小津安二郎は法事の場面が好きであった。
『彼岸花』は周忌の法要の読経の場面から始まる。『小早川家の秋』は火葬の場面から始まる。『東京物語』では精進落としの場面が印象的に使われていた。
小津は同窓会の場面も好きであった。笠智衆、中村伸郎、北竜二の「おじさんトリオ」は、銀座の小料理屋「わかまつ」に集まっては酒を飲んで、同窓会の計画ばかりしていた。
よくよく考えると、「同窓会」というのは、ある年齢を過ぎてくると、どことなく「葬式」に似てくる。
同窓会のたびに、私たちは飽くことなしに同じ旧悪を披露し合い、同じ昔話を蒸し返し、同じジョークで笑う。私の葬式に集まってくる級友たちは、いま同窓会でルーティン化している話柄を、おそらく同じように繰り返すのであろう。
「棺を蓋ひて事定まる」という言葉がある。葬儀のときは、故人の果たしてきた社会的な仕事のプラスマイナスの決算がはじき出されるときである。
法事の場に集まったものたちは、故人がこれまでに彼らにとってどんな役割を果たしてきたのかを確認し合い、その評価を確定しようとする。
通夜の席では、「あの人は実にいい人でした・・・・みなさんご存知なかったでしょうが、じつはあの人はながらく『みよりのない子供にお地蔵さんのぬいぐるみを送る会』の理事をしておられまして・・・」とか、「みなさんご存知なかったでしょうが、あの人は今の奥さんの前に3度結婚されていて、腹違いのお子さんが7人おられ、その方たちは今・・・」というような「秘話」が、関係者によって必ず披露される。
これは別に座を賑わすためのサーヴィスではなく、死んだものの社会的役割のできるだけ網羅的なリストを作るというまじめな要請に対応しているのである。
故人が生前ひた隠しにしていたことを、わりにあっさりみんなが白状してしまうのは、「死人に口なし。怒られる心配もないから、もうどんどんしゃべってしまおう」というような無責任な解放感によるのではない。むしろ、そのような告白は、ある種の「義務」として参列者に意識されているように思われる。
葬儀に参列したことのある人は経験的によくご存知だろうが、参列者は、どんなつまらないことであれ、故人について最低一つは「自分だけが知っていること」を語る義務のようなものを感じる。
「あの人はコロモの多いカツパンが好きでした」でも、「あの人は鼻をかんだあと、じっとちり紙をみつめる癖がありました」でも、なんでもいい。とにかく「意外な線」からの一言を言っておかないと、なんとなく通夜の席にいても気持ちがかたづかない。
故人のさまざまな側面を知る関係者が一堂に会して、短い時間に集中的にそれぞれの視点から故人の肖像を公開し合い、そのモザイク的な断片をはりあわせて死者の全体像を再構築する。「事を定める」とはこのことである。
黒沢明の『生きる』は、葬儀のこの機能を映画的にうまく利用していた。
この映画では、主人公が途中で急に死んでしまう。「あれ、こんなところで映画が終わってしまった」と観客はびっくりするが、そのあと、葬儀の場面で、参列者がさまざまなエピソードを回想するというかたちで、複雑な、あるいは前後矛盾する主人公の行動がみごとにモザイク的に並べられ、ひとつの人物像が集約的に造形されてゆく。
葬儀に参加するということは、そのようなモザイク作りに参加することである。
その作業によって、その人が「実は」なにものであったのか、という評価が関わった人たちにとっては確定する。
私たちが「自分の葬式」というものを想像すると、妙にどきどきしてしまうのはそのせいである。「自分の葬式」には誰が来るだろう。誰が泣いてくれるだろう。誰が葬儀委員長なんだろう。通夜の席でどんな話をみんなは披露するのだろう。そういうことを考えると、きりなく想像がひろがってゆく。
そのときに私が「実は」どういう人間だったのか、が衆議の末に確定するわけである。私はいったい何者だったということになるのであろうか。それを思うわくわくして寝つけない。ああ、こんなことなら一度死んでみたい。
そうもいかないので、私たちは飽きずに同窓会を開くのである。