大学院で「比較文化特殊講義」というものを担当することになったので、いきおいで、学部の専門教育科目講義も「比較文学」にしてしまった。
「比較文学」というのははじめて担当する授業である。はじめて担当するどころか、自分が大学や大学院に在学中にそんな名称の授業を聴講した覚えがない。比較文学会にも入っていないし、そもそも比較文学の本を読んだ覚えがない。
大胆である。
大胆であるというよりは無謀である。
私は自分が知っていることを教えるのはあまり好きではない。(もう知っていることだから、本人は退屈である。)しかし、自分が知らないことは教えられない。
しかたがないので、自分が「知りたい」と思っていることを教える。勉強しながら泥縄で教えるのである。
この泥縄的教授法はなかなかスリリングである。
ふつうは講義の寸前までその日の分のノートを必死になってつくっている。もっと前から準備すればいいのだろうが、あまり前から準備しておくと、かえってよくない。肝心の講義のときに、自分のノートに書いてあるメモや記号やあやしげな図式の意味が分からなくなってしまうからである。ノートをつくっているときには「おお、そうだったのか。すべての謎は解けたぞ、むふふ」などとつぶやきながら書いていたのだろうが、しばらくたってしまうと、いったいどういう思考回路でこういうことを考えていたのかが本人にも再現できない。
だから、原則としては、直前に「火」を入れて、思考回路がその主題をめぐって「回り出した」のをみはからって教場で出かけるのである。
うまくいくときはうまくいって、講義のさなかにインプロヴィゼーションの絶頂を迎えることもある。反対に講義15分前に「では、エンジンを点火するか」とノートを拡げたところで電話がかかってきたり、学生さんが乱入してきたりすることがある。こういうときは教壇の上で「まっしろ」になってへらへらするしかない。本人も悲しいが、学生さんにもたいへん申し訳ない。
「比較文学」の話にもどるが、当然、講義の最初には「比較文学とは何か?」というラディカルな問題を論じなければならない。
こういうときに「比較文学とは何か?」というような本を探してしまうようでは、ご同輩、まだまだ修行が足りませぬと言わねばならない。私はそういうハウツー本には原則として頼らない。苦い経験があるからだ。
高校生1年生のとき、少しむずかしい社会科学の本を読み出したら、あちこちに「弁証法」という言葉が出てきた。「弁」じて「証」するのであるから、説得術のようなものであろうかと推察するが、それではさっぱり前後の文脈となじまない。困ったのでクラブの先輩である3年生のイトウさんに思い切って訊ねてみた。
「センパイ、『弁証法』ってどういう意味ですか?」
イトウさんはにこやかに答えてくれた。「うん、例えば内田君がキャッチボールをしていて、近所の家のガラスを割ったとするだろ。」
当時の私はまだ純真なところがあったので、ぽかんと口をあけたまま2分くらいおとなしくその続きを聞いてしまった。
イトウさんの教訓は「知りたいことについては身銭を切れ」ということだったと私は理解している。知る価値のあることは「ひとことで」教えられるようなものではない、ということを私はこの経験を通じて学んだ。
爾来、私は「・・・とは何か?」という題名の本は手に取らない。
だから、当然「比較文学とはどういう学問か」というような本も読まない。
ある学術「について考える」というのは、その学術の提供するフレームワークの「中」では、こういうふうに思考し、こういうふうに叙述するのが「約束」になっています、という指示に「はいはい」と聴き従うことではない。そのようなフレームワークが、どのような知的な「欲望」や「欠落感」に呼応して生まれてきたのか、その起源は何か、その機能と効果はいかなるものか、について考えるということである。
なぜ、異なる文化圏に属する文学テクストを比較照合することに「意味」があるのだろう?
意味があるというはすぐ分かる。たぶん、それは言語が私たちの思考や経験を規定するということと深い関係があるのだろう。それはよい。
だが、なぜ「文学」なのか?
なぜ「比較言語学」や「比較社会学」では不十分なのか?なぜ「比較経済学」や「比較物理学」や「比較生理学」といった学術分野についてはほとんど語られないのか?
文字で書かれたものであるかぎり、どのおようなテクストにだってそれぞれの国語の、それぞれの言語文化圏の社会制度や思考様式の特性が反映しているはずである。それを比較するのではなぜいけないのか?なぜ文学でなければならないのか?
