ドイツ的なものの考え方」にどっぷり漬かっている馬鹿野郎だというのである。
「おお、なんと過激な主張であろう」と私は感激し、ついで、なぜマルクスはドイツ語で考え、ドイツ風の暮らしをしているのに「ドイツ的なものの考え方」に染まらないのであろうか、という当然の疑問に逢着した。答を探したが、どこにも書いていない。
そのうちエンゲルスが『資本論』の序文かどこかに「マルクスが彼の時代のイデオロギーから自由であったのは、彼が天才だったからである」と書いてあるのをみつけた。これは悪魔のごとき知略である。なるほど、「自分は賢い、他人は愚かである」ということをまず前提にしておけば、他人が間違っていることは「論証」の要もなく自明であるだろう。しかし、たしかこういうのを「論点先取」というのではあるまいか。
私がそう言って「マルスク主義者」におそるおそる反論を試みたら、もっとこずき回されてしまった。
「マルクスを疑ってかかるということが、まずもってお前が『プチブル』である動かぬ証拠である」というのである。これでは話にならない。そこで私は「マルクス主義者」とおさらばした。これが、私が「正義のひと」にうんざりした最初の経験である。
その次に私をこずき回してくれたのが「フェミニスト」たちであった。
私はきれいな女性が好きである。(あまりきれいでなくても好きである。)
(内田注:これは昔の話ですから間違えないように。いまはいかなる女性を前にしても私の心は金剛石のごとくに不動です。)
女性にご飯を作ってもらったり、お酌をしてもらったりするのにやぶさかではない。女性のために重い荷物は持つし、席は譲るし、ドアがあれば開けることにしている。
するとフェミニストがやって来て、私を「男権主義者」と分類して、思う存分罵ってくれた。女性を庇護の対象と考えること自体が女性蔑視の動かぬ証拠だと言うのである。「あなたは男であることの権力性に無自覚なのよ」。
私は(まだ素直な心が残っていたので)さっそく上野千鶴子やジュリア・クリステヴァやリュス・イリガライの本を読んだ。(嘘だと思うだろうがほんとうなのである。)
すると、そこには「男性は『男権主義イデオロギー』にどっぷり漬かっているが、女性は抑圧される側なので、かかるイデオロギーからは自由であり、それゆえ男性よりも世の中の仕組みがよく分かる」というどこかで読んだことのあるロジックが書いてあった。
同じ詭弁に二度ひっかかるほど私は愚かではない。しかしフェミニズムとの戦いについて書くだけの紙数がない。続きは来週。
前週では話が途中で終わってしまったので、その続き。「正義のフェミニスト」のもたらす災厄についての話を続ける。
「正義のフェミニスト」の特徴はとにかく、怒っていることである。
経験的にあきらかなように、怒っているひとを相手にして議論に勝つことはできない。自分は正しいと信じ切り、信念をもって怒っているひと諄々と理屈を説き聞かせ、その信念について再考をうながすことは、鰐にダイエットの必要を説くくらい難しい。
「正義のフェミニスト」は「現代社会において、男性は権力を独占し、女性はその圧制のもとに呻吟している」という前提を採用している。
家でご飯を作ったり、炊事洗濯をしたり、子供のおしめを替えたりすることが「奴隷労働」であり、会社で上役にごまをすったり、取引先に怒鳴られたり、金策に奔走したり、OLに「くそじじい」などと言わることが「特権的活動」であるという前提は、にわかには肯んじ難い。だが、百歩譲ってこれを認めてもいい。
なるほど家事労働には賃金が支払われないし、社会の政治的・経済的な流れとヴィヴィッドなつながりを持つこともない。退屈であるし、達成感がない。そういわれればもっともである。
いざ賃労働に就こうとしても、女性の雇用条件は男性に比べて歴然と悪い。なかなか出世もできないし、サポートも薄い。それは事実である。男性に伍して仕事をばりばりしたいのに、かなえられない、という女性にとっては腹立たしいことであろう。
しかし、社会的な不平等があるということと「被抑圧者である女性にはこの間違った世の中の仕組みがよく見えており、特権享受者である男性には、世の中の仕組みが分からないようになっている」ということは論理的にはつながらない。
私の頼りない記憶によれば、この論法の原型はジェルジ・ルカーチの古典的名著『歴史と階級意識』に遡る。
ルカーチは「プロレタリアの目に世界は階級的に見え、ブルジョワの目には世界は非階級的に見える」と書いた。そしてもちろん「プロレタリア」の目に見える世界が世界の真の姿なのである。
