「中年シングル生活評論家」の関川夏央によると、男の正しい生き方は「人並みに結婚、しかるのちに人並みに離婚。娘だけを引き取って、父娘ふたり暮らし。これが人生のベストチョイス」だそうである。(『中年シングル生活』)
なんと、私はそれと知らぬ間に「人生のベストチョイス」をしていたのである。
どうも人生が楽しいなと思っていたら、そういうわけだったのか。
しかし「娘と私」の中年シングル生活というものに対する憧れは、つらつら思うに私がまだ二十代のころ、娘が生まれるはるか以前にすでに私のうちに兆していたようである。
私に「娘と私」の夢の生活の決定的な刷り込みを施したのは誰あろう小津安二郎である。
私の日本映画ベストワンは『秋刀魚の味』、第二位は『晩春』である。私はこの二作品を「男の正しい老い方」のためのガイドマップとして観た。
両方とも主人公(笠智衆)は妻に先立たれ、子供(たち)と暮らしている中年男であるが、私のロールモデルとなったのは『晩春』の曾宮教授である。
曾宮教授は東京の本郷にある大学の経済学の先生で、北鎌倉に娘の紀子(原節子)とふたりで楽しく暮らしている。
曾宮教授はあまり熱心な学究ではないらしく、冒頭の原稿書きの場面では、手伝いの助手に博識をひけらかしているうちに、先夜の麻雀における点数計算の間違いに談及ぶや、たちまち締め切りまぎわの原稿を放り出して、近所のおじさんを呼んでおいで、一荘やろうとに誘いかけるような困ったおじさんである。(このへんは私に通じるものがある。)横須賀線の車内での娘との会話から察するに、教授会の日時さえ忘れているようであるから、あまり学内的にもたいした地位にあるとは思われない。(このへんも私と同じである。)
あとは悪友たちと呑んでは無駄話に励むばかりで、たまの日曜日に能楽堂に行って能を鑑賞するのが唯一の知的な趣味であるらしい。(このへんも私と同じである。)
そんな困った曾宮教授のたった一つの気掛かりは娘の縁談。『晩春』は教授が妹(杉村春子)の周旋で、娘の縁談をまとめるまでの起伏を、終戦直後の静かな湘南海岸、銀座、鎌倉、京都を背景に点綴した、なんということもない映画である。
そんな映画に、はたちをいくつか過ぎたばかりの私が、どうしてあれほど熱中したのか。理由はよく分からない。確かのは、この映画から私が「男の成熟の仕方」について、決定的な指針を与えられたことである。
私はこの映画を見たのちに、大学の教師になり、娘を一人もち、海の見える静かな街で娘と二人で暮らし、友人たちと酒を呑んでは終わることなき駄弁を弄し、休みの日には能を観るような男になった。どうしてそういうことになったのか分からない。
しかし、人生のさまざまな岐路(すごい言葉だな)において、私がいくつかの選択肢のうちから「曾宮教授的なもの」あるいは「小津安二郎的なもの」を優先的に選択してきたことは間違いない。
小津安二郎は生涯独身だった。そして夫婦と親子のことだけを映画を撮り続けた。
『父ありき』から『秋刀魚の味』まで、『長屋紳士録』から『秋日和』まで、小津がとりわけ好んだ主題は「片親が欠落している家庭において、子供の自立はどのように果たせるか」というものである。その主題は、あるときには母性愛を軸に、あるときは地域共同体のうちでとりむすばれる擬似的な家族関係を軸に、あるときは解体しかけた家庭の再建を軸に、あるときは老年の孤独を軸に描かれる。
『晩春』は「父子家庭において、娘が結婚し、父親がひとり取り残される話」である。娘の結婚によって、曾宮教授は、かけがえのないパートナーであり、最良の理解者であり、彼自身の生き甲斐もである娘を失うことになる。だから「もうそろそろ・・・」とは知りつつも、積極的には動かない。しかし、周囲の人々は口を開けば娘に適当な配偶者を求めることは父親の最大の責務であり、その責務を正しく果たし得ない父親は無惨な老境を迎えることになるだろうと彼を責め立てる。