こういう問いについて考えるのは楽しい。
以下は、その講義のために、私が例によって「直前」にかきなぐったノートである。
「比較文学講義の目的」
1.私たちのものの感じ方や考え方は、私たちが使用する言語によって決定的に規定されています。
2.私たちのの前に広がっている世界は本質的には「アナログ」な連続体です。それを、私たちはそれぞれの国語に従って、「デジタル」に分節します。実際には「切れ目」がはいっていない世界をあたかもあらかじめ「切れ目」が入った世界であるかのように認識するのです。
世界に「切れ目」をいれるのは私たちが使っている言語です。
3.比較文学とは、簡単に言ってしまえば、それぞれの国語共同体が「同一の世界」をどのように「違った仕方で」経験するか、という問いを、おもにそれぞれの国語の特殊性に基づいて解明しようとする試みです。(と私は勝手に定義しちゃいます。)その作業は文学テクストを素材にとることが有効であると私たちは考えます。
4.しかし、どうして文学なのでしょう?もし、言語的な世界分節の特殊性を比較することが目標なら、言語表現であれば、なんでもよいわけです。
例えば、憲法の条文でも歯磨きの使用説明書でも数学の教科書でも、それらはすべて言語的テクストであることに変わりはありません。
しかし私たちはそのようなものを比較文学の素材には取り上げません。
なぜでしょうか?
いちばん分かり易い説明は、「そういったテクストは世界中に共通の意味や価値を扱っているから、ある国語の特殊性を探る手掛かりにはならない」というものです。
なるほどね。
しかし、たいていの簡単すぎる説明がそうであるように、この説明も原因と結果を取り違えています。
これらの非−文学的テクストが比較の対象として不適切なのは、それらが「翻訳不可能」だからです。
なぜなら、「世界の誰にでも共通の意味や価値」を扱っているといわれるテクストは、そうでない意味や価値の「抑圧と隠蔽」の上に成り立っているからです。
5.「憲法」について考えてみましょう。それは「自然権」とか「基本的人権」とか「公共の福利」とかいかにも世界共通の概念を使って書かれているように思われます。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか?
「法律」と「権利」と「右」と「正しく」という四つの概念は日本語の語彙では、それぞれ別の意味の言葉で表されます。しかし、フランス語はこの四つの概念を同一の語 droit で表します。ということは、「法」という基本概念ひとつをとっても、フランス人と日本人では、その概念の厚みや幅がまるで違うということになります。
「法」や「権利」という基本語についてさえすでに埋めがたい「ずれ」があるとき、法律が「同じ現実を論じている」と言い切ることができるでしょうか。法律的言語をもちいるものたちは、世界の眺望を共有していると言い切ることができるでしょうか。
私は懐疑的です。
6・次に「歯磨きの広告」の言葉について考えてみましょう。
日本には「お歯黒」という化粧法が明治のはじめまで存在しました。既婚の女性は「かね」というものを歯に塗って、にっこり笑うと「真っ黒な歯」が、まるで底なしの淵のように開口したのです。(谷崎潤一郎はそういうのをみるとぞくぞくしたらしいですけど)
「歯が白い」ことを美の指標とするいまの私たちの感覚は、「お歯黒」を美しいと感じる美的感受性の否認の上に歴史的に成立したものです。「歯磨きの使用説明書」が当然すぎて言及しないこと、つまり「歯が白いのは美しい」という前提は、「歯が黒いことは美しい」という別様の世界経験の無視と否認の上にはじめて成り立つのです。
7・まさか「数学の教科書」にはいかなる抑圧もないだろうと考えるかもしれません。ところがあるのです。
私たちが学校で使っている数学の教科書、世界共通の計算ルールは、私たちの国で独特の進化をとげた「和算」という推論と論証の体系の完全な無視の上に成り立っています。
私はなにも貴重な国風文化なんだから、日本の学校では和算を教えろなどと主張しているわけではありません。(数学嫌いだし。)でも、日本の音楽があるように、日本の美術があるように、日本固有の数学的思考というものもまた存在したのだということを、組織的に忘却しているのは不思議なことだと言わねばなりません。(たぶん学校数学がある種の「文化的な擬制」にすぎないということが分かってしまうと、生徒たちの数学を勉強をするモチヴェーションががっくり下がると文部省のひとが考えているからでしょう。)