これとフェミニストのロジックは同じである。
フェミニストの目に社会は「男権主義的」に見え、私の目に社会はそのようには見えない。それは私が男権主義者の馬鹿野郎であって社会の真相を知らないからである。
あるルールでゲームをしているときに、だれかが負けでばかりいて、だれかが勝ってばかりいたら、ルールの構造に不平等があると推論するのは間違っていない。しかし、そこから、負けているものにはルールがよく理解できるが、勝ってばかりいるものはルールが全然理解できていないと推論することは正しくない。
私が「世の中の仕組み」を洞察するだけの知性を欠いていること、自分の目には「うろこ」が入っていること、これはいさぎよく認めよう。
けれども、だからといって「私の目にはうろこなんか入っていない」と言い立てる他の人の言葉を私が信じなければならぬいわれはない。
ルカーチの「プロレタリア」がそうであったように、フェミニストもまた「フェミニストの色眼鏡」で世界を見ている。黒い眼鏡をかけて見れば、世界は黒く見え、緑の眼鏡をかければ緑に見える。どちらが「正しく見ているか」ということは権利上どちらにも言うことはできない。みんな自分の都合のいいように世の中を眺め、出来事を解釈しているのである。どのような解釈にも「真理」を僭称する権利はない。
『たけしのTVタックル』というトーク番組で、田嶋陽子という名だたるフェミニスト学者がよく怒鳴り散らしている。私の知る限り、彼女を説得し、その主張を撤回させることに成功した対談者は一人もいない。
(内田注:先週のこの番組で嵐山光三郎が田嶋陽子を批判したら、田嶋さんは怒ってスタジオから出ていってしまった。あいかわらず楽しませてくれる人だ)
自分が間違っているかもしれないという可能性を吟味する能力のない知性は不毛な知性である。
けれどもフェミニストは決して自分の間違いを認めない。それは彼女たちが「正義のひと」だからである。繰り返し言うが、私は「正義のひと」が嫌いである。
これから先、男女差別の撤廃のためにおおくの男たちは努力を惜しまないであろう。けれどもその努力を、男たち怒鳴りつけたり、馬鹿よばわりすることによって引き出すことはできないということは知っておいたほうがよい。
私は予言する。性差別は確実に解消の方向に向かってゆくであろう。だが、フェミニズムは、その「必勝不敗の論法」とその「正義」ゆえに、マルクス主義と同じく必ず滅びるであろう。
湾岸戦争のころから「国際貢献」というスローガンが耳につくようになった。それ以後「国際社会において名誉ある地位を占めるために○○をしなければならない」という論法がやたら目につく。
こういう言葉を臆面もなく口にする人間を私は信用しないことにしている。
そもそも自分の行動について、自分からそれを「貢献」であるとか「名誉」であるとか説明するような徒輩は、「私利私欲」のために「計算づく」で行動しているものと昔から相場が決まっている。
「貢献」というのは原則として「見返り」を期待しないでなされるはずのものである。国連安保常任理事国に推挙してもらうというような政治的「見返り」を当て込んで行う政治的行為はふつう「猟官活動」というのである。
自分から「誉めて、誉めて」とせがんで貰うようなものを普通の人は「名誉」とは言わない。国際政治の用語では、そういう報償はビスマルクにならってただ「アメ」と呼ぶのである。
それはさておき、問題なのは「国際社会で認められたい」と言うような人々の頭に描かれている「国際社会」とは何のことか、ということである。この人たちが「国際社会」と呼んでいるのは「先進国クラブ」のことであり、より厳密に言えば、アメリカのことである。
私は断言するが、今「国際貢献」を声高に叫んでいる人たちにとって「国際関係」とは「対米関係」のことであり、「国際化」とは「アメリカナイズ」のことであり、「国際交流」とは「アメリカと仲良くすること」である。
サンフランシスコのチャイナタウンにレストランを経営していれば、その人は「国際的なビジネスマン」である。ブロードウェイの劇場に一度でも出ればその人は「国際的なアーチスト」である。ニューイングランドあたりの大学で一度でも教壇に経ったことがあればその人は「国際的な文化人」である。