その適例が『秋刀魚の味』に出てくる「ひょうたん」(東野英治郎)である。彼は、中学の漢文の教師であったが、いまは落魄して場末の汚いそば屋のおやじとなっている。彼の没落の原因は映画のなかでははっきりとは説明されないが、「はように家内を亡くした」ために「つい、娘を便利につこうてしもうて」娘の婚期を逸してしまったことが父娘の不幸の遠因であることが示唆される。(「ひょうたん」自身によるこの「娘=家内の代理」という説明の仕方から分かるとおり「娘を嫁にやらない父親」はインセスト・タブーを無意識的に侵犯している。彼が罰を受けるのは人類学的には必然なのである。)
だから曾宮教授も『秋刀魚の味』の平山さんも、かけがえのない家族の一員をあえて手放す覚悟を決めるのである。しかし、小津の主題がある種の普遍性を獲得するのは、このときである。
『晩春』と『秋刀魚の味』では、娘を嫁にやった夜、結婚式も終わり、悪友たちとの二次会も打ち上げ、ひとりで帰宅した父親が、娘の不在によってくろぐろとひろがる「家庭の空間」をじっとみつめ、決然と「独りで生きるためのレッスン」を始めるところで映画は終わる。曾宮教授は不器用な手つきで林檎の皮を剥き、『秋刀魚の味』の平山さんは台所という(その映画の中ではつねに娘(岩下志麻)のテリトリーであり、彼が決して足を踏み入れようとしなかった)「日常の場」に腰を据えて、水を飲む。
彼らは「かえがえのないものを欠いた生活」の再開のためにひとり日常に還ってくる。
構造主義の古典であるウラジミール・プロップの『民話の形態学』は、採取したすべての民話について、物語は「家族の誰かが欠け」、それを回復することを推進力として進行するという事実を指摘している。(「お姫様が魔女にさらわれる。王様の依頼を受けて勇者が姫の奪還に旅立つ・・・」というあのパターンである。)
この物語定型は多くの映画においても無意識的に踏襲されている。「ハッピーエンド」とは、まさに「物語の冒頭において欠けていた家族の回復」に他ならない。
「ハッピーエンド」の定型性に不満を感じたヌーヴェル・ヴァーグやアメリカン・ニューシネマのフィルムメーカーたちは、家族を持たず、「失うべきものを持たない」孤独な主人公を好んで描いた。この主人公たちの強さは彼の孤独のうちにある。だから、彼らが「愛すべきもの」「失うべきもの」を所有したとたんに、彼らは「傷つき易さ」(vulnerability)の負の刻印を受け、しばしばそれが主人公たちの致命傷になる。(『勝手にしやがれ』も『サムライ』も『スケアクロウ』も『カッコーの巣の上で』も。)
これはたしかにプロップ的な物語類型には収まらない。しかし「死んだ主人公」はもう二度と日常の孤独を生きることはない。(だって、死んでるんだから。)主体そのものの消滅によって、「家族の誰かが欠如し、残されたものがその不在に耐える」という経験は言い落とされてしまう。
小津の映画はその経験を回避しない。むしろその経験をめざして物語は収斂してゆく。小津は「かえがえのないものが欠如してもなお、ひとはその欠如に耐えてゆくほかない」という事実を無言でつきつけたまま映画を終幕させる。(『晩春』も『秋刀魚の味』も『東京物語』も『秋日和』も。)
これは私たちがなじんだ物語定型からは、はずれている。
『晩春』に熱狂したとき、私はまだ幼かったけれど、直観的に、小津安二郎の映画から、多くの物語が回避してきたこの冷厳で痛切な経験を学んだ。それだけではなく、その経験が、成熟した精神によっては「希望の語法」をもって語りうることも。
爾来二十年余、私はその「希望の語法」の習得につとめてきた。「曾宮教授的なるもの」と私が呼んでいるのはそのことである。