8・とまれ、非文学的テクストが「国語の特殊性による世界経験の違和の解明」に役立たないというのは、それらのテクストで使われている言語が「普遍的」であるからではなく、それらのテクストが「世界経験の違和」そのものを抑圧しているからだと私は考えます。そこには「違和」を探り当てる手掛かり隠蔽されているからこそ、私たちはそれを素材としては放棄せざるを得ないのです。
9.これらの非文学的テクストに比べると、文学は「翻訳不能」であり、特殊な集団の特殊な価値観や美意識やイデオロギーがべっとりはりついた「内輪の言語」であるように思われます。
文学はそもそも同一の国語共同体の内部においてさえ、かなりの程度まで「読者選択的」なものだからです。
例えば村上春樹の小説には膨大な量の音楽に関する固有名詞が出てきます。それらは彼の小説世界の単なる装飾ではなく、その世界の骨格の一部ですから、そこで言及されている楽曲を聴いたことがなく、そのミュージシャンについてのさまざまな神話化した付帯情報を知らない読者は、村上春樹のテクストを十全に享受する可能性から組織的に排除されます。
しかし、文学テクストのこの読者選択性、読者限定性のうちに逆に私たちは「翻訳可能性」を見ることになります。
10.というのは、読者選択的である、ということは、「少数の選ばれた読者」を「マジョリティ」から切り離すというみぶりのことであるわけですが、そのみぶりを通じて、読者選択的なテクストは、つねに「マジョリティとは何か?」「私たちは『誰でない』のか」についての反省的言及を行うことになるからです。
文学は、つねに自分たちを包摂している社会集団の「常識」や「通俗性」や「凡庸さ」や「権力構造」や「体制的イデオロギー」についての批判的言及を含んでいます。体制批判の契機を含まないテクストは決して「文学」になることができません。
それは批判の契機を含まないテクストは、そのテクストの読者に「私は選ばれた読者である」という快感を提供してくれないからです。
11.文学テクストの条件は、(ロシア・フォリマリスムの主張とは逆に)テクストに内在するのではありません。文学性とはそれが読者にもたらす「私たちは選ばれた読者であり、この社会のマジョリティを形成するものたちとは別種なのだ」というアイデンティフィケーションの「効果」のうちにあるのです。
すべてのテクストについて私たちは次のように言うことができると思います。
読者を「普遍的な存在」であると前提するテクスト(法律条文や歯磨きのマニュアルや数学の教科書)は文学ではありません。反対に、読者におのれが「独自な存在、選ばれた存在」であると確認(錯認)させるテクストが文学なのです。
文学とは、読者がそのテクストの行間に「あなたは独特な存在であり、それゆえ、あなたの属する社会集団の中で孤立し、無理解にさらされ、ときに迫害されているかもしれない。しかし、このテクストはその例外的な存在であるあなたのために書かれたのだ」という慰めと選びと共感のメッセージを見出すテクストのことです。
だから世界でもっとも古い文学テクストは『旧約聖書』であると言うことができるのです。そこに私たちが見出すのは「独自性ゆえの受難、神による選びと救い」という説話元型だからです。
私たちが自分たちの棲んでいる社会の成り立ち方、とりわけ、その社会の言語によって私たちの経験や思考の様式がどれほど規定されているかを反省するためには、そのような定型的話型に訴えることが必須であるとはいわないまで、きわめて効果的であることは確かです。
わかりやすい例をあげるならば、例えば私たちが19世紀のロシア社会について知りたいと思うなら、勅令集やロシア政府の「経済白書」を読むより、『罪と罰』を読むことを選ぶでしょう。というのも、「勅令集」は「ロシア社会は何を許容するか」を主題的に論じており、ドストエフスキーのテクストは「ロシア社会は何を排除するか」を主題的に論じているからです。
私たちはドストエフスキーの小説から、ロシア社会が何を排除し、何を無視し、何を見落とし、何に名を与えず、何を抑圧したのかを、つまり「ロシア社会は何でなかったのか」知ることができます。そして、示差性のシステムの内部に生きているかぎり、何かと何かを「比較する」というのは、それが「何であるか」ではなく、それが「何でないか」を比較するということなのです。
12・ですから、読者がたとえ現実的にはその社会のエスタブリッシュメントの中枢にあり、凡庸さと通俗性の理想的体現者であったとしても、彼らの棲んでいる世界の成り立ちかたを知るために文学を必要とするということは大いにありうるのです。