けれども、パリでラーメン屋をやっていても「国際的なビジネスマン」とは呼ばれない。シンガポールの少女たちを熱狂させても「国際的なアーチスト」とは呼ばれない。ウランバートルで井戸掘りの指導をしても「国際的な文化人」とは呼ばれない。
日本以外の国と係わることが「国際関係」だと思ったら間違いである。アメリカと関係すること、これだけが日本において「国際」という呼称に値する行為なのである。
「国際化」という言葉が何を意味しているかを考えればすぐ分かる。
高校や大学で「国際学科」とかいう名称のセクションが最近たくさん出来た。日本以外の国々の文化的な豊かさを学び吸収するということがもし「国際化」の本来の意義であるとすれば、そういうところではチベットの瞑想法とかバリ島の仮面舞踏とかガウチョの投げ縄術とかいうことを教えてくれてよいはずである。しかし、「国際学科」ではそういうことは絶対に教えてくれない。
そこで教えられているのは「英会話」だけである。
そうなのである。「とりあえず英語がしゃべれるようになる」というのが現代日本における「国際化」の内容の全部なのである。
それを合理化する素敵なロジック。「だって、英語は国際語ですから、英語さえできればフランス人ともドイツ人ともロシア人とも中国人ともセネガル人とも・・・国際交流できるじゃありませんか!」
残念でした。そうはいかないのである。話せる英語を習得するというのは、今の日本においては、あの全部の母音を二重母音にして発音するカリフオルニア訛りの「米語」とアメリカ人的リアクションとアメリカ人的ジェスチャーとアメリカ人的価値観を習得するということ、つまり「大橋巨泉になる」「高市早苗になる」とイコールなのである。(内田注:例が古くてすみません。高市早苗なんて、もう誰も知らないですよね。でもそのころにはうるさくTVにでてたの。)
「国際化」された人の視線はただアメリカと日本を神経症的に往復するだけである。「アメリカではこうなのに、日本ではこうじゃない」というようなことをとくとくと説き聞かせ、日本人を教化啓蒙することが「国際化」だと彼らは思い込んでいる。
「国際人」の目がアメリカ以外の国に向くことはめったにない。かりに彼らがアメリカ以外の国々に言及することがあっても、それは彼らが「アメリカ人が見るように」フランスやドイツやロシアや中国を見る仕方を習得したというにすぎない。
英語が国際語でないことは、アメリカ人が英語がぺらぺらであるにもかかわらず全然「国際的」でないことによってなによりも雄弁に証明されている。
確かに彼らは世界中どこへ行っても自分の国にいるのと同じように苦もなく意志の疎通をはかることができる。しかし、そのせいで、彼らは異文化を理解し、異なる国々の習俗や価値観を尊重することにおいて、スワヒリ語国民やラップ語国民に比して卓越していると考える人はいないだろう。
アメリカ人はフランスの首都を「パリス」と呼ぶ。それを聴く度にフランス人はその無神経さに鳥肌が立つという。「語末の子音は発音しない」という程度の異文化ルールにさえ従えない人をふつうは「国際的」とは言わない。
繰り返し言うが「英語は国際語ではない」。英語はただ世界最大の政治的強国の国語であるというにすぎない。「英語を習得することは国際化ではない」。それはただ「強国の国語を学習する」ことにすぎない。そして「世界最強国の政略に従うこと」は「国際社会への貢献」ではない。
私は日本政府の対外政策そのものを批判しているのではない。強国にへつらうのは一つの賢明な選択である。「英語の学習」を非難しているわけではない。強者の文化に拝跪することは素直な人間的態度である。ただ、それを「国際」という美称でごまかすのはやめてくれと言っているだけである。
『ウッドストック』という映画がある。フラワー・チルドレンとヒッピイ・ムーヴメントと古きよきロック・ミュージックの時代の遺物である。
くたびれた中年男たちが、夜中にウイスキーをのみながら、ひざをかかえてヘッドフォンで大音量にして聴くとき、あまりにもはやく過ぎ去ってしまった1970年代を回顧して、しくしく泣けてしまうような、よい映画である。
だが感傷にふけるときではないない。映画の話をしよう。
この映画を見てあらためて驚くのは、この巨大なロック・コンサートがまぎれもなく「宗教的」な儀礼であったことである。
そんなことはもう20年も前からうんざりするほど聞かされている、何をいまさら、とみなさんは思うであろう。私だってそんなことは分かっている。
私が興味をひかれたのは、この宗教儀礼の呪具が「ギター」であったという事実である。
この映画を見たひとたちがもっとも印象的な場面としてあげるのは、たいていアーヴィン・リーが神懸かり的なスピードで弾きまくった『アイム・ゴーイン・ホーム』と、ジミー・ヘンドリックスが、およそ弦の発し得る極限までギターを責めたてた『星条旗よ永遠なれ』である。個人的な好みをつけ加えれば、ピート・タウンゼントがギターを舞台でばらばらに打ち砕いたザ・フーと、弓なりに背をそらしてギターをかきならすカルロス・サンタナの恍惚の表情も、とてもよかった。
これらのパフォーマンスに共通するのは、いずれも「ギタリスト」が20万人のマスヒステリー状態の観客を前にして、ある種の「憑依状態」になってしまった、という点である。
こういうことが起こるのは、ギタリストというのが、ミュージシャンのなかでもとりわけ「もののけ」に取り憑かれやすい体質を備えているからである。そのシャーマン性がギタリストの特権の淵源でもある。
RCサクセションの仲井戸麗市くんというギタリストが前に何かのインタビューで話していたことがあるけれど、仲井戸くんにいわせると、日比谷野音で、夏の夕方、昼の熱気をさますような夕風が吹く中、ステージに出て「クイーーーーーン」と弦を鳴らすときのギタリストの快感は筆舌に尽くしがたいものであるそうだ。
私はギターなんか弾けないけれど、この陶酔感はかなりよく想像できる。おそらくそれは宗教的な「トランス」状態に近いものであろう。
それに比べると、ドラムやキイボードの演奏者が白目を剥いて陶酔しているという姿は想像しにくい。
たとえば、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』の「ドラム合戦」とラルフ・マッチオの『クロスロード』の「ギター合戦」を見比べると(この映画を両方見ているという人はほとんどいないであろうが)ギタリストの技量というのが、テクニックの問題ではなく「憑依」能力であるということがよくわかる。
裕ちゃんはドラムの技術的な勝負でおのれに利がないと察知するや、ステイックを捨て「おいらはドラマー」と歌い出すという意表を衝く手で、一気に勝負を決める。
裕ちゃんはいっときも「裕ちゃん」であることをやめないし、彼が勝利するのは楽器を捨てて、自分の「個人的」魅力を観客にアピールするときである。
一方、ラルフ・マッチオはモーツアルトと伝説的なブルース・ギタリスト、ロバート・ジョンソンに同時に「憑依」され、彼個人の個性も技術も越えた神懸かり的な演奏をして勝負を制するのである。(「モーツアルトとブルース・ギタリストに同時に憑依された状態」というのがどういうものかに興味がある方はぜひこの映画をごらんください。)
ことほどさように、ギターというのは一種「非人称的」な楽器なのである。
どうもギター・プレイの神髄は、プレイヤーが「楽器の精霊」とでもいうべきものの訪れを受けて、「私が弦を弾いている」状態を去り、ついに「私をの身体を媒介にして弦がひとりでに鳴り出す」というような状態を成就することにあるように思われる。
ではいったいなぜ、とりわけギターという楽器において演奏者の憑依がひんぱんに起こるのであろうか。
これが本日の主題である。ながい「枕」であった。
考えてみれば、ギターというのは奇怪な楽器である。
木製の胴に金属や樹脂製の弦を張り、それを弾いて音を出すのである。調音はむずかしいし、衝撃にも、湿度にも、熱にも、弱い。よい音を出すためには指から血がでるほどの練習が必要である。
もっと安価で、丈夫で、音の狂いもないし、演奏も容易な電気楽器がさまざま揃っているというのに、いまだに音楽少年たちのギターへの偏愛に変化のきざしは見えない。これはかなり不思議なことだ。
さて、ここからが問題である。
「木部に弦を張り、それをはじいて音を出す」という原理的メカニズムにおいて、ギターはあるものに酷似している。それは何でしょう。
答は「弓」である。
実は「弓」は射手を高揚させ、トランスさせるような呪術的な力をもっているのである。では、なぜ弓がとりわけ呪術的な武具であったのか。
ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルは東北帝国大学で哲学を講じているとき、縁あって、希代の弓の名手阿波研造師範のもとで弓術の修行を始めた。大正年間のことである。