日本の多くの中高年男性は司馬遼太郎を愛読しています。それは司馬遼太郎が現代日本社会に対して肯定的だからではありません。むしろ司馬はきわめて激烈に現代日本社会を批判しています。それにもかかわらず、彼が「常識的」で「凡庸な」多くの読者に支持されているのは、司馬のテクストが読者に「私は現代日本においては少数派の受難者なのだ」という心地よい幻想を与えてくれるからです。
同じように、村上龍はそのエッセイで日本社会の悪口ばかり書いていますが、多くの読者に支持されています。『フィジカル・インテンシティ』はサッカーに取材した日本論でしたが、そこでの日本のおじさん、日本のメディア、日本の常識に対する痛罵はこれまでになく憎々しげなものでした。読み終えてから奥付をみてびっくりしたのは、この攻撃的なテクストが『週刊宝石』の連載コラムだったことが分かったからです。
『宝石』とか『ポスト』とか『現代』とか『文春』とか『新潮』とかの非新聞系の週刊誌は、ありていに言えば、日本文化の「志の低さ」の理念型みたいな存在です。愚痴と嫉妬と憎悪うずまくこのイエロー・ジャーナリズムの愛読者たちが、村上龍を読んで溜飲を下げている図というのは、私には悪夢のように思われました。
私はそれが悪いといっているのではありません。
おじさんたちに「君たちは凡人なんだから、司馬遼太郎や村上龍を読む資格がない」と言っているのではありません。
逆です。
凡人たちこそ、通俗性と凡庸さを誰よりも憎み、マジョリティに属する人々こそ、「自分はマイノリティだ」と信じ切っているという平凡な事実を指摘しているにすぎません。
13・先般の都知事選挙で石原慎太郎が当選したのも、その適例だと私は思います。
彼は戦後日本社会の堕落や官僚制、国政の腐敗を痛罵することによって、自民党支持層(まさに、そのような社会を作り出し、維持し、そこから受益している人々)の圧倒的な支持を得ました。これは「政治に対する文学の勝利」と言ってよいでしょう。別の言い方をすれば、「日本社会というものの成り立ち方について知りたい」という切実な要求の表白というふうにも理解できるかも知れません。
14・私たちの同時代の作家で、世界的に著名な作家たち、三島由紀夫や大江健三郎や中上健次や村上龍は、強い批判精神にドライヴされた作品を送り出しています。彼らの文学は日本社会から「排除された」人間、「周縁」にはじきとばされた人間「だけ」を扱っているといって過言ではありません。
そのような文学者の作品が「世界的に認知」され、現代日本社会を理解する上で有用であるというのはどういうことなのでしょう。彼らの作品が「現代日本社会の価値観や美的感受性の最大公約数」であるからではもちろんありません。にもかかわらず彼らの作品が(外国人読者にとっても)現代日本を理解する上で有効なのは、そこには「何が」主人公たちを「排除」し、「周縁」にはじきとばしたのか、がきわめてリアルに書いてあるからです。
15・村上龍はアジア諸国で彼の作品が多く翻訳されていることについて、こう書いています。
「韓国、香港、台湾、中国本土で、私の作品は海賊版を含めると60冊以上が翻訳されている。どこが面白いの?と韓国人に聞いてみた。
『近代化を急ぐ国の、人間の精神の未来が書いてある。』」(Physical Intensity)。
16・同じ本の中で、村上龍はフィンランドの映画監督アリ・カウリスマキを論じた中で、文学に触れて、こう書いています。
「見終わって、すべての映画はドキュメンタリーだという思いを強くした。わたしはカウリスマキの映画でフィンランドの現実を知る。他のニュースや旅番組ではわからない。ネオリアリズムでイタリアを知ったし、ヌーベルバーグでフランスを知った。ゴダールの映画はフランス人の『精神』を扱っているので、その後フランスがどう変わろうとその認識が嘘になることがない。ドキュメンタリーという意味では小説も同じだ。わたしは革命前のロシアをドストエフスキーの小説で知ったし、太平洋戦争を林芙美子や大岡昇平の作品で知った。
その時代の本質を切り取り、記録として残す。そういう作品は今日本において非常に少ない。」
17・「ふーん、私と同じことを考えているなあ。(ということは、村上龍もそれほど賢いわけではないということか)」とつぶやきつつ、トイレにはいって、「置き本」の高橋源一郎『退屈な読書』をめくったら、そこにも似たことが書いてありました。