岩波文庫に収められているヘリゲルの『日本の弓術』には、彼が信じる近代西欧的な身体訓練方法と、師範の示す日本的「修行」の文化的落差のあいだでとまどうヘリゲルの姿が活写されている。
ヘリゲルは身体訓練というものは、とにもかくにも、身体を意識で完全に統御することをめざすものだと信じていた。意のままに身体を運用すること、身体を「道具」として正確に操作しうること、それが近代的な意味での身体訓練の理想であったからだ。
それに対して阿波師範はまず最初に、「あなたは射において、自分は何をしなければいけないかを考えてはなりません」と教える。
ヘリゲルはこれを聞いて仰天する。「もし『わたし』が射るのでなければ、いったい誰が射るのです」と彼は反問する。
師範はこう答える。
「『それ』が射るのです。」
ヘリゲルにはその教えの意味がさっぱり分からない。しかしそれでも射の訓練は続ける。そして試行錯誤の数年ののち、ある日、ヘリゲルがなにげなく放った一矢にむかって師範は深く一礼し、「いましがた『それ』が射ました」と告げる。歓喜する弟子をたしなめて師範は教える。「いまの射にあなたは何の責任もないのです。あの矢は熟した果実が落ちるようにあなたから放たれたからです。」
こうした経験をへて、ヘリゲルはある種の持続的で集中的な身体訓練ののち、身体は「わたし」の統御に属さない超常的な運動能力(師範が「それ」と呼ぶもの)を発動しうることを学び知る。
「それ」の威力が個人の技量をはるかに超えたものであることを示すために師範は一夜ヘリゲルを道場に招き、暗闇の中で的に向かって二矢を放ってみせる。ヘリゲルが的を見ると、はじめの矢は的の中央に的中し、第二の矢は、最初の矢を断ち割って的中していた。このような離れ業は個人的努力をいくら積み上げても決して達成できるものではない。弓に「神霊」が宿るときのみ、かかる「神懸かり」的なパフォーマンスは可能なのである。
弓に威霊が宿るという信仰はむろん阿波師範の独創ではない。古来、日本には弓矢に神霊が宿り、それが狩猟能力を飛躍的に高めるという信仰が存在した。民俗学者、国文学者である折口信夫によると、古代人は狩猟の能力をもたらす「さち」と呼ばれる神霊を信仰していた。「さち」が憑依した狩人は超人的な狩猟能力を発揮する。古語には「さつ弓」なる言葉があるが、これは「弓」そのものに「さち」が憑依するという思考があったことを示している、と折口は書いている。
弓弦が激しく唸るとき、古代人はそれを「さちなるたましいの発動」と聴いた。弓の震動音は、それがもたらすはずの、豊かな獲物の期待と不可分だったのである。
おそらく私たちの身体の太古的な層には弓弦のうなりを、畏怖と期待のまじった感情で聞いた古代人の記憶がいまだにわだかまっている。
木製の胴に弦を張り、それをはじいて震動音を発するという作動原理において、ギターは現代における弓である。それゆえギターは現代において、かつての弓の代わりとなる破魔除霊の呪具たりえるのである。
その震動とともに神霊が到来し、呪具を操作するものに憑依する。すると彼は超常的な技巧を発揮する。古代においてその技巧は豊かな獲物をもたらした。現代においては音楽マーケットにおけるマス・セールスをもたらすだろう。しかし、ギターの魅惑はそのような計量可能な価値で言い尽くされるものではない。
さきに例に挙げたジミー・ヘンドリックスの伝説的なギター・プレイは、楽器の演奏というよりはむしろシャーマンが呪具をあやつるのに似ている。彼は旋律やリズムを無視して、ひたすら弦を震動させること、その震動をあたう限り引き伸ばすことに固執した。(仲井戸麗市くんがギターの音をメロディではなく、「クイーーーーーーン」という震動音で擬音化したことを思い出してほしい。)
ジミー・ヘンドリックスは歯で弦をひいたことさえある。みなさんも自分でギターの弦を歯ではじいてみれば分かると思うが(別に試してみなくてもいいですよ)、あきらかに歯で弾いた方が、指で弾くより、震動はダイレクトの身体の内奥に伝わる。
『ウッド・ストック』でザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは演奏を終えたのち、ギターをステージで叩き割る。楽器がもとの形態をとどめぬ破片と化したあとも、電気的に増幅された弦のうなりだけは舞台に残る。
この場面は私たちにある種の戦慄を与える。それは呪具から解き放たれた異形の「なにものか」が、むきだしのまま出現してくるのを、私たちが恐怖と恍惚のうちにそのとき感知するからなのである。