「わたしも明治への、あるいは明治期に生きた作家たちへの共感と関心が薄れたことは一度もない。それは、彼らが活き活きとしていると感じられるからである。九十年以上も以前に生きた人間たちが『生きている』と感じられるのはなぜであろうか。考えて見れば、それは奇妙なことではないか。(…)たとえば、漱石夏目金之助の『明暗』を読むとき、驚愕するのは、その会話が古びていないことである。いや、現代に書かれる小説のどれほどに、『明暗』ほど読者を刺激してやまない会話が書かれているか。(…)『明暗』が面白いのは、『不易』だからではない。漱石が私たちの『隣人』だからではないか。(…)『隣人』は私たちと少しも変わらない。そのことに私たちはまず驚く。この九十年間、わたしたちは少しも進歩しなかったのだ。それはいい。その次驚くのは、実のところ『隣人』とわたしたちは少し違うことである。彼らは、わたしたちより、鮮明な意志と意見をもち、それ故、わたしたちより鮮やかな輪郭をもっている。それに対して、わたしたちの輪郭はボヤけている。それがなぜなのか、いま詳細に語ることは、わたしにはできない。」
私たちの輪郭がぼやけているのは、村上の言葉を借りて言えば私たちの時代のテクストが「時代の本質を切り取」っていないからです。つまり「文学になっていない」からです。
それは、言い換えれば、自分たちの棲んでいる世界のなりたちを明らかにしようとする意志が乏しいということだと私は思います。
意識的な作家であるかぎり、書き手は「自分たちの棲んでいる世界のなりたちを明らかにする」ために、排除の経験を描き続けることになります。ですから、作家たちは、世俗的名声を得たあとでも、「排除される側」に身を置くことが文学者であり続けるために必須のみぶりであることを本能的に知っているのです。しかし、村上や高橋が嘆いているように、最後まで「選ばれた読者」のために「内輪の語法」で書き続けることはきわめて困難な仕事ではあるのです。
18.高橋源一郎は「内輪の言葉を喋る者は誰か」の中で、自作を「『親密な』サークルだけに通じる符号性をアテにした言葉で書かれる文章」だと批判した富岡多恵子に反論してこう書いています。
「清涼で豊かな、そして自由な言葉の世界を夢見ない作家がいるでしょうか。僕はいまでもずっと夢見つづけています。そして、その世界が、願望によって一足飛びに辿り着ける世界ではなく、僕という半ばは僕自身にとっても選択できない環境によって形づくられた固有の肉体を通してしか行き着くことのできない世界なら、僕はその頑迷な肉体と折り合いをつけながら、少しずつそこへ近づいてゆきたいと思っています。」(『文学がこんなに分かっていいかしら』)
19.私は高橋のこの立場を支持するものです。
文学テクストは、ただしく高橋が言うように「僕という、なかばは僕自身にとっても選択できない環境によって形づくられた固有の肉体を通してしか行くつくことのできない」「自由な言語の世界」を求めます。それが文学の生理です。それはまっすぐに「普遍」をめざすのではなく、必然的に「内輪」を通過せざるを得ません。おのれが今語りつつある言語がどうしようもなく「内輪」のものでしかないという事実を痛みと恥とを感じつつ経験するすることが、文学のいわば特権なのです。
それゆえ、文学は「内輪」の言語を使って、「内輪」にどうしてもうまくなじむことができない経験、内輪の言語をもってしては、語りきることができない経験をなお語ろうという野心にとらえられるのです。
20.以上のような考察から、私たちは「比較文学」という学問の特殊な性質を伺い知ることができたと思います。
比較文学とは「ある共同体が集団的に抑圧したもの」を「資料」とし、そこから「ある国語共同体に固有の世界経験の仕方」を抽出してくる学術方法だというふうに私たちは理解しています。
そのような条件をみたす限り、比較文学は「自己の思考プロセスそのものの遡行的な反省」としての哲学や、「そのつどすでに性化された存在である自己の欲望の構造の反省」としての精神分析や、「エゴサントリックな自我の拡大欲望への反省」としてのフェミニズム政治学やポスト植民地主義の政治学に緊密にむすびつき、それらと生産的な対話や論争を行いうる学知となりうる可能性をもっていると私は思います。
21.というようなことを二年前に書いた。そのあと、このようなものを書いたこと自体を忘れていたが、加藤周一の『日本文化の雑種性』について調べていたら、思いがけない文章に出くわした。
「私はアルベール・カミュ氏に生前一度だけ会ったことがある。それはガリマール書店の事務室のことであった。何を話したのかもうほとんど忘れてしまったが、小説についての一語だけは覚えている。『なぜ小説を書くかって?小説だけが翻訳の可能な形式だからですよ』。私はこの意見に賛成する。」(「日本語I」(加藤周一著作集7,p・207)
アルベール・カミュ氏はいつでもものごとを正確にみつめている。